あなたは私をアンドロイドと呼ぶ。
私はそれを甘んじて受容する。
何故なら、それは変える事の出来ない真実だから。
"雨の中、傘を差すぐらい極当たり前のこと"。
もし、私があなたの傍にいることがそれと同じくらい自然なことだと感じ始めているのを知ったら、あなたはどう思うだろう。
そんなことありえない、と言うのだろうか。
"雨の中、傘を差さずに踊る人間がいてもいいさ"。
そう言って、あなたは笑ってくれるだろうか。
THE BIG-O Roger/Dorothy #1 "Doll's Dream4" |
「電話よ、ロジャー」
パラダイムのネゴシエイターは振り向いた。
僅かに雪が残る夕方の街を屋上から眺めながら、彼は顔に厳しさを表している。
「わかった」
ロジャー・スミスはそう答え、ドロシーの横を通り過ぎた。
「…………」
―――誰なの?
その問いかけを彼女は口にせずに自分の中へ押し込む。
電話の相手は、幾度となく聞いたことのある声だった。初めて"彼女"がここへ訪れた時のロジャーの顔を思い出すと、何とも言えない苛立ちに似た感情プログラムが動き出すようだった。いや、これはただのプログラムによる人を模倣した反応なだけだろうか…わからない。それに、自分は"彼女"とは会ったことがない。会ったこともない人間に、自分が何を思うと言うのだろう。
部屋の中に入っていった彼の後姿を眺めつつ、ドロシーはそこに佇んでいた。「…一体、今度は何の用なんだ?」
『あら、随分冷たいことを言うのね』
その言葉とは裏腹に、彼女は電話の向こうで楽しそうに笑みを浮かべたようだった。
『教えてあげた方がいいと思って、電話しているのに』
「そう言って、君は何度私の邪魔をしたか分からないな」
『失礼ね、ミスター・ネゴシエイター。私がこうしてあなたに連絡を取っている時、それほど酷い目にあわせた覚えなんかないのだけれど』
「…ほう?」
ロジャーはすうっと目を細めた。
相手も彼の反応が見えるかのように、声にからかいの色を濃くした。
『まあ、いいわ。とにかくそう言う事だから』
「…わかった」
今回請け負っている仕事は、さほど難しいものではない。本来のネゴシエイトをするまでだ。
だが…彼女が絡んでくると言うことは、それなりの理由があるのだろう。一体、どんな裏があるのか気になるところである。
「まあ、いいさ」
電話を切った後、電話越しに彼女が呟いた言葉を繰り返してみる。
自分の目で確かめなければ、ネゴシエイトが可能かどうかはまだわからない。彼はただ、用心する度合いを増やしただけだった。
「ロジャー、仕事?」
「ん?」
入ってきたドロシーの方を向き、ロジャーは「ああ」と答える。
「…そう」
彼女はいつもと同じように言い、部屋を出て行こうとする。だが、ロジャーはそんな彼女を静かに見つめながら言った。
「それほど難しい仕事じゃないが…まあ、あの女が絡んできたとなると、裏でパラダイム社が関係しているのかもしれないな。今の所、そうとは思えないほどの小さな事件だが」
「…………」
「ドロシー」
微動だしないアンドロイドの後姿に、そっとその名を呼びかける。
振り返ったドロシーは、「なに?」と答えた。
「調子がまだ悪いようだったら、もう一度メンテナンスした方がいい」
「…別に、なんともないわ」
どうしようもない…治すことなど出来ない故障だと納得し始めていたから、彼女はそう答えた。
「そうか…」
ロジャーは小さく微笑み、変わった所など見つからない彼女の様子に…言葉にすることはなくとも…安堵した。
「では、行ってくる。夕飯は要らないとノーマンに伝えてくれ」ロジャーは苛立った様な顔をして、自分の横に座った相手を睨む。カウンター席には今の所、ロジャーと彼女、それから名も知らない一人の客が離れて座っている。
インストールの爪弾く心地よいピアノの音色も、今の彼にとっては何の癒しにもなっていなかった。ただ、この"女"の不遜な微笑が彼の中の疑念を強くしていく。
「あの、可愛いお人形さんはあなたにとって何なのかしら?」
「…何か用なのか?」
ドロシーをアンドロイドだと皮肉ることも多いロジャーだったが、別の誰かが彼女をそう言ってからかうのは不愉快極まりなかった…矛盾した感情ではあるが。それだけでなく、ロジャー自身をも揶揄するような言われ方をされると、余計に腹が立った。"彼女"のように確信犯的な声色であると特に。
「相変わらず冷たいわね」
エンジェルと名乗る堕天使は、黒衣のネゴシエイターに言った。
「君の情報を待つ前に、仕事は終わった」
「そのようね」
端的に、彼は彼女に「不必要」であることを告げたが、彼女の方は怒ることもなくその皮肉を静かに受け止める。
「今更、話す事もないだろう…今の所は」
「どういう意味かしら?」
―――分かっているくせに。
ロジャーはグラスをテーブルに置き、ちらりと彼女を見やった。淡いブロンドの髪を下ろした今の彼女は、ローズウォーターの秘書をしている時よりずっと女らしくて魅力的だ…だが、それ以上に謎めいていて、危険な女だ。
「君が何者で、どんな目的を持っているのか…そして、何故私の前に現れるのか。今それを議論するつもりはないだけだ」
「いずれ分かることよ」
「…………」
エンジェルはバーテンが差し出したグラスを受け取る。淡い色彩のカクテルが、店の照明で微かに煌いた。
「今日は仕事じゃないわ」
「ほう…」
ロジャーはいぶかしむ様に彼女を見つめる。
「プライベートで会うような間柄だとは思っていなかったが」
「言うと思ったわ、あなたなら」
エンジェルは再び微笑み、彼を見つめ返した。
「私のことなら何でも分かっている、とでも言いたげだな」
「そんなこと言ってないわ、自惚れ屋さん。私はただ…」
一度言葉を切り、彼女はカクテルを飲んだ。そして、言葉を続ける。
「あなたが優しくて、とても残酷な男だって分かっているだけだわ」
女の直感よ…とからかうように微笑み、エンジェルはロジャーを見やる。
「私が残酷、ねえ。一体どうしたらそんなイメージをつくんだ?」
「あのお人形さんなら、私の言っている意味が分かるかもしれないわね」
「…………」
―――ドロシーなら分かること。それは一体、どんなことなのだろうか。
「どうも、私には君のことが分からない。言っている内容もね」
丁度、インストルの演奏が終わった時だった。店内に賛美する声と拍手が響いてる時、エンジェルはロジャーを軽やかに笑った。
「エンジェル…?」
「それも、いずれ分かることだわ」
彼女が魅惑的な笑みを浮かべ、ロジャーにそう言った。―――彼女が言うように、私は残酷な人間だろうか?
もちろん、自分を聖人君子だなんて露とも思ってはいない。この世に完璧な人間などいるはずもないし、一人一人異なった性質を持つ特異な生き物であることは分かっている。
"アマデウス"のドアを開け、ロジャーは先に出て行くエンジェルの姿を眺めていた。
「…もう少し、違う形で出会っていたらな」
思わずにはいられない呟きを吐いたロジャーに、「なに?」とエンジェルは振り返る。だが、彼ははぐらかすように「なんでもない」と苦笑を浮かべて言った。
―――例え違う出会いをしていたとしても、自分は自分、彼女は彼女で、今と何も変わらなかっただろう。
「今日は"それなり"に楽しかったわ、ロジャー・スミス」
「それはどうも」
エンジェルは通りかかったタクシーを手を上げて停めた。ドアを開き、乗り込んでいく。
「またいずれ会うと思うけど…」
「…そうだな」
―――望もうと、望まなかろうと。
冷たい夜風が薄く雪に覆われたアスファルトを撫でていく。そして、それはロジャーの黒いコートを小さく揺らした。
「あなたとはもっと違う形で出会っていたらよかったわ」
エンジェルはそう呟き、ロジャーが何かを言う前にタクシーのドアを閉めた。ガウン姿のロジャーの後姿を見つめ、ドロシーは部屋の中央で立ち止まった。彼は窓から外を眺めており、重たく圧し掛かるような雲に覆われた夜空からは昨夜と同じように粉雪が降っている。
「誰だったか忘れたが…」
ロジャーは背を向けたまま、部屋の中にいるドロシーに言った。
「雪は小さな天使だと言った人がいた。御伽噺かなにかだと思うが」
「そう」
そしてゆっくりと振り返る。
「ある女性から、"あなたは残酷だ"と言われたよ。君はその意味が分かるかい?君になら分かる、とも言っていたんだが」
「分からないわ」
―――その"人"と私は違うものだから。
落胆するでもなく、ロジャーは「そうか」と呟いた。そして、再び窓の方に向き直る。息を吐くと、窓が白く曇る…冷え込んだ外気のために、それはしばらく経ってから徐々に小さくなって消えていった。
彼女は物言わぬ彫刻のようにそんな彼を見つめていたが、不意に問いかけた。
「あなたは天使に会ってきたの?」
「なんだって?」
弾かれたようにロジャーはドロシーを振り返った。
「人間は時折、遭遇した出来事を自分を納得させるような…言い訳するような…遠まわしの言葉で説明するわ。架空の絵物語でもなぞるように」
「…ドロシー」
ロジャーは一瞬だけ驚いたように彼女を見やったが、すぐに口元に笑みを浮かべた。
「そうかもしれないな」
エンジェルという名の堕天使に会った…そして、彼女が去った後に街は白くて冷たい、小さな天使に覆われていく。積み重ねられた罪を消していくように。失った時間を埋めていくように。
「"アマデウス"で、羽根をもがれた堕天使に出会ったよ」
「堕天使?」
「ああ。何かを求めて、一人もがいている堕天使だ。戻る場所を失った…言っている意味が分かるかい?」
「分からないわ」
ロジャーは「…だろうな」と言って苦笑した。
自分でもそう思う。何を言っているのか、何を言わんとしているのか、分かりにくい事この上ない。
―――自分はあの女の何を知っていると言うのだ?
彼女が執拗にメモリーを求める本当の目的は分からない。何かを求めているようにさえ見える時があるが、それが今自分が言った"戻る場所"であるのかも分からない。失った記憶なのか、彼女の故郷なのか…そもそも、"戻る場所"なんてあるのかどうかさえ知らない。
ロジャーは自分の思考を止め、苦笑した。
「私の言ったことは忘れてくれ、ドロシー」
「分かったわ」朝目覚めると、雪は解けて消えていた。夜半に降った雪は、積もるほどのものではなかった…そして、朝の気温が上がると同時に雪は雨へと姿を変え、町を覆っていた薄化粧を洗い流してしまったのだ。
今日はいつものピアノが聞こえなかった。とは言え、その旋律は居間から確かに届いてはきている。繊細で悲しげな旋律は、朝に似つかわしくないものであったが。
「消えることのない罪、か」
灰色の街を眺めていたロジャーは、小さく呟く。そして、彼は髪を撫で付けると苦笑を浮かべ、いつものスーツに着替え始める。肌が朝の空気に触れて、少しばかり寒く感じた。
暖房の効いた邸宅内でも、朝の冷え込んだ空気とやらは確かに忍び込んでくる。清々しいとさえいえるような、澄んだ空気であっても…突き刺すように鋭いとさえ、寝起きの彼には思えた。
「曲が終わる前に、そろそろ部屋から出るか…」
さもなければ、例のあの曲がこの気分をぶち壊してくるだろう。
―――それもまた、たまにはいいさ。
今なら、疑念に満ちたこの頭を彼女の正確な音が切り替えてくれるだろうから。To be Continue...
歩み寄り第2弾。笑。
今回はエンジェルを出してみました。
やっぱり、ライバルが姿を見せないと進まないので…とは言え、彼女の話はRojer/Angelの方でまた取り扱うと思います。
でも、別にストーリーはリンクしてないんだよねえ。
ここでのエンジェルはライバルでもあり、先生みたいな存在でもあります。
ドロシーにとってもロジャーにとっても…って、またここで説明している私って。爆。
やっぱり、続きます。
冒頭の"雨の中、傘を差すぐらい極当たり前のこと"。って、R.Dのセリフなんですよね…
まあ、アンドロイドのセリフってことで許してください。
ロジャーの"雨の中、傘を差さずに踊る人間がいてもいいさ"。って言葉が使いたかっただけです(汗)
2003/3/1 『THE BIG-O/Doll's Dream4/ROGER&DOROTHY』 by.きめら
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