初な小娘じゃあるまいし、今更こんな事に何を思うと言うのだろう。情熱が美談なんてロクでもない幻想で、欲望を正当化する為のくだらないエゴ。
―――そんな事、嫌になるほど分かっている。
「一度きりで終わる人生なら、それも悪くないわ…」
彼女はそう呟いて、落書きにまみれた高架下のコンクリート壁へ背を預けた。
流れる車体の幾つものライトが通り過ぎて行く。目を向けた先に広がる街並みは、幼い頃に見た海辺の街の煌めく星空の様に、幾重にも連なって煌めいていた。その数だけ命とその営みがあるのだと思い付くのは、単なる皮肉だ。
―――帰らなくちゃ。
泥寧の様になりかける体を起こし、彼女はオレンジ色に照らされる歩道を進んだ。
帰るべき場所などない、いつだって持った事などなかった。けれど、ただひとつだけ、そんな彼女が帰る場所がある。
その先へ…闇の中へ、本来の居場所へ。
いつでも身を置いてきた世界は、離反するには深すぎて出口などない。ひたすらにその中で生き抜く事だけを考えて、生きてきた。だからもう、二度と曖昧で杜撰な夢は見なかった。
―――あなたと私は、違う。
思って顔に浮かぶのは、純粋な笑いだけ。だから、ドレスの下に隠した"棘"を使って男達を逝かせる。今までも、これからも。
―――きっと気付いている、あなたさえ。

 

あぶない刑事 Parting of Shot 中編

 

「絶対、許さんからな!」
案の定な上司の言葉を、鷹山は直立不動で聴かんき坊主の様に聞き流す…表面だけ大人しい相手を近藤は指差しながら言った。
「おまえは署内に待機!事件が片付いて安全が確認されるまで絶対に動くんじゃないぞ。いいな?」
「ですが」
「どうせまた無茶な事を考えとるんだろう?囮にでもなるつもりか!」
図星を指されて閉口した鷹山に、彼は更に「とにかく待機だ」と命じる。それから続けて澤村と言う、突然リストに上がった標的について別の面々に調べるよう告げると同時に保護を兼ねて張る事を命じた。
申し渡された命令を携えて席に戻った鷹山を、背中合わせの席から大下は声をかける。
「タカ、外れろよ」
「冗談だろ」
「いいや、冗談じゃないね。プロの殺し屋に狙撃されたって事は確か」
「勇次…」
凄む声も睨みも無駄、と言う様に大下は顔を反らしたままだ。実は心配症な相手に思わずため息…鷹山はいろいろ一緒に無茶した仲の相棒にまで裏切られて、反論した。
「おまえならどうする?もし狙いが自分だったら、大人しく人に任せて隠れてるか?」
「…しないね」
にやりと浮かぶ笑みを見合わせ、次に大下は肩をすくめた。
「しょうがないなぁ、もう」
そんな風に言われれば答えなどひとつしか無くて…まったく、相変わらずな奴だと皮肉ってみる。とは言え、近藤の懸念にいたく賛同する大下はどうしたものかと顔をしかめた。
「で、まずは?」
「守屋にもう一度会いに行く」
「な……タカ、それじゃあ…!」
確信犯な目が笑う、それを上目使いに彼は睨んだ。
「狙い撃ちされるぜ?」
「その前に焙り出してやるさ」
外からの狙撃が出来ない場所で、と彼は付け加える。
「…あぶない刑事」
「いつもだろ」
呆れる様に笑う相棒を鷹山は振り返って、今度は彼が肩をすくめて見せた。
「決まりだ。さっさと行こうぜ」
「りょーかい」
急かす鷹山に大下はおどけて返す。
監視の目をくぐる様に席を立つ二人に、近藤は逸早く気付いて呼び止めた。
「大下、鷹山」
まだ何か言われるかと振り向いた二人に、近藤は苦渋の表情で低く唸る様に告げる。
「わしは部下の二階級特進なんか、認めんからな」
「分かってます」
鷹山は口に微笑を浮かべて答える。
「…食えないタヌキ」
止める処か、端から止められないと分かっているのだから…大下は小さく笑って、それから先に歩き出した鷹山の後に続いた。

 

囮は鷹山一人ではない―――派手なイルミネーションとライトに占領されたフロアでは、何も知らない人々が浮かれる様に大音量のビートでステップを楽しんでいた。酷く混雑した金曜の夜は、彼の危機感も脅えもまったく我関せずに過ぎて行く…守屋は落ち着きのない様子で店内を見渡した。鷹山と大下はそんな男の近くに、呑気とすら言える態度でソファに腰を降ろす。
「鷹山さん、大丈夫なんですか?」
「安心しろよ。おまえみたいなゴミでも、ちゃんと守ってやるさ」
すっかり本来の顔に戻った守屋に、鷹山はふかした煙草を手に答える。それに続ける大下は、にやにやと人の悪い悪戯好きな笑顔を浮かべた。
「俺達、真面目なお巡りさんだからな」
「お願いしますよ…」
弱った声を洩らして、守屋はうなだれた。
「タカ…本当に来ると思う?」
僅かに上体を傾けて小声で尋ねてくる大下に、鷹山は顔を向ける。
「奴はプロだ、隙を見せれば来るさ。こっちが何も知らずに夜を楽しんでいると思わせればいい」
「なるほど?でもこの混み具合はどうなんだかな…」
「プロだって言っただろ?余計な被害は好まない…ここで狙うなら確実に殺れる至近距離に現れる」
酷く自信たっぷりな鷹山に、大下は口をつぐんだ。
「難しいお話しかしら?」
不意に降りてきた声とふわりと漂う香水に気付いて、鷹山は顔を上げた。
「私達、先に踊って来るわ」
そう告げて、あの夜とは違う黒のドレスを身に纏った彼女は傍らに居たもう一人の女を連れだって、彼等のボックスシートから離れて行く。そんな彼女達の行動に、何を呑気な、と破顔する守屋へ鷹山は以前聞き忘れた事を尋ねた。
「あの女…何者だ?」
「さあ、ただのコールガールじゃないかな…名前を聞いた事もないし」
「コールガール…?」
些か気分を害した彼のしかめられた顔…それすら気付かない余裕を無くした守屋へ、今度は大下が口を開いた。
「じゃ、あの隣のコは?」
目を向ければ、楽しげな笑みを浮かべた大下。
彼が興味を示した相手は異国情緒漂う妖艶な彼女とは違うタイプで、彼女の影に隠れている為か目立たない印象だった。だが、幼げな様相を保ちつつも愛らしい顔立ちは整っていて、間違いなく美人の域に入る。全体的に小造りで華奢な体付きをしていた。
―――言われるまで、気付かなかったな。
そんな皮肉を鷹山は思い浮かべる。彼の目には最初から一人だけを見つめていたらしい。そう言えば、初めて会った時にも彼女が談笑していた相手は、大下が言う彼女ではなかったか…そう気付いて、何故か気まずい気分になった。
「タカはあっちにイカれてるみたいだけど、俺はあのコの方がタイプだな」
「いつも一緒にいるが、話した事はないですね」
答える守屋の言葉を聞いて、大下は笑みを強めた。まさに悪戯好きな子供が面白い悪戯を思い付いた様に。
「じゃ、ちょっくら聞きに行きますか?」
女へ視線を向けたままそわそわと手を擦り合わせる大下に、鷹山は呆れてため息を吐いた。
彼にとって店の雰囲気も客層も柄ではなかったが、誘う様に彼女の前で身を揺らす若い男を退け、鷹山は二人の間に割り込んだ。すると、そうなる事を始めから知っていたかの様に彼女は微笑む。
「君とは良く会うな」
「そうね」
答える彼女はやはり美しく魅力的だった。
「君は何者で、何処から来たんだ?」
「名前を聞く男は今までもいたわ。でも、それにどんな意味があるのかしら?たった一夜の楽しみには必要ないわね」
「教えては、くれない訳か…」
嘆く振りをする相手の前でターンをして、彼女は向き直ると言った。
「男は独占欲で女の名を聞きたがるだけ」
「違うと言ったら?」
「違わないわ」
その手を取って引き寄せれば、するりとかわして美しい面が笑う。
「今夜の思い出に、なんて…棚に並べたいのよ、トロフィーみたいにね」
「それでも、君と出会えた今を楽しみたいね…余計な事は何も考えず」
体よく逃げる相手の手を捕えてもう一度抱き寄せれば、黒を思わせる深いグリーンの瞳が濡れた様にライトで煌めく。
「何を隠しているんだ?」
「何も…」
「本当に?」
「ええ」
今度は大人しく身を任せる彼女は、何処か絵空事をなぞる様に呟いた。
「一度きりで終わる人生なら、悪くないわ…あなたとこうしているのも」
音は騒々しさを消し、ゆったりとしたメロディへと変わる。その曲に合わせて照明も静かになった…フロアはチークタイムに揺れる人影に占領されている。もう一人の女はそんなダンスフロアから離れて、壁に背を預ける様にしながらダンスを楽しむ人山を眺めていた。彼女は時に誘いに来る男を煩げに追い払いながらも、何故かそこに留まっている様だった。やはり、目立つ彼女から離れて一人で居れば、放って置かれる様な女ではない。
「壁の花にしとくには勿体ないな」
唐突な声に振り向いた相手へ、大下はにっこりと微笑んだ。
「こんばんは」
「…こんばんは」
僅かにしかめられた顔が、牽制する様な眼差しと共に彼を見やる。それに苦笑いを浮かべかけながら、大下は了承を得る前に彼女の隣へ立つ。それから、相手の目がずっと見つめていた先にちらりと視線を向け、尋ねた。
「彼女とは仲がいいの?」
「さあ…」
「だって、いつも一緒にいるんだろ?」
「そうね、たぶん」
「じゃあ、仲良いんだろう?」
「どうかしら」
投遣りな口調で答えた後、彼女はダンスフロアの二人を目で追う作業に戻る。真っ直ぐに注がれる視線は何故か熱いぐらいに強い。
大下は隣で同じく壁に背を預け、そんな彼女に言った。
「俺も君と仲良くなりたいね」
暫しの間の後、彼女は深いため息を吐くと今だ去らない大下を剣呑な目付きで見やる。
「………あなた、お友達からもう少し教えてもらったら?」
「何を?」
「女の口説き方」
「あら……」
辛口の冷たい駄目出しに、大下は肩をすくめた。
それなりの楽しい時を過ごした鷹山は、壁際に置き去りの相棒へと歩み寄る。期待半分に待ったホシからの接触もなく、ただ彼女とまた踊る事が出来ただけ。それも彼には紛れもない期待だったけれど。
しかし、何やら複雑な表情を浮かべた大下の顔を見て、鷹山は満足げだった顔をしかめた。
「どうした?」
鷹山と離れた美女を追って既にさっさと立ち去ってしまった存在を思い出し、彼は肩をすくめる。
「彼女を見る目、普通じゃなかった」
「どう言う意味だ?」
「さぁ…なんて言うか、嫉妬?」
怪訝な顔で見返してくる鷹山に彼はくるりと振り向き、続けた。
「タカと楽しそうに踊るのを、さ」
「俺に?彼女に?」
「少なくとも、タカに気がある様には見えなかったぜ」
最後に浮かぶ苦笑はからかい…鷹山はそんな相手を促して、席に戻る為に歩き出した。
「鷹山さん、大下さん!酷いじゃないですか、二人ともいなくなるなんて!」
「目の届く範囲にいただろーが」
脅える相手をわざといじめる様に言葉を返す大下に、守屋は絶望的な表情になって絶句する。
大下は元の席へ戻ると、同じく座った鷹山に尋ねる。
「とにかく、もう少しだけ待ってみる?」
「そうだな」
もしかしたら今日は現れないかもしれないが…彼等、警察が張っているのに気付いて。だが、念の為にとどまる事を決める。
「勘弁して下さいよ、本当にもう…」
そんな刑事達に、守屋はうめいた。

「エリサ」
呼び止める声に振り返る白蝋の様な顔…長い睫の、黒に近い深いモスグリーンの瞳が瞬いて相手を見下ろす。
「大好きよ、エリサ」
「私も愛してるわ、夕美。誰よりも」
「嬉しい…」
自分より小柄な相手を抱き止め、優しくその髪を指で梳く。
人がごった返すフロアをそっと抜け出した彼女らは、化粧室前の廊下から少し奥に入ったスペースに佇んで互いの温もりを確かめ合った。何者にも代えられない存在を想い、愛しむ…不意に夕美は、エリサの宝満な胸から顔を上げて、伏し目がちに呟いた。
「あの男…嫌い」
あの男―――エリサの手を取り、いとも簡単にリードする男、鷹山敏樹。
「どうして?」
不思議そうに返すエリサに、彼女は愛らしい顔をしかめて下唇を噛む。
「だって、エリサがすごく嬉しそうだから…あの時も」
思い出す、初めて接触した夜―――相手を確認する為に近付いたあの時、妖しく微笑む瞳が見つめる先を思い出して、底知れぬ不安を覚えた。
「夕美…馬鹿な事を言わないで」
エリサは困った様に優しく微笑んだ。
「私もあんな男は嫌いよ。自信家で、傲慢で、強引で、そんな男よ」
「でも…あたしは行けないけど、あの人ならエリサと行ける」
「夕美、何を言い出すの」
―――同じ場所へ…でも、きっとそれは単なる幻想。
「あの男は刑事よ」
「知ってるわ。でも…」
―――たぶん、それを望んでいるのは私。
得られないと知っているのに、生温かな夢を見せるから、そんな未来を振りほどく。振りほどいた未来ほど残酷な物はない、いつだって嫌になるほど分かっている。
エリサはやんわりと夕美を離し、その頬を優しく指で撫でる。
「あなた以外とは何処にも行かないわ」
―――それもきっと、私が望む幻想だけれど。

 

彼女は薄いカーテン越しに入ってくる柔らかな夕暮れの日差しを浴びて、何も纏わない体をベッドから起こした。白磁の様に透き通る白く滑らかな肌は、均整の取れた美しい曲線を描く。これが、今まで多くの男達に愛された体だった。
―――そして、彼に抱き締められた体。
手が触れただけで、囁き合っただけで、何故こんなにも熱くなるのか…その先へと踏み込む前にも関わらず。
―――危険だと長年の勘が警告を掻き鳴らすのに。
そして的中した予感は、彼の正体を暴いた。否、始めから知っていたはずだった。
気だるげに長い髪をかきあげ、隣で眠る相手の愛らしい、幼さを何処かに含んだ寝顔を見下ろして慈しむ様に優しく微笑む。
「夕美、起きて。時間よ」
「…もうそんな時間?」
揺り起こされて小さくうめきながら目を開けた夕美は、自分を見つめる眼差しに笑みを浮かべる。
「エリサ、綺麗ね…」
「可愛いわ、夕美」
軽く唇を重ね、エリサは囁く。
―――私の人生の中で、唯一の安らぎは今ここにある。
ここに、長い時間をかけて手に入れた"永遠"がある…例え真実は刹那でも。本当の未来なんて知りたくもない、分かりたくもない。
「さあ、そろそろお別れよ」
微笑む目が宿す暗がりに、夕美はすがる様な眼差しで言い募った。
「エリサ…どうか、どうか生きて。生き抜いて。もう二度と会えなくても」
「分かってるわ」
最後の仕上げを終えたら彼女は二度と戻らない。その事を、夕美は誰よりも知っていた。きっと、出て行く彼女よりもはっきりと、分かっていた。

 

つづく

 


2007/3/23 BLOG掲載

 

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