あぶない刑事 FALL DOWN 後編

 

 こうなると"一気"や乱暴な捜索は無関係で―――立ち戻れ、基本の初動捜査ってな具合だ。
 元より鷹山が目の仇にしている某暴力団…を相手にしているのではない今回の様な件は、そう言うやり方の方が有効なのだ。と、二人が思ったかどうかは分からないが。
 とにかく、陽子の行方を探す手は、彼女の客一人一人に当たるしかなかった。

 店以外に彼女が行きそうな場所、頼るべき人間の存在云々…同僚に訊いても何も分からず仕舞いとは稀有な事で、プライベートが見えてこない。いや、プライベートなど無いに等しい女なのか―――本名も、居場所も、友人や家族がいるかすら不明で、その噂すら誰も知らない。
 厄介な人探しだと、彼は誰に言うでもなく心の中で呟いた。
 とりあえず"行きそうな"とか"行ったかもしれない"とか言うブティックや飲食店を手分けして回っているが、有力な手掛りはものの見事に見付からなかった。出勤前に寄る美容院や客と良く同伴する店も、彼女は聞き手に回ってあまり自分の事を話さないと口を揃えて言う。
 車を横付けしたマンションの前で、大下は助手席の相棒に問う。
「何件目だっけ」
「忘れた」
 鷹山は素気なく答えて車から降りる。
 エントランスを通り、エレベーターホールに入るとボタンを押してそれを待つ。程なくして1階に着いたエレベーターの扉が開き、二人は乗り込むと教えられた階のボタンを押した。
 閑静な住宅街を抜けた先の高台に建つ、比較的新しいこのマンションには、彼女がリッチな客の一人から与えられた部屋がある。聞けば普段は使っておらず、専ら気が向いた時だけ掃除しに来るとの事だった。
「いると思う?」
「さぁな…何か手掛りだけでもあれば良い方だろ」
「だよな」
 あれだけ巧妙に二人の関係を騙し通したのに、まさかこんな所で会えるとは思わない。況して証拠品等…いや、誰も来ないからこそ隠してある可能性も無きにしも有らず、か。
 階に着いたエレベーターから降りた二人は号室番号を確認しながら歩き、突き当たりの角部屋前に立ち止まった。表札は、ない。念の為にチャイムを鳴らす。すると、中で人が動く気配を感じた―――瞬時に二人は互いに頷き、大下はドアノブを回す。
 予想外にも鍵はかかっておらず、彼はそのままドアを開けた。
「誰?」
 それはたった一言だけなのに、やけに印象に残る声だった…涼やかで落ち着いた、少しハスキーな声。
「陽子…さん?」
 確かめる大下に、彼女は化粧っけのない顔とカジュアルな部屋着のままで首を傾げる。
「それは店での名前だわ。でも、貴方達、見た事ない顔ね」
 商売柄、記憶力に自信があるらしい陽子は、そう言って不思議そうに戸口の彼等を眺める。
「残念ながら、君の店には客として行った事はなくてな」
 鷹山はスーツの内ポケットから取り出した警察手帳を、そんな彼女へ見せて言った。

 化粧や服や髪型で着飾らなくても、彼女は十分に綺麗だった。気だるげに髪をかきあげる仕草も、時折向けられる強い眼差しも、それが彼女を稀少な本物の美人だと証明している。惜しむらくは、彼女が殺人の容疑者で、刑事を前にしても動じない…度胸があるとか開き直りとかとも異質の、不気味とすら言える態度な事だった。
 それは最初の印象と同じ、奇妙なアンバランス。
 妖艶でありながら少女の様に勝気で、疲れた女の顔をしながら子供の様に無邪気で。
「澤井茂晴…を知ってるな?」
 低い、唸る様な声で問う鷹山に、陽子は「ええ」と答える。
 否定するかと思ったのに、随分すんなりと認めた陽子に、大下と鷹山は意外さを隠せなかった。続く「澤井を殺したのは君か?」の質問にも黙って頷く。
―――これはどう言う事だろう?
 神経質なくらいに痕跡を消してきた女が、誰にも自分の事をひたすらに語らなかった女が、こうも簡単に認めるのを納得できない。否認されるよりもずっと楽なのだからそれは刑事として否定すべきではない事象なのだろうけれど、証拠にもなりそうな備品をホテルから持ち出し、今まで身を隠していたにしては随分と今の様相は、やはり賦に落ちなかった。彼女が、ただの開き直りとか居直りではないのは分かっていたから。
 陽子は寛いだ様子でソファに身を置き、闖入者達を気にする素振りも見せずに窓の外に目を向けている…大下は戸棚前に佇んだまま、そんな相手へ作り笑いを浮かべて言った。
「客の名義で借りられたマンションに隠れるなんて、どうかしてるぜ?」
「隠れてなんかいないわ」
 答えて彼女は、むっとした様に言った。
「彼と…一緒に居たのよ」
「彼と一緒って事は…」
 もしかして?と顔を見合わせる二人に、陽子は改めて体ごと向き直ると呆れた口調で言い放つ。
「他に誰がいるの?茂晴に決まってるじゃない」
 陽子は言ってから苦笑気味に息を吐き出して、再びソファに身を沈めた。
 大下が困惑した顔で振り向くと、鷹山は何も言わずに肩をすくめる。綺麗な顔をして、こうもかなりの電波さんとは…勿体無いと思うのは男のエゴだろうか。
「あの人は私のものよ、私のものになったのよ」
 誰に言うでもなく呟く、絵になるその横顔は笑いもしなければ、泣きもしない。
 所在なさげに棚を見渡した大下は何かを見留め、不意に口を開いた。
「ワイングラスとボトル…って、これ?」
 彼が指差す先には、空のワインボトルとホテルの備品らしい安物のグラスが二つ、飾るかの様に並べられていた。
 鷹山はうつ向く様に視線を床に落とし、陽子へ言った。
「捨てなかったのか?」
「捨てるだなんて!」
 急に弾かれた様に叫んだ彼女はとんでもない事を言われた様に立ち上がり、棚のボトルとグラスをじっと見つめる。
「二人で開けたワインもワイングラスも、あの日、あの人が永遠に私のものになった記念だもの。捨てる訳、ないじゃない」
 大切な大切な、あの人との最後の思い出―――うっとりと目を閉じる陽子に、鷹山は飽きれるでもなく、「分かった。後は署で話してくれ」と告げた。

 

「ワインボトルと被害者が口にしたワインは別ものですね」
 そう、安田が告げた報告書を片手に、吉井は口を噤む。
 陽子はホテルにも用意されているワインの種類を確認した上で、中身を摩り替えた毒物入りのワインを同種のボトルに入れて持ち込んだ。計画的な犯行だった事は否めない―――彼女が殺す為だけにそうしたのか、または自殺、或いは心中を考えていたかは分からないが。
 ただ、最後の夜の乾杯は、澤井にとって本当に最期だった訳だ。そして、彼女は"彼"を、記念のワインとグラスと共に持ち去った。
「面影どころか、初恋の相手そのもの…だった訳だ」
 僅かにいたたまれない顔付きで、鷹山は呟く。
 澤井と陽子が同郷だった事は、彼女の証言から分かった。一時は結婚を考える程の付き合いだったと言う。だが、親が抱えた多額の借金から夜逃げ同然に故郷を出た陽子…川口名香子は、文字通りの身一つで家族とも離散したまま、持ち前の頭の回転の早さと美貌を頼りに生き抜いてきた。それ以下に身を落とす事だけは頑なに拒み続けて、必死に。
 それは偶然だったのだろうか、それとも悪戯な運命の必然だったのか―――再会した時の自分はもう、昔とは違っていた。澤井も所帯を持ち、人並みの人生を送っていた。それなのに、ただの昔の恋だと終わるはずだった接触は、忘れたはずの二人に悪戯な火を付けたのだ。
 昔の面影を残しながら、女である事と少女である事の狭間に未だ揺れ動く不安定な彼女は、幸せだった頃の思い出へと身を投じるだけの夢は見れただろう。不運な少女時代をなぞる様に、取り戻す様に。
「澤井の方は、奥さんと別れる気はなかったみたいだけどねぇ」
「陽子だって、そんな気は無かったさ」
 流れた月日は人を変える。守るべきものをそれぞれに増やしながら…ただ一緒に居れれば良かった、それ以上は求めなかった、あの最後の夜と切り出される前までは。
―――無駄に不義を重ねての逢瀬は、彼女にとって意味があったんだろうか。
 マンションの、寝室のベッドの下に隠す訳でもなくしまわれた澤井の"一部"は、綺麗な箱に丁寧に保管された姿で発見された。あの日、「彼と一緒に居た」のだと告げた彼女の言葉は真実であり、真実ではない。いや、彼女にとってはそれが本当だったのかもしれないが。
 大下は煙草に火を点けると、それをゆっくりと燻らす。昇る紫煙が、空調の風に揺れた。
「現代のアベサダ?」
「…かもな」
 そんな、何かを振り払うかの様に発せられた笑えないジョークに、鷹山は短く答える。
 大下は苦笑も浮かべられずに口を尖らせた。
「美人で情が深いっては、そんな悪い事じゃないんだけどな」
 蝶よ花よともてはやされるのが当たり前と清ます美女も多い中、陽子は本当に稀有な女だった。ただひたすらに一人を愛した。そして、見れない一時の夢を見た。
―――それも、まあ、程度によりけり。
「惚れられた男はたまったもんじゃない」
「言えてるな」

 

 陽子のした事は決して許される罪ではないけれど、彼女をそうさせたのは他ならない彼だろう…澤井にとっても酷く不条理な原因であるが。
 女が残酷なのか、男が残酷なのか、そんな事は分からない。
 だが、どちらもどちらなのだろうと思うのは間違っていない様に思う。
 だから。

「あの日、あの人は私のものになったのよ」

 そう呟いて浮かべられた仄かな笑みは、何処か絵空事の様に幸せそうだった。

END

 


終わりました。
あぶ刑事にならなかったあぶ刑事(爆)
ネタ的にはどんなドラマを題材にしても良かったんだけどねぇ。
前編後書にあるように、タカとユージのセリフを書きたかっただけと言うシロモノです<馬鹿だな、俺…orz
ええっと…サイコもの?サイコ的事件?う〜ん、微妙だ。
こんな微妙な話しをここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。

2007/3/10 BLOG掲載、3/ 改訂版UP

※阿部定事件。
誰もが知ってると言っていいほど有名な事件…と私は思っている。
当時、新聞で号外が出るほど日本中が注目した殺人事件だが、知らない人は調べてみるとよいかと。すぐに関連ページがヒットするだろうから。
彼女を悪女とするか否かは結構な物議を醸し出していたはず、と記憶する。
そこら辺はどちらでもいいと思うのが私の意見だが。
とりあえず、殺人や死体損壊は罪なのでやっちゃあいけませんヨ(爆)

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