私がここにいる理由。
いつまでも留まっている理由。
立ち去ることが出来ない理由。
分からない、分からない、分からない。
私の中の何かが壊れていく…信じていたものが、確実だったものが、現実が。
私は夢を見ることの無い機械仕掛けの人形。
それなのに、何故私は今、こんなにも多くの苦しみと疑問を抱いているの。

どうして、あなたを見ていると切なくなるの。

 

THE BIG-O  Roger/Dorothy #1 "Doll's Dream3"

 

 人によっては、実に興味深い状況だろう…だが、彼にとっては興味本位よりも憤りの方が先に起こっていた。
「R・ドロシー・ウェインライト!」
 ロジャー・スミスは帰宅するなり、自分のオフィスへ一度入ると勢い良くそこから飛び出した。途中で出くわしたノーマンが、いつもの恍けた…ある意味、非常にマイペースな…声で「いかがなさいましたか?」と尋ねてくる。
 ロジャーは苛立ちを露に、無関係だろうこの老紳士に言った。
「彼女はどこだ?」
「はぁ…ドロシーが何か?」
「何か、じゃない」
 主の様子に、ノーマンはいささか驚いたようだった。まあ、この"紳士"が自宅で感情を露にするのも珍しいことではないし、特に彼女が現れてからは若者らしい表情が見え隠れして、ある意味好ましいとさえ思えた。最も、そのことについて言うつもりはない。この主がさらに臍を曲げるのは良く分かっている。
「散々、私はこの家でのルールを彼女に言ってきたはずだ」
「左様ですな」
「その規則を守ることが大切だとも言ったはずだ」
「ええ、そうです」
「だが…」
 彼はそこで一度言葉を切り、怒りを込めて言った。
「彼女は何も分かっていないようだ!」
「ドロシーが何をいたしましたか?」
 この主の勢いを前にして、あくまで穏やかに問いただすノーマン。
 その様子にロジャーは毒気を抜かれたように一瞬黙り、目を瞬かせた。
「砂時計を壊されましたか?」
「…いや、そうではないが…」
「では、何を?」
 完全に勢いを削がれたロジャーは、「まあ、砂時計は…ペロの仕業ではあったが」と独り言をいい、それから、「大したことじゃあない」とノーマンに答えた。
 それまでの怒り心頭の様子を晒していたにも関わらず、今更「大したことではない」と言うのも可笑しな話だ…彼は自己嫌悪に似た気持ちを覚えて苦笑した。
「それは、ようございました。では、ロジャー様が落ち着かれたご様子なので、ドロシーを呼んで参りましょう」
 ノーマンはにっこりと微笑み、唖然とするロジャーの前から去っていった。
「…まいったな。私としたことが」
 ノーマンは時々、マイペースと言うよりも確信犯的ともいえる穏やかさを表す時がある。そして、それに救われることも多い。
―――人生の年期の差なのか…
 でも、きっとノーマンはドロシーを連れてきた時点でその場からいなくなるだろう。必要以上のことは差し控える、非常に紳士な男なのである…つまり、助け舟はないに等しい。
 困ったようにロジャーは自分の後頭部を掻き、それから、ノーマンが呼びに行ったドロシーに何と言えばいいのか考えをめぐらし始めた。

 案の定、ノーマンはさっさと夕飯の支度のためにキッチンへと行ってしまった。
 残されたドロシーは、いつもの感情を映さない目でロジャーを見上げていた。
「…ドロシー」
「なに?」
「一つ聞きたい。私のデスクの上にあった名刺をどうしたんだ?」
「名刺…」
 誰の名刺か聞く必要もあるまい…ロジャーは他には何も言わず、ドロシーの返答を待った。
 彼女は幾分か不機嫌そうに…ロジャーにはそう見えた…答える。
「捨てたわ」
 彼女は素っ気無い声で言った。もちろん、アンドロイドが嘘をつかないことも分かっていたし、人間のように隠したり言い訳するようなこともないと分かっている。
 それでも…見方によってはあまりに堂に入った様子は、この上なく腹立たしく思えるときがある。
「捨てた?と言うことは、私のデスクの上のものを勝手に触ったということだな?」
「そうね」
「そうね、じゃない」
 完全にロジャーは、前の通りの苛立った表情を顔に浮かべて腕を組む。華奢で小柄な少女ドロイドを見下ろしながら、彼はこの上もなく不機嫌な声で言った。
「勝手に私のものに触るな、と最初に言ったはずだぞ」
「聞いたわ」
「じゃあ、何故…」
 ロジャーが問い質すよりも早く、ドロシーは抑揚のない声で言った。
「じゃあ、あなたは何故、不必要なものをいつまでも捨てないの?」
 彼女はいつもと変わりない様子でロジャーを見上げていたが、彼は予想だにしなかった言葉に驚いて彼女の無表情な顔を凝視した。
「…なん…だって?」
「不必要なものだわ」
 冷徹とさえ言えるようなその声を紡ぐドロシー。ロジャーは違和感を小さく覚えながら、反論した。
「…その判断は、直接もらった私が下すものではないか?」
「そうね、ロジャー」
 悪びれない答えに、思わず彼は閉口する。
 ドロシーは、彼が次の言葉を捜している間にその場から立ち去って行った。

―――確かに、不必要なものだろうな。
 ロジャーはオフィスのソファーに寝転がったまま、天井を見上げた。
「パトリシア・ラブジョイですわ」
 そう言って、あの女は新しい名刺を渡してきた。
 前の名はケイシー。そして、「エンジェル」と言う名で呼ぶことを要求する…不可解極まりない、謎めいた女だ。その真意や目的、危険性など計り知れない。
 確かに、あの女の名刺は何の意味も成さないだろう。完全な偽名か、もしくは表の顔だけしか追うことは出来ないものに過ぎない。とはいえ、特に意味もなく捨てずに置いておいた訳でもない。例え真実を掴めなくとも、正体を暴く時の小さな糸口になるかもしれない…証拠品の一つとしても考えられるからだ。
―――それを破り捨てる意味が何処にある?
 何度も仕事の際に介入してきたあの女への苛立ちから名刺を破るとしたら、ドロシーではなくこの自分がするはずだ。燃やしてしまいたいぐらいに腹が立った時もある。だが、そのような"紳士"らしからぬ愚鈍な行為を行おうとは少しも思わないだけだ。
―――では、何故…ドロシーが?
 彼女がエンジェルの名刺をただゴミとして捨てるのではなく、破り捨てたところにどんな意味があるのだろうか。
「どうしたの、ロジャー」 
 不意に、ドロシーが部屋に入ってきた。
 灯りも点けないで考え事をしていたロジャーは、廊下の明かりを背にして入ってきた小柄な影に少しだけ目を細める。
「まだ怒っているの」
「…いや」
「じゃあ、どうしてそんなに難しい顔をしているの」
 ドロシーの言葉に、ロジャーははっとしたように身体を起こした。
「難しい…?ああ、少し考え事をしていたから」
「そう」
 何の興味も示さない彼女を見て、彼はつくづく自分の中に生まれた疑問を強く感じ始めていた。
―――私には、君が良く分からない。
 人に似せられた外見と、人を模倣したプログラムの産物である彼女を理解するなど、到底できないだろう。いや、そういうものだと割り切れば済むことでもあるのだが…時々、そして最近では良く、彼女の反応はそういった予想や憶測を裏切っていた。悪い意味ではない。だが、時折困惑せざるを得ない場合が多々あるのだ。何かに特別固執することもない…娘として彼女を製作した"父"ウェインライト博士のことはともかく…彼女が、そのような様子を垣間見せることが。
「君のことだよ、ドロシー」
 素直に白状すると、ドロシーは一瞬だけ凍りついたようにロジャーを見つめた。その反応もまた、ロジャーにとっては驚くべきことで、思わず目を瞬かせる。
―――また、だ。
 そう心の中で呟く。
「どうした、ドロシー?」
 思わぬアンドロイドの反応に、彼はいささか気圧されて尋ねる。しかし、ドロシーは冷たい顔を小さくしかめ、そんなロジャーを射抜くように見た。
「…私は時々、あなたが分からなくなるわ」
「それは私としても、同じことだね。君のことを理解できない時がある」
 微かに笑みを浮かべて、ロジャーはドロシーを見つめた。
「第一に、君は必要最低限のことしか喋らない…いや、端的過ぎて理解できないことがある」
 それも、人間相手ならば表情やジェスチャー、様子で察することも出来るだろうが。
 ドロシーは機械とは思えないほどの滑らか動きで歩き、デスクの近くに立つ。そして、そっとデスクの上に手を置く。今彼女がどういった表情を浮かべているのか、背を向けられているロジャーには分からなかった。
「あなたが余計なことを喋りすぎるのよ」
 アンドロイドの反論に、ロジャーは思わず微笑んだ。だが、次にドロシーが呟いた言葉で、その笑みは驚きに再び変わる。
「…どちらが本当のあなたなのか、分からなくなるわ」
「それは、どういう意味かな?」
―――-どちら?私のどちらが本物なのか?それはどういう意味だ?
 そう問いかけるように見つめたが、彼女は気付かないのか…それとも意図的に無視しているのか、答えなかった。
 ただ、ちらりと視線を向けただけで踵を返して部屋を出て行く。
「…ドロシー?」
「おやすみなさい、ロジャー」
 その言葉が完全に消える頃、ドアが閉められた。

 部屋を出る前にドロシーが向けた視線…僅かだが、初めて見た"感情"のようなものが混じっていた気がする。
―――まったく、良く出来たアンドロイドだ。
 彼女は、作られてから一体どれほどのメモリーを…どれほどの人間のそれを、背負っていくのだろう。人間である自分に置き換えると、その人生は過酷で、残酷だ。だが、そんなことは思いもせずに彼女は存在し続けるのだと思う。
―――しかし…
 それよりも、あの時ドロシーが見せた感情の片鱗の方が、余程気にかかる出来事だった。
 それは…アンドロイドとは言い切れない、さりとて"女"とは言えない、本当に微かな…小さな欠片だった。
「この私の理解の幅を超えるとはな…」
 溜息を吐いたロジャーは、それでもどこかしら満足そうに小さな笑みを浮かべた。
 頑なな彼女が、僅かでも人間らしい何かを覚える様は良い兆候とさえ思えた…それが、例え先ほどの苦しいくらいの悲しみに満ちた目であったとしても。
―――だが、あの目は一体、何を物語っているのだろう?
 ふと、彼は立ち上がった際に自分のデスクを見やった。
「これは…」
 ロジャーはそこにあったものを手に取ると、彼女が出て行ったドアの方に目を向ける。戸惑いと同時に微かな新しい感情が自分の中で絡まりあうのを自覚した。
「…とはいえ、問い質しても答えないだろうな、君は」
 苦笑を浮かべたロジャーの掌には、見覚えのある色のルージュがついた新しい煙草が一本、置かれていた。

―――私には時々、あなたが分からなくなる。
 苦しいくらいの何かが四肢を支配していく。
 分からないことだらけ。
 ここに居続ける意味も、最初の目的はすでに失せ始めている。
 彼が居るから、自分もここに居る…そんな、理解できない可笑しな理屈が浮かんでくる。
 そして、自分の知らない"誰か"が彼の傍にいることを「嫌だ」と思い始めている。
 自分が分からない。いや、分かりたくない。
 彼と出会う前までに積み重ねられてきた月日が霞んでいくような感覚…大切なお父様の思い出も、新しいその存在に過去のものとして押し込まれていく。
 信じていた世界が曲がっていくような、不思議な感覚。
―――いえ、私は何かを信じたりはしない。
 そこにある"現実"だけが、私の捉えられる真実。
 でも…新しい、"要らない"ものが私の中に積み重ねられていく。
―――これは誰のメモリー?用意されていたプログラムなの、それとも…
「教えて、ロジャー。私はあなたの何なの?」

―――そして、その"誰か"はあなたの何なの…

 

To be Continue...

 


嫉妬ドロシー。笑。
エンジェルの影に苛々している様子…でも、そんな自分に気付いていない。というか、気付きたくない彼女。
ロジャーからアンドロイドとして扱われることに不愉快な気持ちを覚えつつも、アンドロイドであることを自分に言い聞かせることで身を守ろうとしています。
って、ここで説明してどうするんだ私(爆)
実はノーマンさんのキャラ、好きなんですよ。シリアスムードの時にぽっと出てくるお惚け感がバットマンのアルフレッド(コメディタッチのアニメ版かな?)に似てて。笑。

あ、まだ続きます。

2003/3/1 『THE BIG-O/Doll's Dream3/ROGER&DOROTHY』 by.きめら

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