俺は殺されるかもしれない…―――。

そう、言い残した男は翌日、家族の前から姿を消した。
まるで予言の様な、不気味な言葉と共に。

そして、彼は二度と戻らなかった。

 

あぶない刑事 FALL DOWN 前編

 

 やかましく鳴り響くサイレンの音に、通りを行く車が次々と路肩へ避けて道を開ける。見慣れた白と黒のボディカラーに赤々と光る回転灯が特徴的な数台が、眺める人々の前を猛スピードで通り過ぎて行く。それは誰もが良く知る、一般的な警察車両だ…要はセダンタイプのパトロールカー。
 やがて彼等はひとつの大きな建造物の前で停車すると、慌てて出迎える制服姿の従業員に半ば急かされる形で建物内へと駆け込んで行く。
 潮の匂いを含む風が吹く、横浜の海を一望するその場所に、件の高層ホテルはあった。
 近年の改装により、まだ真新しい様相を見せるそのホテル内は、宿泊客や早くに出発する客で朝から賑わいを見せている…そんな、何も知らない客の目から遠避ける様に、フロントからの通報に急行した制服警官を案内係は従業員通路へ誘導するのである。
 そして、"彼"はそこの一室で物言わぬ姿で発見されたのだった。

 

 その日、神奈川県警港署の捜査課刑事・大下勇次は夜勤明けの眠たげな顔で、朝を職場である署内で迎えていた。ブラインド越しに窓から射し込む、清々しく明るい朝日が…憎らしい。
 出勤してすぐに珈琲を煎れてくれた山路瞳からカップを受け取った彼は、大あくびを隠しもせず、くぐもった声で「あんがと」と言った。
 そんな大下を見やり、瞳は首を傾げる様にしながら彼を見上げる。
「昨日は静かだったみたいですね」
「うん、する事なくてかったるかった」
「大下さんったら。平和が一番ですよ?」
 そう言って悪戯っ子を諌める様な目で微笑む瞳の顔にちらりと目を向け、さも"退屈は天敵!"とでも言う様に彼はわざとらしく顔をしかめた。
 そうしている内に、俄かに署内が騒がしくなってくる―――おタヌキ様こと捜査課長の近藤が、毎朝きっちり出勤する、その時間だからだ。挨拶する面々にそれぞれ「おはよう」と返しながら近藤は、自分が所属する捜査課へと着き、そこに珍しい顔を見付けて意外そうな顔を浮かべる。
「おはようございます」
「おはよう。そうか、昨日は夜勤だったな」
「ええ、まあ」
 大凡、近藤の出勤前に顔を出す事のない大下の、その事実を皮肉る一言に、彼は少しだけ子供の様なすねた態度で撫然と応える。それから時計をちらりと見やってから、彼は「じゃあ、俺は帰ります」と席を立った。
「はい、ご苦労さん」
「お先に失礼しま〜す」
 大下はわざわざ元気に言い放ちながら、入れ違いに入って来た町田が振り返るのを軽く手を振って、出て行った。
「おい、鷹山は?」
 出て行った大下の代わりに思い出したのか、近藤は瞳が煎れたお茶を受け取ると同時に署内を見渡すと言い放つ。「さあ」と答える困惑顔の瞳を見やり、彼は「しょうがないなぁ…」とぼやいて湯呑の蓋を開けた。
「昨日もフラフラと何処かに出掛けたっきりで、連絡もしやしないし。暇だと何をしでかすか…」
 それこそいつもの事、ではあるが。
 今すぐ追うべきヤマがなければ、県警からも毎度苦情の嵐を頂くあの銀星会を追回しているに違いない…例の如く。
「それで今日も遅刻、なんてしたら」
「おはようございます、課長」
 近藤のぼやきを止める様に被せて放たれた声が聞こえた―――そちらへ目を転じると、些か笑みらしきものを口元に浮かべた鷹山敏樹が不遜な態度で近藤を見やっている。遅刻なんかしてないぜ、と言う様に、それで過去の全ての悪巧みがチャラにでもなるとでも思っている様な…まるで教師に反抗する問題児な生徒。
 だが、近藤が何か言おうとした矢先、それを遮る様に通信室から河野良美が顔を出した。
「近藤課長。今朝、連絡しましたホテルの件ですが、今報告がありまして…問題の部屋から遺体が発見されました」
「遺体?そりゃぁ、また…」
「他殺体と思われます」
「…そうか」
 朝から暗くなる様な話題だ、と彼は口を閉じる。それから、すぐに出勤してきた部下へ命じた。
「おい、町田。それから吉井!おまえ達、現場に向かってくれ」
「はい」
「分かりました」
 たまたま早く出勤した二人は名指しされると、入って来たその足ですぐさま再び外へ向かう。鷹山は一瞬だけ出て行く彼等を迷う様に見送ったが、何を考えてかその後を追って同じく署外へ向かう。
 瞳は窺う様に近藤へ話しかけた。
「課長…大下さんには、どうします?」
「とりあえずは、いい」
「はぁ、そうですか?」
 納得しかねる顔で瞳は押し黙った。
 夜勤明けの大下を息付く間もなく呼び出しではあんまりだろう。もちろん、関わらせるとまた勝手に突っ走るんじゃないかと言う危惧もあるが…ともかく、近藤は後付けで現場に向かった吉井達と鑑識課の報告を待つ事にした。

 昼の海と湾岸に面する公園が臨める大枠の窓からは、一際のどかで優しげな日差しが射し込んで来る。
 柔らかなオフホワイトとベージュで品良く統一された室内は今や、無遠慮なフラッシュがシャッターを切る独特の音と共に照らす白い閃光に包まれていた。
 乱れたベッドから半ば落ちかける様な体勢で横たわるのは、全身から血の気を失った、物言わぬ男。白かったはずのシーツは今や彼自身の生命たるはずだった血液にて、どす黒く染み付いていた…下腹部から脚にかけて流れ出たそれらが水溜りの様にベッドを染めている。
「こんな真似したのも、死後だね…」
 鑑識課の安田は立ち上がると、「死因は薬物による中毒死の可能性が高いな」と告げて、遺体を見下ろした。吉井はその横で小さく唸り、町田は遺留品を探して戸棚を確認している。
 戻って詳しく調べてみないと分からないけれど、と一度区切った安田は、咽喉を掻き毟った形跡もなく文字通り眠る様に息を引き取っただろう被害者を観察する。争った形跡もなく、何より生活反応の見れない傷痕は彼の死後に行われたと言って間違いは無さそうだった。
 薬物服毒による死後、切り取られた"彼自身"―――まだ血液凝固も死後硬直もする前の、体温すら残る遺体に猟奇的な趣向を与えた犯人は、一体何を考えていたのだろうか。
 鷹山は戸口に立ったまま、そんな同僚達を眺めていたが、不意に寝室手前の備え付けられた小型冷蔵庫とその上の壁にくくり付けられた戸棚に興味を引かれて近付いた。ガラス戸から覗き込めば、ホテルに良くある紙性コースターの上に湯呑とタンブラーが2客ずつ、それから…何も乗っていないコースターが二つ。
「パパ」
「ん?どうした、鷹山?」
 呼び掛けに気付いて歩み寄る相手に、彼は無言で戸棚の中の空白を指差した。
「確かに何か有った様には見えるが…」
「ワイングラスが、ない」
「ワイングラス?」
 聞き返す吉井を横目に、鷹山は後方の町田へ言った。
「トオル、何処かにボトルは無いか?」
「ボトル…ですかぁ?」
 彼は先輩に命じられてあちらこちらを開けたり覗いたりゴミ箱を漁ったりするが、手を止めて首を横に振った。
「こっちもさっき探したんだけどねぇ。毒物の混入した経路が分かると思って」
と、安田もため息混じりに呟く。
「グラスも見当たりませんね…証拠隠滅で犯人が持ち去ったのか?」
 でも、何でワイングラスだと?と問う吉井に、踵を返す鷹山は「前にこのホテル、使った事あるの」とだけ答えて、またしょうもない事をと剣呑な目付きになる彼らを置いて部屋から出て行った。

「偽名〜?」
 一際、すっとん狂な声が港署内に響いた―――吉井と町田は近藤の前に立ち、その後出勤した他の面々が見やる中、口を開く。
「ええ、予約の宿泊者リストにも偽名でサインしてます。確認しましたが、同名の人物はまったく関係ない様で…住所は青森、年齢は65歳、ガイシャとは全然違います。昨夜はもちろんの事、横浜に来たこともありません」
 ホテルの部屋で発見された遺体は、いい所20代後半から30代前半ぐらいにしか見えない男だった。身長も180センチと高く、体格や顔もそう悪くはない…生前はそれなりにイイ男だっただろう。だが、名前はもちろん、運転免許やクレジットカード、保険証等々、身元が分かるものは何一つ部屋には無かった。ただ一つだけの手掛りは"彼自身の指紋"だったが、前科者リストとの指紋照合は当てはまらず、彼が何者なのか示唆する証拠は出てこない。
 前科にヒットしなかった理由が単に善人なのか、何故か今まで運良く逃げおうせたワルなのか見当も付かないが…もし、前者だったのならば。
「偶然、事件に巻き込まれた…?」
 思い付いた疑問をそのまま口にする町田に、吉井は「それも考えられなくはないが、それにしちゃあ随分な仕打だからな」と痛そうに答えて、再び近藤へと話を続けた。
「昨夜、宿泊した客には間違いないですねぇ。自分で予約して、自分で宿泊のサインをしてますから。フロントも客室係も確認済みです。一人で泊まったそうで、確認出来た従業員によれば、見掛けた時は常に一人きりだったと。訪ねた来た人間もいない様です」
 レストランもラウンジも独りでとは…些か解せない気もするが、そう言う事とて有り得ないとは言い切れない。独りが好きな男だったのかも知れないし、または約束相手にすっぽかされたかのどちらかだろう。
 だが、首を捻る彼等の横で鷹山は呟いた。
「部屋から消えたグラスは二つ」
「ん?」
 近藤がそれに反応すると、吉井は「ああ」と頷いた。
「部屋から、あるはずのワイングラスが二つ、無くなっていたんです。ホテル側にも確認しましたが、確かに用意しておいたそうなので、紛失したのは事実ですね」
「死ぬ前に誰かが訪ねた可能性は高いな」
 それが犯人なのか、犯人とは違う人物なのかは不明だが―――しかし、もしかしたら指紋や唇紋、唾液などから何か分かるかも知れなかったグラスやボトルまで消えているとなると、余程用心深い相手かも知れない。誰かも知られたくない、そんな相手。
 近藤は厄介になってきた事件に唸り、それから「大下にも連絡してくれ」と瞳に言う。彼女が頷くのを見てから、彼は腕を組んで指示を待つ捜査課刑事達を見回した。
「とにかく、引き続き聞き込み等を続けてくれ」
「分かりました」

 

 ようやく深い眠りに着いてしばらく経った時、無情な電話のベルは再び彼を夢の中から現実へと引き戻した。
「…はい、大下」
 不機嫌の極みで受話器に言えば、相手は申し訳なさそうに事件の事を話し始めた。
「瞳ちゃん、それでタカ達はどうするって?」
『とにかく今は手掛りが無さ過ぎて、聞き込みに出てます』
「了解。合流するって課長に伝えといて」
『分かりました』
 要件を終えた電話を切り、彼は寝乱れた髪をそっと手で撫で付ける。
 まだ回りきっていない頭で事件のあらましを整理しつつ、布団の中で大きく伸びをし、やがて緩慢な動作で起き上がった。
「本っ当に、もう…休ませてくれない街だぜ」
 そう揶揄してから、大下は目を冷ます為にシャワーを浴びようと風呂場へ向った。

 

つづく

 


事件らしい事件が起きましたが。
ラストまで書いちゃあいるけど、やはり"あぶ刑事"にならんかった…orz
という、話しです(笑)
とりあえず前編・中編・後編に分けてます。

あの二人の二人らしい会話だけは入れましたが、要はそれが書きたかっただけな気もしないでもない、私(^^;)
ストーリー云々よりも、そちらを楽しんでいただけると幸いです<何それ

2007/3/10 BLOG掲載、3/ 改訂版UP

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