盗まれた永遠は慟哭の祈りに近く、それもまた咆哮の如く波間に消えていく。
そして、翼をもがれた鳥の悲しみは地に這う獣へと成り果てる。
失われた仮面の奥底に潜む情念は古の御伽噺のように、微弱な本能に導かれるまま。

神よ。
その冷酷無慈悲な優しさを、何故、罪深き人々の上に齎したのか。

 

THE BIG-O Roger/Angel #4 "It was stolen eternal" 

 

 地上に生きる存在を遍く慈しむ主のように、寛容で絶対的な必然…この両肩に圧し掛かる罪と罰すら、滑稽な思い出のようになっていく。
 それなのに、いつまで待っても背中に残る傷跡のように、それは決して消えることがない。
―――私は私、他の何にもなれない哀れな女。
 遠く離れた記憶の彼方に、今でも見えるものがある。
 暖かいスープに優しい時間。微笑みながら私を「天使」と呼ぶママの声。
「でも、二度と私はそこへ帰ることが出来ないのね」
 貴女だけが私を天使と呼んだ、なんて優しくも残酷な思い出だろう。
 そして、信じた答えが偽りであったと知った時、私の夢は全て音を立てて崩れ落ちた。
 それは、何もない、過去の幻影をその下に包み隠すように倒壊したこの街と似ている。薄暗い闇に全てを葬り去り、新しい虚偽の世界を再構築した街、パラダイム。そこにあるものは真実であり、嘘であり、華燭に彩られたとしてもその陰には確かな廃墟が広がっている。
 私は同じ。
 偽りの微笑みで全てを押し隠し、その手に握る銃で人を殺め、手にするはずの運命を逃した哀れな女。
―――笑えばいい。貴方にはその資格があるでしょう。
 何も知らないことの幸福と不幸を背負って、貴方はずっと歩き続ける。逃げ惑い、失ったものから目を逸らし、それすらも忘れて生きる貴方には、足掻く私の姿がどれほど滑稽に見えたことでしょう。
 だから笑いなさい。
 全てを捨てて、それでも全てを捨てきれずに居る愚かな女を笑いなさい。
 声を上げ、指を差し、罵ればいい。貴方を裏切り、貴方を傷つけ、貴方の守りたいものを奪おうとした私を。
―――でも、貴方は決してそれをしない。
 分かっている。
 だから、余計にそうなることを望んでいる。
 貴方は私のことすらも救い上げようとしてくれた、優しくて残酷な人だから。

 

 何かが失われ、そして何かが齎されたこの街は、それ以前と変わりなく、そしてそれ以降も同じように時を刻んでいくのだろう…裏寂れた古い建造物が見下ろす道を、その漆黒の車体は滑るように進んでいく。
 ロジャー・スミス…彼は記憶喪失の街、パラダイム・シティには必要な仕事をしている。
 装われた文化に動かされるまま、この街の住人たちは生きていた。いや、それすらも偽りといえるかもしれない。だが、彼らは失われた過去を反芻するかのように自ら悲劇へと身を落としていくほど愚かではなかった。
 そしてまた、彼も己に与えられた"ロジャー・スミス"としての運命を疑うことなく歩き続けている。
「また君に会うとはな、エンジェル」
 ロジャーは車を止めると窓を開け、そのに立つ彼女に微笑む。
「ええ、ロジャー・スミス…ザ・ネゴシエイター」
 彼女は小さく笑みを浮かべ、灰色の街の中に佇んでいた。

 

「今度は何を企んでいるんだ、堕天使の君は」
「相変わらず酷いこと言うのね、貴方は」
 責めるように微かに顔をしかめ、ハンドルを握る彼の横顔にエンジェルは苦笑を向ける。
「もっとも、そうではない…と君が言い切れるのなら、その言葉は撤回しよう」
 応えたロジャーは、からかうように彼女をちらりと見やる。
 エンジェルは視線を逸らすと目を閉じ、わざとらしいほどの溜息を吐く。
「もう一度言うわ、ロジャー。貴方って最低ね」
「言われ慣れている」
 彼はまるで彼女の揶揄を愉しげな会話でも聞くように微笑んだ。
「今この街は、不可解な事件に見舞われている」
 彼はそう言って、エンジェルが「だから?」と切り返すを待ってから言葉を続けた。
「君も知っての通り、だいぶ前から巨大な…過去の遺産とも言うべき謎のアマデウスが現れている」
「そうね」
「君は何も思わないのか?」
「…私が何を思うと言うの?アマデウスの暴挙に怯えて震えるとでも?」
「大方の人間はそうだと思うが」
「貴方がそうだ、とは思えないけど」
 小さな嫌味はロジャーの目をいくらかきつくさせ、訝しげに相手を見やる視線に変えた。
「どういう意味だ?」
「貴方が、それに驚き、怯えているようには見えない、と言うことよ」
 黒衣のネゴシエイター…だが、彼はあの漆黒のアマデウスを駆る、選ばれたドミナス。だから、驚愕することはあっても戦慄することはないのだろう、アマデウスに対して。
「運命なんて、皮肉なものね」
 エンジェルは誰に対してでもない呟きを吐き出した。

 

選ばれた者と選ばれなかった者。
選べた者と選べなかった者。
どちらがより皮肉で冷酷な奔流に呑まれて行くのか。
"私"には少しも変わらない事実のように思えた。

 

「私は自分自身が一体何者なのか…たまにではあるが、そう言った疑問に際悩まされることがあるよ。だが、それは誰しもが同じなのだろう」
 ロジャーは、車窓から夜の街並みを黙って眺めているエンジェルに言った。
「何処から来たのか、何処へ行くのか、誰もが悩む問題なんだ」
「それが人生、とでも言いたいの?」
 振り返ったエンジェルの、少し苛立った顔が彼を見やる。
 ロジャーは小さな苦笑を浮かべると同時に溜息を吐き、応えた。
「今の君は、それに悩んでいるように私には見えるが」
 笑みを浮かべたエンジェルから視線を外すと、前方を睨むように見詰めながら運転するロジャーは口を噤む。
「…何でもお見通しってわけ?それはすごいわね、ロジャー・スミス」
 僅かな沈黙が車内を占領し、居心地の悪いギスギスとした空気が流れた…そして、彼は言う。
「私を皮肉る前に、自分の表情ぐらい確認したまえ」
「………酷い人」
 いつかは尋ねなければならなかったこと。
 でも、今はまだ触れたくなかったこと。
 抉るように、失くした過去を掘り返され、そしてぽっかりと空いたまま何もないそれを示唆されても、成す術はない。
「私は、私自身の何かを、疑問に思ったことはないわ」
「そうか」
 例えこれが無駄な虚勢であったとロジャーに悟られても、構わない…彼女はどこかでそう思いながら、視線を漂わせる。
 ロジャーはそれ以上の詰問をすることはなく、ただ小さく、「それは幸運なことだ」とだけ呟いた。

 

 失われた何かを、そして手に入れることの出来ないそれを、埋めるだけの代替があるとしたら。
―――私は幸せになれるのかもしれない。
 それが代替だと知らずに、そして代替だと気付かなければ。
 私は繰り返されるあらゆる出来事をただ、見守るだけの存在であればいい。
 私に用意された舞台も、衣装も、役も、何もかも要らない。
―――私はただそこで、見つめるだけでいい。
 得られない何かを渇望するより、そこから遠く、そんな葛藤すら知らない場所で佇んでいればいい。
 そうだったのなら、私はなんと幸福だっただろうか。
―――そうだったのなら、私はなんと不幸だっただろうか。

 硝煙の鼻をつく匂いと手に絡みつく濁々とした紅が、私の生きてきた道。
 そして、その道を歩き続けることが定められた人生。
 貴方に会わなければ、そうすることに何の疑問も持たずに生きて行けたかもしれない、皮肉な現実。
「君が選べ」
 貴方ならそう言って、私を突き放すのでしょう。私が何も選べずに生きてきたことを知って、尚も。
 そして、そうすることで私が私として存在する理由になるのだと分かっていて。
 何も知らない、何も分かってはいない、真実に盲目な幸福者。
 貴方は世界の中でもがくことよりも、"自分"の中にある真実を求めて歩く隠者なのでしょう。
―――貴方にはその価値がある。
 振り返ることをやめてしまった貴方は、降りかかる全てを受け止めることもなく生きていくのでしょう。
 無慈悲で滑稽な脚本を破り捨て、なぞられる展開を壊しながら、貴方はそこにある定められた道を塗り替えていくのでしょう。
 黒い影に見守れた、黒い天使。
 貴方はそう、神の代行者として遣わされた断罪の天使に違いないのだから。

 

 全てを洗い流すかのように砂浜に濡れた一面を残しながら波は引き、そしてまた押し寄せる。
 聞き流すには、その音は何よりも重たく、そして悲しげだった。
「エンジェル」
 ロジャーは足元を波に遊ばせるエンジェルに呼びかけた。その後姿は今直ぐにでも消えて…まるで最初の場所へと飛び立とうとして…いるかのように思えた。
 彼女の靴が近くに投げ出されるかのように転がっており、それは灰色に見える夜の海岸に滑稽なほど寂しい御伽噺を思い起こさせた。
「君は何処へ行く?」
―――いや、何処へ帰ると言うのだ?
 何もなかった時へ、全てが奪われて失われた時へ、そしてそれすらも忘れ去られた時へ。
「君は何処から来たんだ?」
 振り返らないエンジェルは、彼から顔が見えない位置に佇みながら微笑んだ。
「私は打ち捨てられた土地に生まれ育った、打ち捨てられた女」
 隠された真実を暴くように、神は無情な試練を人々に与えた。そして、それを深く、強く、誰よりも不可解に受け止めた彼もまた、真実に翻弄された人間の一人であることに違いはない。
「私を憐れむ?」
 自虐的な笑い声が小さく現れ、夜の静寂と無意味な雑音…波と風による嘆き…に消されていく。
 ロジャーは囁くように言った。
「君が何処から来て、何をしにパラダイムシティへ来たのか…私はどこかでそれを知っている。だが、それは40年前のある日を境に記憶を失ったこの街の如く、私の中から消え失せている」
 彼は深い溜息を吐き、疲れたようにゆっくりと頭を小さく振った。
「けれど、そんなことが今、何の意味を持つだろう?」
「それは、貴方の中にある答え。貴方自身の選択」
 エンジェルは目を閉じた。
「貴方はそれを行う権利を持ち、そしてその義務を背負わされている」
「それをどうして私が受け容れると思うのだ」
「拒絶もまた、貴方の選択」
 ロジャーは車に凭れかけていた身体を起こし、それから佇む彼女の傍に歩み寄る。
「私が何を選び、何をするか。それすらも予定された運命に組み込まれた、恐ろしく馬鹿げた歯車の一つだとでも言いたいのか」
 答えない彼女は、再びロジャーから背を向けた。そして、まるで波間に戯れる少女のように歩き出す。白い肌の脚が水飛沫を受けて、遠い街の明かりに微かに煌いた。
「そうであろうとそうでなかろうと、それを真実と思うのは貴方自身」
「…全てを私自身に押し付けるのが、神のやり方だと言いたいのか、堕天使よ」
 皮肉な言葉に静かな苛立ちを交え、ロジャーは言った。
「そう思いたいなら、そう思えばいいのよ。ネゴシエイター」
 振り返った彼女は微笑んだ。

 

 全ての厄災はその罪深さに応じて齎された。
 天からの裁きの炎は背徳の街を燃やし、全てを無へと変えていく。
 神は命じたのだ。
 その御業によって、断罪を与えたのだ。
 そして、全ての罪は業火と共に失われた。
 ある日を境に、全てはもとへ。そして、全てはまったく別のものへと変わり果てた。

―――貴方が知っていて、私が知っている…そして、私が知っていて、貴方が知らない世界が此処に在る。

 

「私は私自身が何者なのかも分からない、ただの人間に過ぎない」
「いつも自信過剰なほどの貴方が、珍しく消極的ね」
「だからこそ、私は"人間"なのだろう」
 その言葉は、彼に齎されたあらゆる運命を拒絶し、揶揄し、皮肉っていた。
 選んだと思っていたことが初めから予定されていたことで、信じていたものが初めから彼を裏切っていて、足掻くことももがくことも全て前提で…初めから自分などと言う存在は在りもしなかったのだと思えてならない。
 巨大な舞台に繰り広げられる無表情な喜劇が、誰の意図でもなく続けられる不可思議な状況。
 在り得る物と在り得ない物が混濁した世界。
「貴方が望むように、そして、貴方が望まないように、真実は全て、貴方自身が持っている。貴方が選ぶのよ」
―――その中で一体自分は、幾つの"自分"を演じてきたのだろう。
「貴方が選びなさい」

 

 ロジャー、貴方は選ばれたと同時に自らも選んできた。
 その全てを自分の手で選び取って…だからこそ、貴方は貴方であり続ける。
 そこから逃げ出さず、目を逸らさず、偽りの真実を受け止めずにいれば、貴方は貴方であり続ける。
―――なぜなら、貴方はロジャー・スミスなのだから。
 それは変えられない事実。
 それは変わらない事実。
 誰の為でもない、誰かの計画でもない、そこからは貴方自身の事実。
―――目覚めなさい、黒い天使。
 貴方だけの真実を、見つけなさい。
 鋼鉄の冷たい墓標に沈められた過去も、繰り返される愚かな創造も、全ては貴方自身が選べる真実なのだから。

 

「そうして…君はどんな答えを選ぶんだ?」
 ロジャーの静かな問いかけに、エンジェルは苦笑めいた表情を浮かべて首を横に振った。
「選ばないこともまた、私の選択」
 物静かに言い放った彼女を、ロジャーは理解しがたいとでも言う風に見詰めた。
「さようなら、恵まれた土地の恵まれない神の代行者。貴方に永劫の罪と咎が齎されないように、私は祈っているわ」
 彼女は裸足のまま駆け出す。
「エンジェル…」
 柔らかく彼女の痕跡を留めて行く砂は、やがてそれを無情にも洗い流す波に消されていった。
 まるで、全てを免罪していくかのように。
「恵まれない土地の恵まれない堕天使、それが君の真実だとでも言うつもりか」
 ロジャーは小さくなる彼女の影を見詰め、そしてそれを排除するかのように目を閉じた。

 

 

朽ち果てた広漠の大地に打ち捨てられた、哀れな子供たちに恵みあれ。

 

 

END

 


再び訪れた「あの日」、街は、人々は、そして全てのメモリーが失われた…そして、彼らはまた、何もなかったかのように生き続ける。何も変わらない、そういった日々を。
ロジャーももちろん、それまでにあったことを忘れている。
パラダイムシティに必要な仕事・ネゴシエイトと、人外な出来事に対処する為にビッグオーを操っている。
そして、そこにはかつて堕天使と呼ばれた女もまた、居るのだった…彼女だけが知っている、メモリーを持って。
あの日と同じく全てが失われた人々の中にあって、彼女はそこに自分を見出すことは出来なかった。自分の居場所を…彼の中にすら。

え〜、書きあがってから自分でも意味不明です(笑)
まあ…アニメ最終話の後日談、ってヤツです。
私が考えた、「エンジェルとロジャーが結ばれなかった」話の一つ(って、実際には結ばれてましぇん)で、エンジェルがロジャーのもとを去るシーンってのも書いてみたかったので、やっちまいました。
ごめん…やっぱり幸せになれないよ、姐さん(TT)
タイトルは「盗まれた永遠」。
この世界には永遠なんてものは本当に存在しないようです。
確かに私たちの現実でもそうなんだけど…なんていうか、メモリーが自ら望むとビッグオーの世界は"リセット"されるみたいです。
そう思えたので、その鍵ともいえる彼女が、ある一定の過去を忘れて用意された世界に再び生き始めたロジャーから離れていくのもアリかなぁと。

本当は、彼女も使命やら野望なんかを忘れて、幸せにパラダイムで生きていくような最終回シーンではあったんですけどね。
腐女子のパラレルワールドなんで、そこら辺の勝手な想像はお許しください(爆)

 

2003/6/12 『THE BIG-O/It was stolen Eternal/ROGER&ANGEL』 by.きめら

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