あぶない刑事 FALL DOWN 中編

 

 昼過ぎの港署は閑散として、近藤課長と事務官の瞳を除いた捜査課の面々はほぼ、出払っていた。そんな中、一度戻って来ているのは大下と合流する予定だった鷹山と町田である。
 改めて今までに分かっている事件の内容を聞いた大下は最後に一言、「怨恨でしょ?」とにべもなく言い切った。
「性急に答えを出そうとするな」
 近藤は難しい顔で言い返した。
 確かに事件の解決は迅速が望ましい…だが、不確かな情報ばかりの現状で、憶測で答えを絞るのは難しいのだ。捜査方針の中に怨恨の線はひとつとして考えてはいるが。
「それ以外、考え付かないけどなぁ。だって、男の大事な大事〜なアレ、ちょん切っちゃうなんて」
と、彼もやはり痛そうな顔をして言う。
 続けて町田は「犯人は女?そんな酷い事、しますかね?」と尋ねた。それに大下は「馬鹿」の一言を返した。
「分かってねぇな、おまえは。いいか、女の方が残酷な生き物なんだぞ」
 それはもう、薄情だし、一度ダメだって思い込んだら絶対許さないし…等と事件の事だかプライベートの戯言だか良く分からない事を言い出す―――それを唖然と眺める町田の視界に突然、彼等よりも小柄な影が横切った。
「女性が残酷〜?聞き捨てならないわね」
 はっとするよりも前に、聞き馴れた少しハスキーな声が嫌味たっぷりに投げ掛けられる。途端に、大下は先程までの自信たっぷり感を潜めてぼそぼそと口篭った。
「あ〜いや、でも…男だったら、あんな真似は早々できねぇよ」
「どうして?」
「どうしてって、そりゃあ…」
 普通の怪我や殺人事件も"痛い"が、こと、アレとなると、想像するだけで空恐ろしい。出来るのはよっぽどキレたサイコか、想像もつかない程の深い恨みか―――同意を求める様に鷹山を見やれば、彼も無言のまま同意するかの様に俯いた。
 男だろうが女だろうが、人を狂わせるのは、いつも金か愛か。
 その時、大下と鷹山は顔を見合わせて「浮気!」と、ぴたりと合わせて言い放つ。
「…とは言っても、何処の誰だか分かんないしなぁ」
 名無しのごんべいさんが未婚か既婚かも不明だし、そんな痴情のもつれたる何かに遭う様な人間かどうかも不明。もちろん、最初に町田が言った"偶然、事件に巻き込まれ"もまったく無いと言えない。

 そんな風に思いを巡らす彼等から離れた受付カウンターで、警邏課の武田が訪れた相手をいぶかしげに見て聞き返した。
「捜索願ぃ?」
「お願いします」
 カウンターにしがみ付く様な勢いで彼女は言って、武田に頭を下げた。
「そう言われても………」
 子供じゃあるまいし、一晩帰らなかったぐらいで警察に捜索願とはまた大袈裟な…と思ったが、訴えるその目があまりに必死で、彼は言葉を飲み込んで彼女に言う。
「では、ご主人の顔が分かるもの、何かありますか?」
 そう問えば、彼女はハンドバックから一枚の写真を取り出し、それをカウンターへ置くと押し出す様に武田の方へ遣る。流す算段もなく受け取った武田は、写真を見下ろして声を上げた。
「あ…これ!ちょっと、大下さん、鷹山さん!」
何事かと呼ばれて行けば、その二人に武田は写真を渡す。それを見やり、二人は顔を見合わせた。
「…見付かったみたい」
「だな」
 鷹山達が知っている彼はもう冷たくなっていたが、写真の中の彼は生前のままの血色の良い陽気な笑顔を浮かべている。
「夫の澤井茂晴です」
彼女は呟く様な小さな声で、そう告げた。

 

 大下は思わず聞き返した―――目の前で必死な表情を浮かべる彼女に対して。
「殺されるぅ?」
「はい」
 彼女…澤井治子と名乗る女性は、力を込めて頷く。
 取調室のひとつで彼等は、先程受付で捜索願を訴えた彼女を前にしていた。大下は対面に座り、鷹山は窓際の壁に背を預けて彼女を何ともなしに眺めている。
 治子は何処から見ても極普通の若い主婦で、良くいるタイプだと大概の人間が答えるだろう。華があるとは言えない。服装も淡い色のカットソーとスカートで、顔立ちも派手ではない。だが、美人でなくとも何処となく愛嬌がある丸顔で、可愛らしい印象を覚えさせた…大人しくて物腰柔らかい、可愛い奥さんと言った感じ。
 大下は少し考える様に黙ってから、そんな治子の強張った顔を見ながら改めて聞き返す。
「本当に、本人がそう言ってたの?」
 それに言葉もなく頷く治子は、胸の前で握り締めていた両手に更にぐっと力を込めた。
「数日前から様子がおかしくて、どうしたのか訊いたら、そう…。でも、理由は教えてくれませんでした」
「それで心配していたら、出掛けたきり帰って来なかったと」
「…はい」
 それから彼女は、先程署内の霊安室で対面した亡骸の夫の顔を思い出したらしく、うつむくと嗚咽を上げた。
 大下は席を立つと取調室のドアを開け、泣き崩れる彼女を呼び寄せた瞳に託すと鷹山と共に小部屋を出る…徐に煙草を取り出した鷹山に大下は問掛けた。
「どう思う?」
「そう言う、そっちこそ」
「…俺には、あの奥さんが嘘ついてるよーには、見えないけどなぁ」
「それは同感」
 でも、そこは女―――嘘を吐く天性の魔性。疑いたくはなくとも、疑わざるを得ない。
 自宅近くなのにご主人はホテルへ御宿泊、しかも絶景のシティベイサイド…それを彼女が知らなかったとは言い切れない。もし、本当に澤井が何処かの女と落ち合うつもりだったとしたら、それを彼女が知っていたとしたら。
「裏、取れました」
 そう言って駆け込んできた吉田と谷村を見やり、大下と鷹山も集まる。
 名前と身元が分かった途端に、動き出す時間―――彼の空白の時間を埋めるべく、彼等は各々に動き出したのだ。
「澤井治子、27歳。住所も証言通りで、死んだ澤井茂晴と確かに夫婦です。事件当夜は前々から決まっていた近所の主婦達との旅行に行ってました」
「アリバイ成立、か…」
 懸念しつつも無下に出来ない近所付き合いをしていたら最悪の事件、とは、さすがに哀れに思う。
 旅先から何度か電話するも連絡が付かず、羽目を外して遅くまで呑み歩いているのだろうと自分を安心させる様に思ったが、戻ってきてみれば夫の姿がない。幾ら何でも帰ってくる日にいない訳がないだろう…以前の「殺される」と言う発言も伴って、治子は慌てふためいて警察を訪れたのだ。
「殺される危機感を訴えていたとすると、本人には心当たりがあったんだろうな…」
でも、何故そんな時にホテルなんかへ―――?
「普通はケイサツ行くよなぁ」
「普通は、な」
 大下の呟きに答える鷹山の一言は、少しだけ皮肉を伴って発せられる。普通じゃない理由があったのか、それとも人に知られたくない何かしらの事情があったのか…いずれにしろ、品行方正な人間とは考え難い。
―――後はガイシャの身辺を徹底的に洗うしかないだろう、今まで分からなかった分のピースを埋めて行く様に。
 その時、不意に再び駆け込んでくる人物を視界に見留め、彼等は振り返った。
「只今戻りました!」
 意気込んで来た町田は「分かりました!」と元気良く言い放つ。
「澤井ですが、社内で聞いたところ、親しくしていた女がいたそうです。源氏名は陽子、馬車道でホステスをしています。ただ、澤井が常連客だったのはもう随分前の話しで、最近は店にも来てなかったそうですが」
 参考までに店から調達してきた陽子の写真を彼は机上に置いた。
 それは到底、澤井治子とは正反対の女だった―――大きな目が印象的で、微笑む紅いルージュの口元は艶を宿す。緩やかに巻かれる長い髪が細い首筋にかかり、なよやかだ。眉目秀麗と言っていい、鼻筋も通った美女である…でも、知的だが何処か勝気で、そんな雰囲気が妙なアンバランスさをもたらす。いや、だからこそ傍らにいてやりたくさせるのかもしれない。
 町田に応えて近藤が尋ねる。
「何処かで会っていた可能性は?」
「可能性はありますが、証言はありません」
 それは誰も分からないと言う…比較的仲の良い同僚も、陽子と名乗る女がいた店でも。
「じゃあ、無関係な可能性も…」
 そう呟いて顎に手を宛てがった吉田に対し、町田は急に身を乗り出して何処か嬉しげに言った。
「そうは言い切れないんですよ。それが、事件のあった日の数日前から行方が分からなくなってて…」
「何でそれを先に言わないんだ」
 手柄を取った子供の様な町田に、呆れた顔で近藤はため息を含んで言う。まったくだ、と呟く鷹山の横で大下は、町田のでかい図体を捕えると同時に、彼の頭を引っ叩いた。
「トロイ動物のくせにいっちょ前に勿体付けやがって、この馬鹿」
「いてっ」
 思わず身をすくめた後、「痛いなぁ、もう…」と自業自得にも口を尖らす愚かな後輩はこの際、彼らは無視した。
「痴情のもつれ、か」
 低い声で言葉を紡ぐ鷹山に、大下は頷く。
「だろうね…その女がやったんなら、たぶん」
―――と言う事は。
「行くぞ、タカ」
「ああ」
 二人は近藤に示唆されるよりも先に身を翻した。

 

 鷹山は覆面車の助手席で煙草をふかし、全開の車窓からまだ明るい夕方の日に照らされる店の外観を眺めた…大して珍しくもない店構えのクラブはまだ、回転準備中の真っ只中である。その店前を清掃する従業員を捕まえた町田は、汚名挽回とばかりに"陽子"について尋ねていた。
 歩み寄ってきた二人の男を振り返り、その手に黒い手帳を見止めたボーイは、掃除の手を止めて思い起こす様に口を開く。
「無断欠勤する様な人じゃなかったんですがねぇ…3日程前から連絡がつかなくなって。変な事に巻き込まれたんじゃないかって心配してたんです。捜索願出そうかってオーナーと話してた所なんですよ」
 なるほど、と二人は無言で頷いた後に、町田は上着の内ポケットから一枚の写真を取り出した。
「この人、知ってますか?」
 そう言って見せ付けた写真に、彼は「ああ!」と頷く。
「澤井さんでしょ?昔は良く来てくれた、陽子さんのお客さんですよ。ここ最近は全然見かけませんが…そう言えば、殺されたって本当ですか?」
「え?ええ、まぁ…。それで陽子さんは澤井さんとはどんな関係でしたか?」
「どうって、ただのホステスとお客ですよ」
「じゃあ、陽子ちゃん自身の事は?」
 若い刑事に任せっきりで黙ったままだった相手に不意に話しかけられて、彼は些か驚いた後に首を傾げながら言った。
「人気ありましたよ。美人だし頭もいいし、気取り過ぎない所が人好きされて。店に入る前の事は何も話したがらないんです。聞いてもはぐらかすし…店にはそう言う人間も多いんですよね」
 余程ヤバイ裏事情がない限り、頭も容姿も一級品のホステスなら断る理由もなく…そんな所なのだろう。それからボーイは思い出した様に「ああ」と口を開いた。
「昔、一度だけ、澤井さんを初恋の人に似てるとか何とか、言ってたなぁ」
「初恋?」
「ええ。何処だかまでは言わなかったけど、故郷にいた時の…珍しく酷く酔ってたから、本当かどうか分かりませんが」
「…ども」
 大下はボーイの手から写真を取り戻すとそう言って踵を返し、慌てて追い付く町田がと車へ戻る。後部座席へ身を滑り込ませる後輩の後に、座席を戻した大下は運転席に乗り込んで、その車内に悠々と構える鷹山を睨んだ。
「タカぁ、おまえもちょっとは動けよ」
「必要だったら」
「あのなぁ」
 やがて彼はそれ以上の会話は切り上げ、次に事件のあったホテルへ向かった。

 

 差し出された女の写真をフロント係は覗き込み、言った。
「ああ、この方なら御泊まりになられましたよ」
 カウンターに片肘をかけた状態で大下は問う。
「いつ?」
「事件のあった、あの夜です」
 一瞬、大下と鷹山は顔を見合わせた―――「ビンゴ」と独り呟き、大下は笑みを浮かべる。
「宿泊名簿を見せてもらっても?」
 尋ねる鷹山にフロント係は「少々お待ち下さい」と言ってファイルを取り出した。

「え、それも偽名〜?」
 電話口に不平を吐くと、仕方ないでしょと言わんばっかりの声が返ってくる…先に署へ戻した町田は、その先輩へと調べた内容を告げた。
『照合してみたんですが、本人は現在服役中ですね。ありきたりな名前だから、適当に名乗ったんじゃないですか』
 さもありなん。けれど…
「なんだよ、ここでストップ?」
 受話器を下ろした大下が不満げに呟く横で、鷹山は言う。
「用心深いんだ、そのぐらいするさ」
「ま、そりゃそうだ」
 もし二人が関係していて、と仮定して考えるに、互いに偽名を使ってまで会う必要は何だ。もし訊いて、偶然だ、関係ないと言われても、素直にそうですか、とは納得出来はしない。
「違う部屋を取ってたとはな…」
「公にはまったく会ってないし、関係が続いてたとしても人目に付かない様に本気で気を付けてたんなら…傍目には無関係だと誰でも思うよな」
「ああ」
 あれだけ気にかけていた妻の治子が、夫の浮気を疑うどころか気付きもしなかったのだから。
 あの朝、ホテルを発つ他の客に紛れてチェックアウトしたとして、誰が気に止めただろうか―――泊まった階も部屋も違う、一度たりとて誰にも一緒の所を目撃させなかった女を。

 

 素性の知れない、美しい女。
 その魔性の美貌の下、一体何処に毒を隠し持っているのだろうか。
 陽子と呼ばれる彼女は何処にいるのか―――初恋の面影を持つ男が死んだ、今。

 

つづく

 


中編、事件解決編の展開中。
我ながら安易な進め方しちょりますが…
別にオチバレしても構わんとです、な気持ちで書いてます。ははん。
分かり易いストーリーが定番ですからね!ね?<誰に訊いてるのか…
その代わり、必要なのはアクションなハズなんですけども。
書けません。
思い切り、力を込めて言いますが、書けません。
私には書けない………orz
書こうと思ったんだけどね、書けはするんだろうけどね、どうも話の中に入れられないと言うか、淡々と進む話が書きやすいと言うか、ハードボイルドやアクションストーリーは書き手より読み手な私。
こんなダメダメ人間を許してください(涙)

…続きます。

2007/3/10 BLOG掲載、3/ 改訂版UP

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