「澤村の身柄を確保しました」
「分かった」
狙撃を防ぐ為に張った結果、何も知らない澤村はまんまと警察が遠巻きに見守る中でヤクの売買を敢行した。つまり、見事に現行犯逮捕された訳である。
「守屋の方は変わらず、です。何しろ鷹山と大下が張り付いてて…」
澤村と同じ様には行かない事を、吉井は困った顔でぼやいた。
「あいつら…まさか、その男も囮にするつもりじゃあないだろうな?」
ふと思い付いた疑問を何気無く口にした途端、それは現実的な懸念へと変わる…近藤は徐に顔をしかめて、首を傾げる部下達を見上げて言った。
「あの二人は何処にいるんだ?」
「え………あ、さあ?」
「今すぐ連絡を取れ」
―――二階級得進なぞ、わしは絶対に認めないぞ。
頷いて通信室に向かう彼を眺めながら、近藤は深いため息を吐いた。無茶は毎度の事だが、それでも彼は二人を無事に戻って来させなければならない。それが部下を統率する者の役目であり、悪戯坊主どもの"親父"の役目だ。
「課長、無線に出ません」
「仕方のない奴だ、まったく」
椅子から腰を上げた近藤はそう呟いて、通信室のドアから顔を出した部下の元へ足を向けた。

 

あぶない刑事 Parting of Shot 後編

 

弾ける様な音を微かに立てるネオンの安っぽい明かりと艶やかな夜に色付き始める街を、その小さな影は雑多な雑踏をすり抜けて行く。鷹山と大下は言葉もなく、そんな相手を追った。
不意に響く無線の呼び出し音に、大下は少しだけ躊躇しながら助手席の鷹山を盗み見る。今日は何度となく無視を決め込んでいたが、さすがにそろそろ出なくてはまずいだろう。見やった先の彼もそう思うのか、今回はそれを留める素振りは見せず、大下は無線をONに切り替えた。
「はい、こちら港303」
『大下、鷹山!』
「課長…」
厳しさを含む聞き慣れた声に、彼は俄かに苦笑を浮かべた。
『今、何処にいるんだ?』
「えっと…」
言い淀む大下から鷹山は無線機を剥ぎ取ると毎度の無愛想な声で答えた。
「馬車道通りから赤煉瓦倉庫に向かって、現在、犯人を追跡中」
『犯人だと?』
「片を着けます」
まだ何かと言うスピーカーを切り、鷹山は無情にも無線をOFにした。
「タカ…なんか悪い事、考えてたりしない?」
「別に」
「カッコ付けて、勝手に遊び始めちゃったりすんなよ?」
「保証はしないな」
大下のおどける口調の裏に懸念と牽制を覚えて、彼はよりくだけた応えを返した。
一度きりで終わる人生なら、それも悪くない―――そんな世迷事を口にして笑う、寂しげな顔を思い出す。けれど、その目はまるで手負いの獣の様に強く、鋭く、光を失う事もなく…ひとつの迷いもない。何故あれほどに澄んだ瞳なのか、彼には不思議だった。血濡れた手をしながらも汚れる事のない、目。
ドレスの下に隠した銃を、確かに彼は悟った。
―――何故。
誰がおまえの為に泣くと言うのだろう、誰がおまえの為に嘆き悲しむと言うのだろう。
そんなおまえを、誰が。
―――人生を諦めた生き方は、まだ早すぎるぜ。
「タカ」
顎をしゃくって知らせる大下の視線の先に、守屋の姿を見止めて、鷹山は無言で頷く。
鷹山達が目の前から消えた後、守屋は身動き取れずにいた間に痺を切らした取引相手からの連絡を受けて店を出た…もちろん、二人が本当に目を離す訳もない。しかし、そんな事にも頭が回らず慌てて自ら赴くとは、目先を追う小物らしい、まさに愚の骨頂だ。予想通りに取引現場へ現れた男を建物の影に停めた車内から眺めながら、彼等は身を起こした。
「行くぜ」
「了解」
きっとこの何処か近くに、彼女もいるはずだ…そう、鷹山は心の中で確信していた。
所在無さげに腕時計を見やりながら、大きなアタッシュケースを手に守屋は誰もいない廃屋の倉庫前に佇む。
「守屋さん」
物陰からかけられた声にびくりと振り返り、次に彼はバツの悪さを表す苦笑いを浮かべた。
「どうした、こんな所で?」
「お小遣いが欲しくなっちゃったの」
その視界に現れた、目にも鮮やかな真紅のドレス―――やんわりと微笑む白い顔を眺めて、守屋は苛立たしげに言う。
「これから大事な仕事があるんだ。今は遊んでやれないんだよ。だから…」
その額に突き付ける銃口は、まだ冷えていた。
「だから、ちょうだい」
息を呑む驚愕の顔を、彼女は深いグリーンの瞳で見つめる。
「…あなたの命」
驚きに見開かれた目が徐々に恐怖の色を映す様を見やりながら、彼女は引金に指をかける。
「そこまでだ!」
守屋を捕えていた銃口を振り向き様に鷹山達へと向ける彼女は、相手の姿を見止めて寂しげな微笑みを浮かべた。
「やめろ、これ以上は」
噛み締める様に言いながら、鷹山はゆっくりと歩み寄る。
「守屋を呼び付けたのは君だろう」
「ええ」
「片付ける為に…」
「そうよ、仕事は綺麗に片付けるわ」
言って、彼女は守屋を再び銃の切っ先を向ける。響く銃声に火花が彼女達の足元を跳ねた…鷹山の放った威嚇射撃だ。柄にもない、そう皮肉に彼は思うが、そんな事を考える暇はない。躊躇なく引金を引く彼女の白い指が、鷹山の威嚇射撃で大きく身をすくめた守屋の肩口を撃ち抜く。それは、彼女らしからぬミスだった。
舌打ちして素早く身を翻し駆け出す彼女を、鷹山は追った―――「タカ!」と呼び止める相棒の声すら聞かずに。
大下は肩を押さえてうめく守屋へ駆け寄り、案の定にも独り走り出した鷹山の勝手に苛立ちの顔を浮かべた。

ヒールを脱ぎ捨て、白い足が汚れるのも構わず、彼女は走る。
倉庫外壁の角を曲がると僅かに開いた錆び付いた扉と壁の隙間をくぐり、闇の中へ身を躍らせた。数秒遅れて鷹山も辿り着くと、銃を片手に暗闇を窺う。
「…出口はないぜ?」
「分かってるわ…」
問掛けに返る声は微かで、物静かな内部に響く。鷹山は慎重に彼女と同じく中へと踏み込んだ。
「仕事の片を付けるんだろう、隠れてないで出てきたらどうだ?」
「怖い?何処から狙われてるか分からないのが…」
「ああ、君が相手だと思うとな」
渇いた笑い…暗闇をただひとつ照らす漏れ入る月明かりの中、そこにまるでスポットライトを浴びる女優の様に彼女は立つ。その手には似合わない、似合い過ぎる凶器が黒光りしていた。
「私はいつも追う側だった。何人も何人も…その死顔を見る為だけに、生きる為の糧を得る為に」
同じく明かりの下へ進んだ鷹山を、彼女の瞳が見つめた。
「こんなにも追われたのは初めてよ」
「それが仕事だからな」
「…貴方が嫌いだったわ」
くすりと笑う口元が告白する。
「私にないものを貴方は持っている。難無く手に入れる…憎らしいほど」
平穏な毎日を、暖かな人の温もりを。けれどもそれを撥ね除けて非日常を手にする…選択の自由を持っている。あえて危険に身を晒す遊戯を。
「それは違うな。俺にも手に入れられないものがある」
「そんなものがあるかしら?」
考える風に小さく首を傾げて呟く彼に、彼女は猫の様に目を細めた。
「君だ」
―――ふと気付く感情の起伏は単なる幻想。けれど、いつか、確かに覚えた予感。
だからこそ、彼女は冷えた月の様に微笑む。
「…愛してるなんて、言わないでね」
「言わないさ」
鷹山は真っ直ぐに、彼女へ目を向けた。
「まだ愛してもいないのだから」
振りほどいた未来ほど残酷なものはない―――撥ね退けた予感を打ち消す銃声は、死より確かな最終章の開幕ベル。最後の舞台を、ラストダンスを演じる様に、二人は互いのその手を取り合う事もなく舞う。翻した身をかすめて行く銃弾は、囁きの代わりに冷たく響く熱い銃声と共に降る。それは、狂気のワルツの様に。
鼻をつく硝煙の匂いすら、不思議と気にはならなかった。
弾丸を入れ替えて相手を狙い合いながら、終わる事さえ見い出せない狂宴に呑まれそうな危うい誘惑に駆られる。だが、それでも"その時"は徐々に訪れようとしていた。
物陰に身を置きながら、上がる息を押さえて彼等はあえぐ様に口を開く。
「弾切れかしら?」
「そう言う君は?」
各々に彼等は自らの銃の装点を確かめる…指先が震えるのは何故だろう。鷹山は弾を撃ち果たしたS&Wボディガードを腰に戻すとコルト・ガバメントを手に握り直す。
「私はプロよ、甘く見ないで」
「俺もプロだぜ…君の様な人間を捕まえる、な」
同時に身を起こした二人は荷の陰から飛び出すと、互いへ構えたまま対峙した。
決断は最後の、最高の熱を呼び起こす起爆剤―――分かっているからこそ、動けない両者が佇む。
「残りは一発、予備も撃ち果たした…ってところかしら?」
「そっちは?」
「どうかしら…試してみる?」
誘う瞳は初めて出会った時と同じ妖しさを宿して、鷹山を捕らえる。
「今更、辞めようなんて言わないで。こんなに熱くなったのは初めてよ」
「それじゃあ、もうプロとは言えないな」
「…そうね」
重なる二つの銃声が、廃墟と化した倉庫内に響き渡った。
「………っ!」
走る痛みにバランスを崩す鷹山の目に映ったのは、変わらず佇んだまま銃を構えるエリサだった。
「狙いが外れた…」
左肩を手で押さえる鷹山は、唸る様に呟く。
「…そうね」
「俺の、が」
「プロじゃないわね…」
歪める様に浮かぶ微笑…その胸に拡がる染みは彼女の唇の様に赤く赤く、真紅のドレスを濡らして行く。彼女の手を離れた拳銃がカタン、と軽い音を立てて地面に転がった。
「私達…二人とも…」
彼女の細い体が崩れる様に倒れる光景が、彼には何故か酷くゆっくりと感じた。
鷹山は痛む肩を忘れて駆け寄り、横たわる彼女の体を膝を突いたまま抱える。その相手に彼女はかすれた声を紡いだ。
「…エリサ……」
「何だ…?」
「エリサよ…私の名前…」
―――あれほど嫌がったのに、今になって名乗るなんて…滑稽ね。
浮かぶ苦笑が歪む度に、彼はどうしようもない気分で顔をしかめた。
「…今更、何もしないで」
鷹山の腕の中で、彼女は止血しようと触れた相手の手を押しやる。
「一度きりで終わる人生なら、それも悪くない…貴方の腕の中で終えるのも…」
「エリサ…」
噛み締める様にもう一度名前を呼ぶそんな声に、彼女は可笑しそうにゆっくりと目を瞬かせる。それから、囁く様に呟いた。
「ただの我儘よ…忘れて………」
深いグリーンの瞳が僅かに濡れた色を瞬かせて、鷹山を見やる。
やがてそれが虚ろに変わるのを見届けて、何処へ向ける事も出来ない感情の奔流を内に留めたまま、彼はそっと手でエリサの目を閉じた。

 

一夜の手軽な快楽を求めて、男達は夜の蝶を買いに裏通りを歩く。そんなまばらな人波の中を進みながら、彼は街角に立つ夕美を見付けた。
「こんばんは、夕美ちゃん」
「こんばんは、刑事さん」
答えた夕美は大下に微笑んだ。
夕美が"売り"を生業にしているのはすぐに分かった…守屋はエリサをコールガールと言ったが、本物はこちらだった訳だ。元より、標的にすんなり近付く為にエリサが自ら彼女達の様な女に近付いて紛れ込んでいたのも事実だろう。だが、エリサと夕美がただの仕事仲間ではないと、今では良く分かっている。
大下は一度うつ向いてから、彼女に話すべき事を告げた。
「君の友達…エリサ、死んだよ」
「そう」
「誰に連絡したらいいか分からなくて」
「じゃあ、正解よ。私を探したのは」
苦笑いを浮かべて夕美は言う。
「いつかこの時が来るって分かってたのよ。絶対に来るって…避けられないと」
「止めなかったのか?」
大切な人が罪を重ねるのを、目に見える危険へ身を投じるのを―――愛しているのに、引き留めなかったのは何故だろう。
夕美は肩にかけた小ぶりな鞄から煙草を取り出すとくわえ、火を灯す。それからゆっくりと煙を吸い込んで言った。まるで苦い味をあえて楽しむ様な顔で。
「止めないわ。あたしはあのエリサに惹かれた。誰より綺麗で、誰より危なくて、誰より脆かった…彼女の全てが好きだったから」
何も言わず静かに耳を傾ける相手から、彼女は目を反らして続ける。
「エリサが何をして生きていたか、これから何をするのか、いつも話してはくれなかったけど…言われなくても分かるわ。かなり危ない真似をしてるって」
「…だから?」
「思い出は遺してくれた、それで十分よ」
愛らしい顔に浮かぶ哀愁と大人びた妖艶な笑みは、今までの彼女にはない彩りを確かに加えていた。それは余りに甘く、美しく、毒々しく。
「強いんだな…」
「ええ」
―――女はしたたかにしなやかに咲くのだから。
大下は話しを終えて、再び娼婦の顔に戻った彼女から背を向けた。

 

痛みを覚えるのは撃たれた肩ではないと気付き、彼は僅かに顔をしかめる。
「気が済んだか?」
その声は、無謀で自分勝手な相棒への静かな怒りを湛えて紡がれる。だから鷹山は、「ああ」とだけ答えた。
殺しを躊躇した殺し屋と、逮捕をしくじった刑事―――なんて喜劇、なんて悲劇。馬鹿馬鹿しくて笑いも出来ない。
結局、被疑者死亡のまま送検で終わるしかなかった事件は、未だに真相は不明だった。彼女が幾つもの国を越えて暗殺を請け負うプロであったと言う"疑い"が各国機関に残されているだけ…後ろで糸を引く存在の事も、彼女へ依頼した存在も、闇の彼方へ消えていった―――闇へと還った彼女と共に。
長尾に繋がる手掛りはない、それが歯痒い。
ひとつだけ、後になって海外の警察機構から送られてきた使えない資料が余計に彼の苛立たしさを増させた。不鮮明な画像に彼女と思わしき人物と食事を楽しむ"長尾と思わしき人物"の姿写っているだけのそれは、彼等が彼等であると決める事も出来ないシロモノでしかなかった。
「馬鹿だな」
ややあって言った大下を、鷹山は振り返りもしないまま、くだらない反論をする。
「男は馬鹿な生き物なんだよ。おまえだって分かってるだろ」
「違いねぇ」
くくっと大下は笑った。
「そんなに、いい女だったのか?」
「ああ、いい女だったぜ」
「…そうか」
―――危険な女ほど、惹かれるのは事実。
そして、彼女はそんな陳腐な言葉では言い尽せないほどにイイ女だった。まだ恋に落ちる事も、愛を語り合う事も始まらないで終わってしまったけれど。
大下はだんまりを決め込む鷹山に言った。
「女見る目、ないんじゃないの?」
鷹山はようやく、そんな不遜な言葉に驚いて振り返る。
「おまえは見る目がある…って言ってやろうか?」
それに思い浮かぶのは、様相を変えた夕美の姿だ。だから大下は鼻で笑って言う。
「冗談。まだそこまでマジじゃなかったし…」
「当たり前だ、誰が言うか」
「あ、ひでぇ!」
非難の言葉も、相手から始めた皮肉だから鷹山は歯牙にも掛けない。
やがて彼等は日常へと戻って行く。この街が彼等を放っておく事など、ありはしないのだから―――いつか、あの目を思い出す事もあるだろう。でも、きっと、それ以上に思い出す事はないだろう。

一度きりの人生なら、それも悪くない。
そう言った女の笑みに宿る陰を、彼は吹き抜ける夏の風の中に託して歩き始めた。

 

END

 


はい、分かっておられる方もいらっしゃると思いますが、イメージはまんま"アサシン"です。
で、書いてみたら内容がマイアミバイスです(笑)

妖艶で美人の暗殺者が今回、タカさんを惑わす相手でした。
こんなラストになりましたが…実は結構、エリサと夕美は気に入ってます。
恋人同士の設定は微妙かもしれませんが(^_^;)
とりあえず大下さんの活躍があまりないのが無念…orz
まあ、鷹山が主体と言う、かなり初期の雰囲気を意識したので仕方ない。
舞台は、まだ薫も町田もいない港署です。
微妙に寂しいですね、騒がしい面々が少ないと。ははは。

とにかく今回は大人な雰囲気を目指してみました。
うまく表現出来ていればなぁ…
お伝え出来ていたら幸いです。

2007/3/23 BLOG掲載

 

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