それはたかが火遊び。
火傷する前に手を引けばいいとおどけてみるけれど。
誘惑のルール違反は甘い罠。
愛と言う名の幻に抱かれて見る夢も、たまにはいい―――

 

あぶない刑事 Parting of Shot 前編

 

愛しいなんて、ただの戯言。
無駄に肌を重ねて見る夢はくだらない幻想なだけで、一度だって心から抱かれてなどいないくせに。
―――それでも踏み込むのを躊躇うのは、一体何の為?
問掛ける言葉すら思い付かない、体の熱に翻弄される陳腐な頭。だから、余計な事は何も言わず、ただ本能に身を任せてみるだけ。そうして失ったものの多さに目眩を覚える事もあるけれど。
ただしなやかに、したたかに、咲くのが女だから。
紅く紅く、彩るこの唇に夢を見て。その先にある決められた終りを今は振り払って。悪戯に抱き寄せて口付ける貴方を失う、その時を思わずにはいられない。

 

「昨夜の女、どうだった?」
「上々」
戯れに投げられた質問に強がりな答えを返して、鷹山はくわえた煙草にマッチで火を付ける。
「そっちは、この前の女…どうした?」
「やめた」
「なんで?」
答えに目を向ければ、同じく煙草を取り出した相手の姿。鷹山が火を差し出せば、すんなりとそれに甘んじる。
「生活変えてくれって言うんだもん」
「今更…変えられないよな」
「そ。こんな面白い生活はなぁ」
それから大下は、紫煙をくゆらせた。
「ま、今はそんなに楽しい状況じゃないけどな」
「言えてる」
どちらともなく洩れる、忍び笑い。灰皿に押し付けた煙草が、最後のフィラメントの様に暗がりの車内で赤い火を見せて消える。
二人分の吸い殻で一杯になった灰皿が、時間の長さを表していた。開けた窓から夜の帳が降りた街を眺めれば、どちらともなく吐くため息…彼等が車に缶詰状態になってから久しく、すでに数時間が経とうとしている。それなのにゆったりと構える助手席の鷹山は何を考えているのか、対して大下は運転席で苛立ちを隠そうともせずにハンドルにもたれかかって落ち着きのない子供の様に辺りをキョロキョロと見渡した。
それは明らかな性分の違い。
「ガセじゃあないよな?」
「何回目だよ、その質問」
「忘れた」
「俺も」
けれど、その本質は誰が何を言おうと同じだから―――狙いを定めた獲物を逃がす訳もなく、ただただしなやかにしたたかに狩りの時間を息を潜めて待つだけ。
「…タカの言う事、信じるよ」
不意に変わる声色が告げる、妙に突き刺す様な言葉。鷹山は大下の見やる方向へ同時に視線を向けて、笑いもしない顔で頷く。
「ビンゴ」
そんな風に呟いて、彼はエンジンをかけると目標を遠巻きに追った。

 

1ヶ月前、山下町の児童公園の茂みから一体の他殺体が発見された。至近距離から放たれた銃創が、左胸下方にひとつ―――死後の放置時間から見る状態はこの夏の陽気でかなり悲惨ではあるものの、殺しの手口は綺麗なものだった。悔しいが、見事と言えるぐらいに。
遺体となった被害者は、宮河秀という。年齢は35歳。地味な服装の割には実はイイモノを着込んだ男だった。横浜の人間ではない流れ者で、横浜に大した知人もいない。今まで何をしていたのか、何の為にこの街へ訪れたのか、そんな事を知る者もいない訳で…彼を貫通した後、離れた地表に食い込んだ銃弾だけが手掛りだった。25口径、一般的なラウンドノーズ。だから至近距離プラス、難無く貫通したのだろう。
見上げた空は憎らしいほど青く、浮かぶ入道雲が強い陽射しに白く映る。目眩にも似たその眩しさに目を細め、大下はいつもの様にサングラスをかけた。
「薬筴は持ち去ったけど、弾の方はさすがに見付けられなかった訳ね…」
独白の様に、彼は白い手袋を手から外しながら呟く。
繁華街とは全く違う夜の住宅街は予想以上に暗く、夜間の公園を照らすのは数少ない背の高い照明と道路側の街灯だけだ。そんな中で放った弾丸を探す様な真似を誰がすると言うのだろう…否、どんな状況下でもそんな真似をする奴はいない。
それよりも気になるのは、真夜中の犯行とは言え、住宅街のど真ん中にも関わらず誰も発砲音はおろか争う声すら聞いていない事だ。争った形跡もなく一発で仕留められた事を考えれば、被害者の知人が犯人だとするのが妥当だろう。だが、それにしても…
「サイレンサー付きだったら、素人じゃねぇな」
このご時世、少々金を積めば拳銃の一つぐらい手に入る。自分達警察機関がどんなに足掻いたところで網をくぐり抜ける輩は五万といる訳で、平和を気取るこの国にも大量の火器銃器が雪崩れ込んでいるのが実情だ。正規の高級品ではない、安物のチャチなコピーも多い…もちろん殺傷能力は玩具の比ではない、それでも本物の武器だ。"その筋"の幹部以外、三下がハジキを持てなかった時代はもう随分と昔の事。けれど、そんなものを振りかざす馬鹿はそう多くはないのも事実で。
更に言えば、護身や様を付ける為だけに持つ奴など、オプションの必要があるとは言えない。
「何にしても、仏さんから辿って行くしかないだろうなぁ」
困った時に良くする苦渋の声を絞り出した吉井が、彼の隣に佇んで呟いた。
「それにしても鷹山は何処行ったんだか…まぁた課長が怒るぞ、こりゃ」
「で、何にも関係ない俺がまたとばっちりで怒鳴られる、と」
殺人事件の非常招集にも応答なしな相棒を思い出して、大下はむすっとした。
非番だから彼が何処へ行こうと罪はないが、例の如くイイ女とよろしくやってるに違いない…こっちは野郎ばかり顔を付き合わせて、食欲減退な夏場の現場に出張っていると言うのに。
「本当に居所を知らないのか?」
「何だよ、パパまで。俺はタカのお守りじゃないってぇの」
大下は思いきり不機嫌な声で反論した。

着飾った男女が行き交う豪奢な室内はまるで中世の貴族宅の夜会の様だ…彼等は思い思いに談笑し、またはジャズバンドの生演奏が奏でる音に舞う。
まだお眼鏡に敵う収穫を得ていない彼はカウンターへ行き、お気に入りの上等なバーボンを頼んでそんな光景を眺めた。幾人かの女性を誘い、或いは誘われてみたけれど、これと言った相手は見付からなかった。
―――なに、夜は長いさ。
そう自分に言い聞かせて、差し出されたグラスを受け取ると口に運ぶ。
その時、不意に奪われる視線…白い肌に映える紅いスレンダーなドレスに目を奪われて、寄りかかったカウンターから彼は身を起こした。透き通る様な白い肌が、大胆に開いた背中と細い項で魅せ付けて、しなやかでなだらかなボディラインを表す。会話を止めて振り返った、艶やかな黒髪に縁取られた端正な顔は、まるで西洋人形の様だ―――イイ女、そう思って目で追えば、不意にかち合う視線。
鮮やかな薔薇色の唇がやんわりと笑みを結び、ステージを進むモデルの様に歩み寄る彼女は、鷹山の目の前に立つと口を開いた。
「不躾ね」
「失礼。あまりに君が素敵だから」
彼の言葉に、挑戦的な瞳が妖しく煌めく。
腕まで覆うドレスと同じ紅い手袋の手を恭しく取り、彼は囁く様に尋ねた。
「踊って頂けますか?」
連れだってフロアに立てば、右手を腰に添えてホールドする鷹山に応える様に、彼女はするりと右手を鷹山の肩に置く。
「お上手ね」
「…どうも」
「ダンスの事だけじゃないわ。女の扱いも、よ」
「それはどうかな…」
誘うより誘われる様に顔を寄せて、彼女は鷹山に囁いた。
「…それに危険な香りがする」
「君も、な」
するりと降りてきた手が、ジャケットの上から鷹山の左胸元に置かれる。
「何を隠しているの?」
その手を取って、彼ははぐらかす様に微笑んだ。
「何も。君への情熱以外は」
「…会ったばかりなのに、熱いのね」
彼は二人の間を埋める様に彼女をそっと引き寄せ、耳元に口を寄せる。
「恋に落ちるのに、時間は関係ないさ」
―――危険な香りがする女も、悪くない。
ただ音に合わせて身を委ねながら戯言に酔うのも一時の愉しみだ。さて、この棘を隠し持った美しい花を今夜はどうしてやろうか。
だが、唐突に音楽も談笑も引き裂く悲鳴が響き渡った。全てを中断して騒然となる中、鷹山は弾かれた様にそちらに振り返る。
化粧室の扉から顔色を変えた女性は飛び出してくると、声にならない声でわめいた。
「し、し…死んでる、人が死んでるの!」
鷹山は先程まで身を寄せ合っていた彼女をやんわりと離し、そちらへ駆け出す。パニックに陥る女性を近くの男性に託し、扉を開け放つ。
毒々しいほどの赤い水溜まりを見下ろし、彼は一目で分かる現状に顔をしかめた。
―――射殺死体か。
脅えの隠せない近くの人垣とそれを囲む好奇心に満ちた人垣とを振り返り、彼は「警察だ」と名乗ってジャケット左胸の内ポケットから手帳を取り出す。それから身近のウェイターを捕まえ、「警察に通報しろ」と告げた。慌ててカウンターへ駆け出すウェイターの姿を確認した後、鷹山は苛立たしげにため息を吐く。
目の前の、手足を投げ出してうつ伏せに横たわるフォーマルウェアの男。背後から一発、後頭部から額に抜けた凶弾が化粧室のタイル壁に食い込んでいた。
―――俺がいる所で殺るとは…
犯人もそれを見計らった訳ではないだろうが、何故か挑戦状を叩き付けられた様な気分だった。
それから彼はふと思い出して、ついさっき覚えた顔を探して会場を見渡したが、あの赤いドレスは見当たらない…いつの間にか、あの女は消えていた。

 

昼間の日差しが照る街並みを眺めて、大下はリズミカルにハンドルを軽く指で叩く。山下公園近くの路肩に覆面車を停めた彼は、木陰に入った車内で口を開いた。
「で、ナンパしようとしたら殺人事件に遭遇しちゃったって訳ね。俺達が事件に負われてるって時に」
「……………」
都合が悪いと口を閉ざす癖があるが、今は口を聞きたくないぐらいに不機嫌らしい。そんな助手席の相手を彼はサングラス越しに横目で見やった。
児童公園での殺人事件解決の為に聞き込みへ出た彼等は、奇しくも昨夜起きた新たな事件も追う羽目になった。しかも現場にいたのは、偶然にも同僚の刑事―――鷹山とは。
「どちらにしても、もう一個、抱えるヤマが増えたって事だ」
まったく、横浜は相も変わらず騒がしい街だこと。
大下は変わらずにだんまりを続ける鷹山へさすがに焦れて、話しかけた。
「まだその女の事、考えてんのか?」
「……………」
「知らなかったなぁ、タカが消えた女を追うのが趣味なんて」
「…馬鹿言え」
ようやく口を開いた相手の悪態に、彼は悪戯好きな笑顔を浮かべた。
「違う?」
「気になるだけだ。何か知ってる気がするんだよ」
まだ記憶にも新しい、鮮明な赤。まるで極上のワインの様に甘く漂う色香をまとった、妖しく微笑む女―――あまりの出来事に驚いてその場から出ていってしまったとも思えるが、そんなヤワな女には到底見えなかった。まあ、それでも女である事に変わりないのだから、やはりそう考えるのも正しい気がする。もちろん鷹山も、あんな事の後でまたすぐに誘う様な不純な真似をする気などなくなっていたけれど。
「殺人現場から消えた女、ねぇ…そこまで逃すのが惜しいくらい、イイ女?」
独り言を呟いた後、大下は興味津々な眼差しを鷹山の横顔に向けた。応える鷹山は普段通りに素気なく、強気だ。
「おまえなんか、目が合っただけで完璧に堕ちるぜ」
「俺の視線で、逆にイチコロだね」
「玉砕は目に見えてるな」
「あら、酷いご意見」
「本当の事だからな」
最後に小さく浮かぶ笑み…大下は鷹山から視線を前方に移し、車を出した。
―――何にしても、現場に居合せた目撃者の一人には違いない。
消えた女はともかく、他にも回らなければ行けない先はたくさんある。
「さて、何処に行こうかな?」
無駄に陽気な声で問う大下へ、任せると言う様に鷹山は無言で肩をすくめた。
流れる車窓から眺める街は夏の日差しに煌めいて、眩しいぐらいだ。連れだって歩く人々が行き交う大通りを過ぎ、やがて様相を変えていく街並みに入る。きらびやかな彩りが消えた灰色の街…彼等は建設途中のビル郡が立ち並ぶ一画に踏み入る。
不意に弾く独特の音に、鷹山は顔をしかめた。
「…おい、勇次」
「今のって…?」
聞き慣れた嫌な音に、彼等はひくりと反応する。車を停める様に指示した鷹山を振り返り、大下はブレーキをかけると共に言った。
「バックファイヤーだって」
「建設途中のビルの上からか?」
「…んな訳ねぇか」
大下は吐き捨てる様に言って、二人は車から降りるとその中に駆け出した。
まだ外壁もないコンクリートの巨大な箱は、それでも周りを覆われた網目のシートで薄暗い。なるべく足音を立てない様に、彼等は銃を片手に構えて慎重に進んだ。
「…あれ」
「ああ…」
物陰に身を潜めたままの二人の視界に次第に入って来た人影は、ぴくりとも動かずに壁際の床に横たわっていた。
その時だ―――剥き出しの柱の陰に身を隠し、互いに目配せする二人が事態に顔をしかめた瞬間、その斜め後方から駆け出す硬い靴音が響いた。
「…タカ!」
「俺が行く!」
頷いて別れた二人は互いの行き先に走る。
大下は倒れたままの人物に駆け寄り、その首筋に指を宛てて舌打ちをひとつ…まだ熱の残る遺体は完全に脈を止めていた。彼はすぐに立ち上がり、出口へと向かった足音とそれを追う相棒を追った。
容赦なく反響する音は、サイレンサーを通しても鋭く鼓膜を揺さぶる。否、正確にはサプレッサー(減音器)は発射音を消す事はないのだから、環境によっては派手な音を立てるのだ。とは言え、ただの殺人犯ではない事に違いはない。偶然か必然か、もしや同一犯…壁を削って火花を散らす銃弾を壁を盾にやり過ごす鷹山は、反撃にコルト・ガバメントを走り去る影に向ける。その狙いを同じくかわす相手は再び威嚇する様に連射し、同時に駆け出す。
―――プロだ。
鷹山は追いながら憎々しげに心の中で吐き捨てた。走りながら振り向き様に撃つ的は正確に近い。
「タカ!」
「遅いぜ、勇次!」
後から駆け寄り、反対側の壁に身を寄せた大下が両手でコルト・パイソンを構える。
「悪ぃ悪ぃ、ちょっと死体とご対面しちゃってさ。きっちり心臓に一発」
「…奴だ」
―――2件の、鮮やか過ぎる射殺事件のホシ。
銃撃の消えた後に遠ざかる足音を追って、鷹山と大下は外に駆け出す。だが、辺りを警戒して見渡す二人の視界には何処にも人影はなかった。

 

呼び戻された彼等は、課長の前に集まったまま顔を見合わせた。
「弾が一致した?」
「ああ。これで連続殺人事件に確定だな」
鑑識の報告書を手に答えた吉井から顔を反らした大下は、隣の鷹山を見やる。
「"三人目"って事か」
三人目…建設途中の高層ビルで発見された男は、雪島尚和と言う"仲介業"と表してそれなりに裏の世界では名を売った人間だった。要は麻薬密売の橋渡し。
「二人目の真宮って言う、輸入業者だった男は?」
二人目…つまり、鷹山が一夜のアヴァンチュールを楽しむ予定だった矢先に発見された男だ。
「表向きは何処にもいる小さな会社の社長だが、やたら羽振りが良かったらしい。県警がマークしてたヤク密輸の容疑者だよ」
答える吉井を再び振り返って、大下は肩をすくめる。
「繋がった訳ね」
狙われた相手は三人とも中堅所のヤク密売のディーラーだったと言う訳だ。なんておあつらえ向きにきな臭い事件だこと、と彼は心の中で皮肉る。
「とにかく、これ以上好き勝手させる訳にはいかん!何としてもホシを見付け出すんだ」
近藤の一喝に彼等は頷き踵を返す。
署の出口へ歩きながら、それまで静かに他の面々が交す言葉を難しげに聞いていた鷹山が、はたと何かに気付いて顔を上げた。
「そうか…」
「なになに?」
途端に興味を引かれた大下が覗き込むのを流して、彼は唸る様な声を紡ぐ。
「殺されたのは、長尾…銀星会と繋がっていない奴らだ」
「あン?」
「別ルートの連中なんだよ、三人とも」
思わず顔付きを険しくする大下を前に、鷹山は舌打ちした。
「長尾が噛んでるってのか?」
「噛んでる所か、後ろで糸を操ってるかもな」
不意に憤りを思い出して苦い表情を浮かべた鷹山は、後少しで捕えられる所を何度もすり抜けて行った狡猾で不遜な相手に歯を食いしばる。前に組織へ壊滅的打撃を負わせた一件の時も、奴には難無く海外逃亡を謀られたのだ。海の向こうで、悔しさに歯噛みする鷹山や警察機構を笑っているに違いない。
銀星会が絡むといつも"後先考えない"鷹山の顔が戻って来た事に、大下は口を尖らせて頬を指で掻く。
「でも、あいつは今、日本には………あ!まさか?」
「その、まさか…だろうな」
「濱にカムバックするつもりってか?」
辿り着いた覆面車へ乗り込む二人は、各々にシートへ身を置いてドアを閉める。その中で大下は苦笑い染みた笑顔を浮かべてキーを回した。
「何にしても、パパ達の地道な聞き込みのおかげ…か」
標的から推測するに至った考えに、彼等は街へ繰り出した。

パタリと閉じたドアの横に立ち、大下はくわえた煙草にジッポで火を付ける。それから、車を挟んで横に立った鷹山の物言わぬ横顔へ目を向けた。
「殺られた奴らと同じクラスのディーラーはまだたくさん居るんだろう?」
「そうでもない」
「そうなの?」
「ああ…後、二人ぐらいだな」
銀星会絡みの事にはえらく博識な相棒を、彼は飽きれ顔を浮かべて睨む。暇を見付けちゃあ今も遠い海の彼方にいる相手を追うその執拗さはあまりに行き過ぎていて、もう今更何を言う気にもなりはしない。
「で、その一人がこちらにいらっしゃる訳ね…名前は?」
「守屋。少し前までは銀星会の飼い犬だった奴さ…"あの後"どさくさに紛れて独立したそうだ」
「ルートはそのまま活用してってか」
「ああ」
歩き始める鷹山の後を付いて、大下は半ば剣呑な目付きを目的地に向けた。
スモークの貼られた硝子扉を開ければ、品のない店構えと同じく品のない店内にはカウンターとビリヤード台が2台置かれ、見上げた先の中二階にはポーカーに興じる為のテーブルとルーレット台が並ぶ。
昼間だと言うのに人相の悪い面構えの男達が雁首並べて立ち上がり、突然の来訪者に顔を向けた。その刺す様な視線を一斉に浴びながら、二人は何食わぬ様子で歩を進める。
「守屋…いるんだろう?」
「何だ、おまえら」
「鷹山が会いに来たと伝えろ。雑魚に用はない」
何だと、といきり立つ男を止めたのは、階上からの声だった―――見上げれば、いつの間にか壮年の男が手摺に手を置いて二人を見下ろしていた。
「それには及びませんよ、鷹山さん」
余裕の態度で階下へ降りてくる守屋を睨む様に見守る鷹山は、やがて目の前に立った相手に口を開いた。
「久しぶりだな。前に比べて、随分と大物気取りだ」
「そうですね。1年ほど経ったか…あなたに言い掛かりを付けられてから、こちらも色々ありましてね」
「色々と言うと、飼い主に噛みついた事とか?今も同じ散歩道使ってるくせにな」
「相変わらず、意味が分からない事をおっしゃる方だ…」
守屋は低く喉を鳴らす様に笑う。
「店の趣味は最悪でも、女の趣味はいいみたいね」
急に隣で口笛を吹く大下の視線を追えば鷹山は僅かに驚いて、相棒の皮肉にも気付かずに息を呑む。見上げた先に、先程の守屋と同じく手摺に手を置いた相手の視線がこちらを見下ろしてくるのに彼は気付いた。淡いスカイブルーのスカートスーツに身を包んだ黒髪の美女は、笑いもしない冷たい顔で彼を見つめている。
スリットから覗く白く長い脚がやはり目を奪う。
―――あの女。
微かな苦笑を口元に浮かべて、鷹山は顔を守屋に戻した。
「もう三人…消されたぜ」
「どう言う意味です?」
「長尾から離れた、或いは最初から別ルートだった、おまえの同業者さ」
「………何の事です?」
呟く様に囁かれた脅しに守屋は仄かに顔をしかめ、鷹山を見上げる。所詮は虎の衣を借りた小物だ、虎の居ぬまの安寧に漬かっただけ男は簡単に動揺を見せた。
「おまえが邪魔なライバルを消したか、それともおまえも標的なのか…どちらかだな」
「鷹山さん……」
「何にしても、気を付けるんだな」
そう言い残して彼は、守屋が何か言い出す前に背を向けて出ていった。
閉じられたドアから車に向かう最中、大下はステップを踏む様に軽い足取りで鷹山に追い付く。
「もしかして、後を追いたくなる様なイイ女って?」
「当たり」
「やっぱり?なるほどね」
凡そ悪党を前にあからさまな表情を浮かべない彼が見せた、先程の態度を思えば察しが付く。しかも、そんじょそこらじゃ滅多に拝めないぐらいのイイ女の登場がきっかけなら尚のこと。
「何処の誰かさんか、守屋君に聞けば良かったじゃない?」
「………!」
「あら?」
不意に振り返った鷹山を見て、大下は意外な反応に目を瞬かせる。
「もしかして…忘れた?あ、ちょっと待てよ、タカ!」
答えずにさっさと車に戻り相手に彼は慌てて小走りに追い駆けた。どうやら今回の彼を普段の調子から外させているのは、毎度の銀星会だけではないらしい。
「女泣かせの鷹山さんを動揺させる女、ね…」
それはそれで興味深い―――大下は仏頂面の相方を乗せて、車を発進させた。

 

鷹山は助手席でくわえ煙草のまま外に目を向ける。相棒は何か合点行ったらしく、先程から何も言わずにハンドルを操っている。
―――まったく。
自虐的な気分で彼は心の中でぼやく。
まるでいきなりそこに花が咲いた様な気にさせる、彼女の艶やかな幻影が今もちらつく様で…振り払う様に煙草の煙をため息と共に吐き出しても、無駄な足掻きでしかなく。
―――柄にもなく、思わず動揺した。
何故ここにいるのか、何故守屋の様な小物な男と一緒にいたのか、聞く事すら忘れるほどに。いや、尋ねる事が怖かったのかもしれない。
―――本当に、柄じゃない。
いつだってクールに。それが彼なりの鉄則のはず…もっぱら彼女に出会ってから、調子は狂いっぱなしだ。

そして、嫌な予感はいつだって何の前振れもなく、唐突に訪れる。

大下は大きくハンドルを切って、道を曲がる。破損したフロントガラスに皹を伴って開いた穴に些か驚きながらも大下は、ホルスターから銃引き抜いた相棒の名を呼んだ。
「タカ!」
その声にすぐさま当たりを見渡す彼は、数百メートル離れたビルの屋上で放つ一瞬の光を目聡く見付けた。
「勇次!」
「了解っ」
狙いを避ける様に横道を走りながら、それでも知り尽した自分達の街を彼は最短距離で進む。ビルの下に乱暴に横付けされた車から飛び出す様に降りた二人は、銃をしっかりと携えて中へ入った。ただひとつのエレベーターと階段に別れて屋上に辿り着くと、彼等は反射したライフルの望遠が見えた角へ真っ直ぐ進む。
しかし、予想通りに相手は逃走後だった。
「何で俺らが狙われる訳?」
一足先にエレベーターで来た鷹山が調べる様にしゃがむ姿から目を反らし、大下はぐるりと当たりをを見渡した。まだ真の解決に辿り着く様な見当も付いていないと言うのに、それとも知らない間に自分達は核心に近付いているのだろうか―――だが、鷹山は立ち上がると皮肉な笑みを浮かべる。
「違うな…標的は俺だ」
その手に掴まれた紙に走書きされた横文字の名前の列を、彼は些か色の失った顔で眺めた。
「タカ…それ?」
「慌てて逃げて置き忘れたか、わざと残して行ったか…標的のリストだ」
「殺しのリストぉ〜?」
ひったくる様に手に取り、大下はそのメモを見つめる。
「宮河、真宮、雪島、守屋、澤村……鷹山…マジかよ」
始めの三人は既に上から斜線を引かれ、残る三人の名はそのまま記されている。守屋、澤村、鷹山…再度見直した後、彼は顔を上げた。
「なんでタカまで?」
「"奴ら"の考えそうな事だろ」
「邪魔な人間はデカまで殺るってか…ぞっとしないね」
「如何にも、だな」
そこまでマジなら、容赦はしないぜ―――鷹山は不適に考えて、その相手の姿を思い描く。長尾の冷徹で冷酷で冷静な鉄面皮を。
「そこまでマジなら、容赦はしないぜ」
鷹山が頭の中で吐いた言葉をそのまま口にした大下を振り向けば、彼は苦々しい顔付きで苛立った様相を表していた。
「俺の相棒をマジで殺るつもりなら、な」
「…勇次」
鷹山をじっと見やる大下の目は、いつもの彼とは違う色を映す…射抜く様に鋭く、威嚇する獣の様に強い。
「今回は俺も混ぜてもらうからな、タカ」
銀星会は鷹山の担当だなんていつもの割り切りは無しだ、彼はそう心の中で呟いた。

 

つづく

 


2007/3/23 BLOG掲載

 

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