この闇が果てるまで、夜が終わるまで、私は歩き続ける。
無意味な感動と無価値な感傷、それらがいつの日か訪れるまで。

例えその先に絶望の淵が在ったとしても、例えこの両肩を押し潰そうと神が命を下しても。

私はこの場で待ち続ける。
追いやられて堕ちるしかなくなるまで。
私はこの場で待ち続ける。

私はこの場で待ち続けている。

 

THE BIG-O  ETC #1 "Still Waiting in the Night"

 

 冷たい感触が身体を支配し、やがて目は人間ではないものの視界へと移り行く…閉ざされた両眼が漆黒の闇を見詰めるように、彼は次第に紅く変わり行く世界を息を潜めて眺めた。
 知らなかったものがこの脳に刷り込まれ、知っていたものが削除されていく不可思議な感触。
 在るべきものが失われ、その代わりに一つの感情が膨れ上がっていく。
―――狂気という、何物にも替えることの出来ない素敵な気分が。
 この目の前に広がる虚無の世界が、銀色の砂が、灰色の廃墟が、音を立てて崩れ行く現実感と反対に広がっていく。 
―――塵は塵に、灰は灰に戻るまで。
 この空虚な"自分"と言う器が朽ち果ててしまうまで、きっとそれは延々と繰り返される。醒めることのない悪夢のように、誘惑を続けるだろう。
 それは、悪意に満ちた蔦が絡みつくように。

 私は死んだ。
 全ての咎と罪をこの手に、この背に、覆い被せられて。
 そして私は甦った。
 脆弱な生物という殻を脱ぎ捨てて。
 私は生まれ変わったのだ。
 人間でも人形でもない、愚かしくも愛しい哀れな存在として、不毛の荒野に再び誕生したのだ。

 

 流れるように移り変わる季節のように、今、この時、甦る頭の中の記憶は擦り切れた画像を繰り返すばかり。
 熱い何かが自分を呑み込み、痺れる様な感触に指先が冷たく変わっていくのすら絵空事のように思える。
 赤い赤い暴挙の痕を包み込むように、鋭い閃光が瞬く間にあたりを埋め尽くし、そして全てを消していく…この視界に映る全てを。
 残された、粒細に輝く銀とも金ともつかない煌きが、ざらつく肌を掠めて頭上へと散っていく。
 何もないはずのこの場所で、誰かが泣きじゃくるように風が唸りを上げて吹き抜けていく。

 そして、気が付くと私は、いつものように重たげな空を見上げていた。
 雑音のように連なる、意味のない音だけが漂々と響いていた。

 

「アラン、私がわかる?」
 ぼやける視界を正そうと数回の瞬きをし、彼は相手の顔を見上げる。
「エンジェル…?」
「そうよ」
 彼は一瞬だけまぶしげに目を細め、彼女の憂いに満ちた表情を愛しげに見詰める。
「砂漠に倒れているのを、同胞たちがここまで運んで来てくれたの」
「一体、何が…」
―――この自分に起きたのだろう。
「1週間も眠ったままだったのよ」
 鈍った筋力の現状は、立ち上がろうと突いた左腕の震えだけで十分すぎるほどに理解できた。
「そうか…」
 彼は大きな溜息を一つ吐き出すと、自力で起き上がることを諦めた。
 それから、彼女の繊細な指をした白い手が自分の髪を宥めるように撫でる感触に身を任せる…まるで幼い頃に戻ったかのように、彼は静かに目を閉じた。
「…私の天使…」
 優しく呟くその言葉に、エンジェルは微かに顔を曇らす。
「君の顔がはっきり見えない」
「アラン、それは…」
「目を閉じていると、すぐに君の姿を思い浮かべることが出来るのに」
 彼は再び目を開けた。
「こうして目を開けば、その姿は霞んでしまう。私の目は君を見ることが出来ない」
 悲観するわけでもなくそう言い放ったアランを見下ろし、エンジェルは顔をしかめた。そして、「もう何も言わないで」とでも言うように、そっと彼を抱きしめる。
「何もかもが夢を見ているみたいだよ、エンジェル。これまでの私とこれからの私…どう変わっていくのか」
「貴方は変わったりしない…」
 柔らかな感触と仄かな心地よい香りに彼は微笑を浮かべた…例え、以前の自分ではなくなってしまったという自覚があったとしても。
「いや、エンジェル。もう既に私は変わってしまった」
「!」
 諦めでも達観でもないその声色は、エンジェルを弾かれたように驚かせる。また、それは更に彼女に悲しみを覚えさせた。
「例え、ある時からの記憶が曖昧になっているとしても、それだけは分かっている。エンジェル、私は"その時"から変わったんだろう?」
「…アラン、そんなことを言わないで。どうでもいいことよ。貴方はここに居る、確かに。それだけで十分じゃない。ちゃんと、貴方は私の傍にいる…」
―――これほど、神に感謝の念を抱いたことはないの。
「私が貴方の傍にいる…それだけで、もう十分よ」
 何かを振り切るように彼女は言った。
 だが、アランはその"当然な幸福"を改めて口にする彼女を理解できないように、小さく首をかしげる。そして言った。
「エンジェル、私はさっきからこの右手の感覚がないんだ」
 僅かに視点の合わない視線で彼は、見えないエンジェルの表情を読み取ろうと足掻くように彼女を見詰めた。
「君のその身体を抱きとめている、その右手の感触がないんだ」
「アラン…!」
 エンジェルは例え彼に見えていなくても、その表情を隠すように彼を抱き締めてその言葉の続きを遮る。
 アランは空ろな笑みを浮かべたまま彼女の背を撫で、そっと囁いた。
「エンジェル、泣いているのか?」
「いいえ、いいえ!泣いてなんかいない…」
「泣いて…いるんだね、君は」
「………」
 深い溜息を一つ吐き出し、アランは震える彼女の身体を抱き締めた。

 

 無意味な嘆きを聞くように、彼はいつまでも熱い砂の上に身を横たえていた。
 乾いた砂が何もかもを飲み込んでいくのを、呆然と眺めていた。
 指先に風が降り積もらせた砂がさらさらと零れ落ちていく…その微かな感覚すら失っている。
 眼を閉じると、痛々しいほどの光が瞼の裏を掠めていった。苦痛のない一瞬の煌きが身を包み、全てと言う全てが呑まれて行く。たちどころに起きた轟音はやがて、震える鼓膜を突き破るように静かに消えていった…残されたのは身動き一つ取れない自分と、何もない前から変わることない砂漠だけ。
「…………」
 渇いた咽喉は言葉を生み出すことなく、掠れた息を吐き出した。
 音が聞こえない。
 雑音ばかりが響いている…それももっともだろう、ここは何もない砂漠。生物を寛大に抱くことすらしない、無慈悲な不毛の荒野なのだ。この場に自分が存在し続けている事実すら愚かしくも夢のようだ。
―――いつ果てるとも分からない、夜のような悪夢。
 ならば今すぐ、この夢を覚まさせてくれ。
 無価値な夢を終わらせてくれ。
―――君の、その手で。
「…エンジェル…」
 彼はその名を呟いた。
 その頭上に、数人の影が近付いていた…

 ふと目を覚ますと、そこがいつもの自室だと気付いた。うっすらと光を浮かべる窓辺のカーテンによって、視界はまだ薄暗い。
 彼は小さな溜息を吐き、"感覚のある左手"で自分の顔にかかる前髪をそっと掻き上げる。それから横を見やり、そこに以前と変わらず傍に居る彼女の存在を観止めて安堵したかのように微笑んだ。
「エンジェル…今は朝か、それともまだ夜なのか?」
―――延々と繰り返される悪夢の最中なのか。
 眼を開けたエンジェルは、体温の低い彼の頬をそっと手で撫でて微笑む。
「夜明け前よ…」
「…そうか」
―――今日も、また夜は明けることが出来るのか。
 そんな当たり前のことですら神の偉業…奇跡を感じて、アランは自らに皮肉な笑いを覚えた。
「夢を見たよ。君たちに助け出される少し前の記憶だ…」
「アラン…」
「あの場所で何かが起きた、それは確かなんだろう。そして私は生死を彷徨うような状況に陥っていた…」
 し…、エンジェルはそう言って、優しく彼の唇に指を当てた。
「身体に障るわ」
 だが、アランは感情の篭らない目を向け、彼女の手を自分の手で握ると口元から離す。
「何故、君がその事実を教えてくれないのか…その訳も、君は教えてくれるつもりはないんだろう?」
「…アラン、まだ朝になっていないのよ。もう少し眠って」
「…エンジェル」
 小さく顔をしかめると、アランは彼女の手を引き寄せて口付ける。滑らかな白い肌を唇で感じながら、彼はその"現実"を改めて確かめた。
「これは夢じゃない…」
 傷が疼く度に、皮肉な現実を感じた。
「そう、夢じゃない。あなたの傍に私がいる、それは真実なのよ」
「"真実"…」
 それ以上のことが一体どれほどのものなのか、とでも言いたげに彼女はアランを見詰めた。
―――真実。それ以上に皮肉なことなど、ありえるのだろうか。
「だから眠って、お願いだから」
 彼女は傷の癒え切れていない彼を案じるように言って、ずれた上掛けを身体に掛け直す。
 アランはそれ以上は何も言わずに眼を閉じた。
―――醒めない夢を、出口の無い迷路を、いつまでも彷徨っているような気分だ。
 例え朝が来ようとも、それは一つの答えを得られるまで続くのだろう。
 彼女の暖かな肌に触れ、しなやかな髪を撫で、艶やかに微笑む唇を味わっても、現実と虚無を繰り返す気分だった。
 心地よさと空しさをどこかで感じていた。
―――例えこの右手が何も感じていなくても。
「エンジェル…だからこそ、私はまだその"真実"も"現実"も確かなものとして捉えられずにいるのだろうか…」
 眼を閉じた彼女は既に答えなかった。
 ただ、夜明け前の仄かな光と、部屋の中を支配する夜の気配が未だに彼らを包んでいた。

 

 不愉快な鈍い疼きが神経を支配し、精神を狂わせて行くような気がした。
 血でもオイルでもない、まったく別の形なきものが体中を駆け巡っていくような気がした。
―――理由無き感情が自分を呑み込んでいく。
 鼻をつく消毒液の匂いも、瞼を通してすら眼に突き刺さるような光も、硬く冷たい金属の感触も、全てが遠い夢の中の記憶のように思えた。
 柔らかな感触も、甘い香りも、耳をくすぐる微かな吐息も、全てが遥か昔の御伽噺のように思えた。
 何もかもが現実ではないように思えた。
―――だが、これが真実。
 偽りではない、自分の姿。

 それは、醒めない夢を、出口の無い迷路を、いつまでも彷徨っているような気分だった。

 

To be Continue...

 


どうやら、アランがマイブームになりつつあるようです。笑。

今回はユニオンにいた頃の二人…
んなわけあるかぁ!!と自覚してるような、ものすごい勝手なパラレルワールド・ザ・ビッグオーです(爆)
いやあ、「あの仮面を取ったら…人間だった時は…彼ってばものすごいイイ男だったらどうする?」みたいなことを考え出したら止まらなくなってしまって。
そしたら勝手に手がこのカップリングを書き始めてました(汗)

ユニオンを出る前のエンジェルって、まだ純な女だったんじゃないかなあ。
パラダイムに行ってから(使命とか目的とかも関係してるだろうけど)、妙に悪女ぶったりし始めちゃったんじゃないかと。
あれですよ、田舎でそれなりにやってきたコが都会に出てスレて行っちゃうという…(笑)
だけど、完全に悪女になってるわけじゃない。
教え込まれたユニオンの人間ではあるけど、それを活かしきれていない、まだ純朴さを持った女。そんな感じがします。
で、そんな彼女の昔の姿を書いてみたくて、初めは単なるアランの独白のみでつづるはずだったこの話を、小説っぽくしてみました。
ついでに、アランとこんな関係だったらどうする?みたいなのも書いてみたくて(^^;)

昔愛した男があんなんになっちゃって、もう男はコリゴリよ〜!とか思ったエンジェル。
だから、なかなかロジャーさんにも心開かなかったのかもねえ<絶対、違うって

 

2003/6/12 『THE BIG-O/Still Waiting in the Night/ETC』 by.きめら

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