あぶない刑事 Stare at Beast 中編

 

知りたい事があるなら、知っている人間に当たれ―――それは当然だが、内容によっては中々に難しい解決法だ。
―――あの人がまだ、入り込んでいるなら。
きっと、何よりもいいネタをくれるに違いない、と彼は確信している。だが、やはりそれは実行が難しいと分かっていた。だから大下は、事件の調査報告を吉井達に任せ、何処か浮かない表情で黙り込んだままだった。
「え〜、射殺された高石ですが、組の金を持ち逃げして昔馴染みの女の所へ転がり込んだ様ですね」
聞き込みの内容を記した手帳を片手に、吉井は現状報告を続ける。
「同現場で共に射殺された飯田美紗子はホステスをしていて、店は二日前ほどから欠勤していたそうです」
美紗子は生前、職場のクラブでそんな事を同僚に相談した事があったと言う。
「ちなみに高石は正式な組員ではなく、銀星会の構成員でした」
「内部粛清に間違いないな…」
田中は閉じた扇子で自分の肩を軽く叩きながら呟く。それを受け、ようやく近藤は尋ねた。
「それで、高石が盗んだ金は?」
「まだ発見されていません」
大方、犯人が持ち出したのだろう…或いは見付けられずに立ち去った可能性もある。だから彼等は小さく頷いて言う。
「部屋が荒らされた形跡もないしな」
「有りかを聞き出して始末したか…」
「違うんじゃない?」
吉井と田中の会話に割り込む様に、大下は口を開いた。振り返る面々の疑問を映した顔を彼は片眉を上げて見返す。
「だって、物音に気付いた隣人が通報して来たの、二人が殺されてすぐですよ」
「探す時間はなかった、か…」
だとすれば、もう一度ホシは殺害された二人に関係する場所へ現れる可能性がある。
考え込む様に押し黙った同僚や上司を見やってから、大下は不意に身を翻した。
「おい、大下!何処に行くんだ?」
気付いた近藤が顔を上げて声をかけるのと同時に、彼は軽快なステップで出口に向かう。
「捜査っすよ、捜査。刑事は足ってね」
立ち上がる近藤の「こら、待て!勝手に動くな!」と言う声も虚しく、大下は疾うに署から駆け出して行った。

―――もし、あの男がまだ続けているなら。
午後3時、早くも日中の暖かさが陰りを見せ始めた陽射しの中で、彼は公園の噴水を眺めていた。待ち人はまだ来ず…集う子供連れや通りすがりに足を止めるスーツ姿の会社員が歩き去る様子を見つつ、大下はその中に見知った顔を見付けると緩やかに歩み寄る。
接触を躊躇したのは確かだ。それでも、立ち止まっている訳にもいかないと分かっているから、彼は通り過ぎる相手を呼び止める。
「梶谷さん」
振り返る男は怪訝に顔をしかめて声の主を探すと、やがて困った様に笑って、大下に顔を向けた。
「おまえか、大下」
「ども、お久しぶり」
おどけた挨拶を受けて彼はいかめしい顔付きに何処となく人なつい表情を浮かべ、安堵とも取れる情を映す。それは、鷹山には見せなかった顔だった―――彼が"松山を演じる"限り。
もっとも、大下が声をかけてきた理由には見当が付くから、梶谷は自分より若いそんな刑事を値踏みする様に眺めた。それを把握して尚、大下はあえて尋ねる。
「殺された高石の金…行き先知らない?」
「俺に聞くなよ」
「つれないんだから。俺とカジさんの仲でしょ?」
案の定な質問に嫌な顔をした梶谷は、それを茶化す相手の物言いに別の男を思い出させられて思わず苦笑を浮かべた。
「珍しいな、おまえが"あいつら"に興味持つなんて」
「別に。お仕事だから」
「だから余計にだよ。嫌いだろ、こっちの世界に首突っ込むの」
「まあね」
「明日は雪でも降るんじゃないか?」
「そうかもねぇ」
―――珍しい事もあるもんだ。
何故、大下がこれまでこだわりもしなかった銀星会へ興味を持つのか…事件のあらましを知っていても、今まで自分を訪ねて来るほどの事などなかった突然の行動に梶谷は戸惑いを覚える。それから、彼の様な人間に接触される事に違う困惑も感じた。
「そんなに…サツにうろつかれちゃあ、困るんだよなぁ」
「そんなに?」
「何か知らんが、一人いてな。何だかんだと煩くてたまらんよ」
大下は梶谷のぼやきに首を傾げ、ふっと笑った。
「潮時って、ヤツじゃねぇの?」
「やな事言うなよ。ヤバイ橋を渡っている自覚はある」
だとしても、彼はまだ、終わらせる目処も立てていなければ、終わらせるつもりもなかった。
「まだまだ俺も、ここじゃあ終われないんだ」
「ヤクザの出世かよ?」
「そんな所」
くくっと喉を鳴らす様に笑う梶谷から顔を反らし、大下はうつ向いた。屈強な顔付きを愉快そうに笑わせれば、彼が実際にはとても人好きな人柄なのだと容易に知る事が出来る。自分が知っている顔を今も失わずにいた相手に、大下は複雑な心境だった。だから彼はそのままで独り言を呟く様に口を開く。
「あんま…無理すんなよ」
思いがけない言葉に梶谷は弾かれた様に振り向いた。そして、僅かにうつ向き気味な懸念にしかめられた眼差しを見つめる。
「おまえに言われちゃオシマイだな」
「あんたには世話になってるからさ、センセイ」
何を今更、と笑ってしまいそうになるのは当然で…警官に成り立ての、まだ悪ガキ具合が抜けない青くさい若造だった相手の生意気な姿を梶谷は思い出した。
「先生か、懐かしい呼び名だな。おまえが影でそう言って俺を茶化してたっての、知ってるぜ」
そんな今更の報復に大下は何も言わずに誤魔化しの笑顔を作り、それから話題を変えた。
「そいつ…どんな奴?ウロチョロしてるってぇの」
なんで、と問う様に大下はにやりと笑みを浮かべて言った。
「もし会ったら、一発殴ってやるよ。梶谷さんの大事な出世の邪魔すんなってさ」
梶谷は悪戯を思い付いた悪巧みの笑みを浮かべる。
「おまえと何処か似た気を持った奴さ」
「…はあ?」
「危なっかしくて、刑事に向いてない無鉄砲な奴」
「何だよ、それ」
あんただって同じじゃないか、そう口を突きそうになった瞬間、不意に鳴る軽い機械音…ポケットベルが呼ぶ。
「行けよ」
躊躇する大下に、梶谷は顎をしゃくって促した。彼はそんな梶谷に目で頷き、近くに停めた覆面車へ向かうと車外に立ったまま全開の窓から手を伸ばして無線機を取る。
「はい、こちら港303、大下」
『近藤だ。高石の殺害現場に急行してくれ。何者かが押し入ったと通報があった』
「了解」
間の悪い、けれども待っていた向こうのアクションに、彼は些か顔付きを鋭く変えて無線を切る。
いつの間にか歩み寄った梶谷は、眉根をひそめて上体を起こした大下に話しかけた。
「大下。昨日の段階では、まだ金の行方は分かってない」
「…そうみたいね」
でも、と彼は大下に低い声で言う。
「今、分かったみたいだな」
「…まあな」
大下は自分を見やる梶谷の前で車に乗り込むと、エンジンをかけた。

乱暴に近い様でアパートの下に横付けした車から出る大下の、その目に最初に映ったのは倒れた二人の制服警官だった。
「どうした、何があった?」
駆け寄り声をかければ、どちらもうめきながら生きている事を応えた。それに一先ずの安堵をし、「すぐ救急車呼んでやるからな!」と言いながら立ち上がって、大下は現場の部屋へ向かう。
彼が開いていたドアに駆け込むと、二人の闖入者が窓から逃走するのと同時だった。慌て窓辺に寄っても相手方は裏庭を回って道路へ走る。すぐに踵を返して部屋から出ると外階段を駆け降りるが、最後を飛び下りる様に地面に着地すると同じくして、バイクの音に大下は道路に出る。
「…待てっつーのっ!」
逃げ行く人影に彼は歯軋りして、悔し紛れに足元の缶を力一杯蹴り飛ばした。

警備についていた制服警官が撃たれた―――その知らせはニュースに載るよりも先に衝撃を伴って警察関係者の間に走った。身内の被害に動揺と共に怒りが膨らむのは当然で、特に現場に居合た彼の憤りも並々ならないだろう。
だが、あんな危ない橋を渡らされた下っぱなど、捕まえるのは造作もない事だった。警官を"仕留める"技量もないのだから彼等とて外れクジを引かされたに違いない…または余程のエサをちらつかせられたか。
―――それなら、意外に強情なのも分かるしな。
大下は取り出した煙草に火を付けた後、しかめっ面の吉井から目を反らして、側に集まってきた同僚へ言った。
「頼まれた、雇い主は知らないの一点張り…」
「よし、ここはワシの出番じゃな」
不意に得意満面な田中が、首の付け根を扇子でトントンと叩きながら身を翻す。その後ろ姿へ彼等は調子良く囃し立てた。
「よっ、落としのナカさん!」
「うむうむ、任せておけ」

 

槇田が狂犬とあだ名されるほど優秀な鉄砲玉だったのは、とうに昔の事だ。今では高級スーツで高級車を乗り回すまでになっていた。皮肉な事に、"彼"が追っていた頃は―――そこまで考えて、鷹山は止めた。
故人の事など今は感傷に浸る暇もないし、必要もない。それに、一個人の感情で動いていると勝手に勘繰られるのも不本意だ。そもそも、感傷など自分の柄ではない。
確かに忘れ得ぬ名前のひとつに違いはないのだけれど。
自動演奏のグランドピアノを真ん中に設置したホテルのラウンジで、彼は時間潰しに英字新聞へ目を落とす。手にしたカップを口元に寄せれば、珈琲の豊かな香りが鼻孔をくすぐった。
やがて鷹山は目的の人物を見付けるとソファから身を起こし、すぐ近くを通り過ぎようとするその一団の進路を遮る。
―――忘れもしない、ぜ…互いにな。
一瞬、かち合った目が互いに語った。
「これはこれは、珍しい顔が見える」
「久しいな、槇田」
護衛だろう若い衆を退がらせながら、槇田は皮肉な満面の作り笑いを浮かべて鷹山を見つめた。凡そ、猫科の肉食獣を思わせる目を細めて、それにも笑みを宿らせる。癪に障る、或いは気の弱い者なら避けてしまいたくなる、絶対の力と自信が写る。
「墓参りはちゃんとされてますか?」
余計なお世話とはこの事―――鷹山はにこりともしない顔で「生憎、忙しくてな」と答えた。
「それはいけませんね。あの人には私も世話になりましたから」
「おまえらの様なダニが、暇をくれないんだよ」
「随分と気が立っている様で…用がなければ、これで失礼しますよ。鷹山刑事」
―――今に見てろ、必ず暴いてやる。

一度、外気を吸い込んで、鷹山は擦ったマッチで煙草に火を付けた。軽く振ってマッチをの火を消すと、そのままそれを捨てる。
「鷹山さん」
支柱わきから姿を現した人影に気付き、鷹山は顔を上げた。
「松山…」
松山は同じく煙草をくわえて、背を預けていた柱から身を起こす。
「俺は冬の海が好きなんですよ」
「なに?」
唐突な話題に顔をしかめる鷹山を見やって、松山は確信めいた笑みを溢す。
「冬の海。静かで荒れた、冬の海ですよ…見た事ぐらいあるでしょう?」
「それが?」
「明日の今頃、日の出埠頭辺りに行ってみたら面白いかもしれませんね」
「松山………」
「いえ、そんな気がするだけです」
―――明日の今頃、日の出埠頭へか…。
鷹山は示唆された言葉を心の中で繰り返した後、そんな他人を信じかける自分に小さく笑った。

 

「槇田?」
言われた名を繰り返した近藤の前で大下が、知ってる?と訊けば、面々が首を傾げる。
取調室から出てきてから考え込む様に田中は難しい顔付きのまま口を開いた。
「銀星会の幹部らしいぞ。昔は武闘派で随分鳴らしたらしいが、最近はビジネスライクな手法に切り換えてそれなりに羽振りもいいらしいな」
「ちょっくら、行ってみますか」
その、槇田とか言う男に会いに―――。

覆面車から降り立つ二人は、些か不機嫌な面持ちで硝子ドアを見やる。先に寄った事務所で留守番だった下っぱを詰めた結果、吐いたのが港近くの某ホテルだった。
「今そいつがいるってぇの、ここ?」
「そうみたいだな…」
尋ねた先の吉井は頷く。
不意に大下は不可思議な感覚を覚えて、ホテルから出てきて自分達の隣を通り過ぎた人影を振り返った。
「行くぞ、大下」
急に足を止めた年下の同僚に気付いた吉井が呼び掛けると、大下はすぐに我に返って「了解」と答え、足早に中へと連れだって入って行った。

 

つづく

 


2007/4/16 BLOG掲載

 

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