私の名は、ロジャー・スミス。
40年前のある日を境に記憶を失ったこの街、パラダイムシティに必要な仕事をしている。
そして、私が彼女と出会ったのもこの仕事がきっかけだった。
運命の皮肉なのか、それとも悪戯だったのか―――

いや、そんなことはどうでもいい。
あるのは真実だけだ。
そう…私は、R・ドロシー・ウェインライトと出逢った、それが事実なのだ。

 

THE BIG-O  Roger/Dorothy #1 "Doll's Dream5"

 

 ドロシーの不調が良く分かる日だった。
 殆ど表情を見せない彼女だったが、それでも冷たい顔に小さな戸惑いと苦痛を表している。
―――こんなことは初めてだ。
 ロジャー・スミスはダイニングで用意されたディナーを取りつつも、向かいに座ったまま目を伏せているドロシーを見つめた。
 自分にどんな問題点があるのか彼には思いつかなかったが、彼女はいつもロジャーに向かって仏頂面である。彼女が微笑を浮かべて接してくることは一度たりともなかった。そう、このアンドロイドの少女は殆ど言っていいほど、彼に表情らしい表情を向けたことがない。それが意図的に彼女の
感情…メモリーがそうさせているのか、それとも彼女の本来の姿が表れているだけなのか分からなかったが、もし不調を覚えたとしてもロジャーを前に顔をしかめたりなどはしないはずだ…以前の彼女ならば。
「ドロシー…?」
 ロジャーが堪りかねて問いかけると、彼女ははっとしたように顔を上げた。それを見て、彼は苦笑する。
「どこか、調子が悪いのか?」
 もっと以前から彼女の不調に、ロジャーは気付いていた。
 ノーマンがメンテナンスをしたこともあるが、その時はさしたる問題点は見つからなかった…決して、まったく気にかけてこなかったわけではない。その逆で、機会があればもう一度メンテナンスをするように言うつもりだったのだ。
 しかし、彼女にいつもの顔で「なんでもない」と言われれば、それ以上踏み込める余地はないに等しい。
 今こうして、簡単に察することの出来るほどいつもと違う表情を浮かべる彼女に対して問いかけたが、彼女は…ただの強がりなのか、それとも本当になんでもないのか…くっと上げた顔にいつもの無表情を浮かべて、「別に」と答えてくる。
 ロジャーは小さな溜息を吐き、ワインを飲んだ。
―――一体、何が彼女をそうさせるのだろう?
 彼女は微笑まない。彼女は…アンドロイドだから、という現実的な意味ではなく…泣かない。苛立ちもしない。いや、怒りや苛立ちを人間のようにヒステリックに表さないだけだ。ただ静かに、冷たい視線と無表情な声で矛盾点や真実を告げるだけ。
―――そうだ…
 ロジャーは昨夜の彼女の顔を思い出し、はっとした。
 窓からの月明かり…それもドームによる人工的な光だが…を浴びる横顔が、酷く寂しげだった。それはただ単に勝手な人間が思っただけなのかもしれないが。
 名を呼ぶと、彼女は冷たい顔と冷たい視線をロジャーに向けた。物言わぬ彫像のように佇み、けれども、その機械仕掛けの目は何かを必死に訴えようとしているようにも見えた。そして、それを押し留めようと葛藤しているかのようにも。
 今もまた、彼女は同じ目をしている。ロジャーの問いかけに微かな反応を見せてはいるが、口を開こうとはしないのである。
―――アンドロイドは嘘を吐かない…それは周知のことだ。だが、翻せばそれは、真実である確信がないものについては何も語らない、とも言えるのではないだろうか。
 確かにドロシーは不調を感じている。しかし、不調が問題になるほどのものなのか、そしてその原因はなんなのか、彼女自身がまだ分かっていないということを指しているのでは…彼は彼女の顔を眺めならそう思った。
―――ならば、今はまだ触れるべきではない事柄かもしれない。
 小さな違和感を覚えながらも、彼は自分の中でそう結論付けた。

 

 夕飯は要らないと答えたロジャーは、思ったよりも早くに帰宅した。
 ドロシーはノーマンと共に彼の傍に立っていたが、
仕事をするノーマンとは対照的にじっと佇んだまま動かなかった。
 
の中には常に、言葉では明確にできないようなわだかまりが存在している…それが不調の原因であると分かっていたが、何故それで不調になるのかは彼女には分からなかった。ただ、原因不明なバグが起こっているのだと思った。
―――それならば、治せば済むことだわ。
 しかし、ドロシーはその問題を解決するために、ノーマンにもう一度メンテナンスを行って欲しいと頼むことは出来なかった。不思議なことに…メモリーを他人に見られたくない、と思ってしまったのだった。
 分からないことがもう一つある。初めのメンテナンス時にノーマンは彼女のメモリーをもチェックしたはずだったが、彼は「問題はない」と答えた。彼が見落としたのか、それとも手を加えるほどのことではない、自己修復機能で修正できる程度のものなのか、分からないが。
 ただ彼は、部屋を出ようとするドロシーに対し、安心させるかのようにいつもの穏やかな笑みを浮かべただけだった。
―――そう、問題はないわ…きっと。
 あの時からずっと、自分にそう言い聞かせてきた。それなのに…大きな衝撃のように、例のバグが自分の中で動きだしている。今、ロジャーの前で。
「インストルに会ってきたよ。元気そうだった」
 彼はドロシーに向かって、嬉しそうに言った。
「そう。またレッスンを受けに行くわ」
 彼女はそう答えて、満足そうに頷くロジャーを静かに見つめる。
―――あなたは、インストル以外の誰と、そこで会ったの?
 彼の様子は、今言った言葉以外のところからも影響を受けている…口数の少ない少女は、アンドロイドらしい繊細で緻密な観察力を無意識に働かせていた。でも、少しもアンドロイドらしくない
感情が口を突いて、自分でも予想だにしない言葉を投げかけてしまいそうだった。
 ドロシーはそれを避けるためなのか…ふいにロジャーから視線を逸らし、窓辺に立つと外を眺める。
「ドロシー?」
 問いかけてくる声に振り向くと、ロジャーが不可解な
でも見るような目をして立っている。
―――私は、R・ドロシー・ウェインライト。
 人に造られた、人に似せられた物。
 決して人にはなれない、夢見ることもない機械人形。
―――だから…私はあなたに何も言わない。何もしない。決して微笑まない。
 これ以上、不必要なバグが起こらないように。
―――でも、私は彼に強がっている。
 彼に感情を見せることを怖がっている。常に、彼が思っているような存在であること…でも、それはバグが思わせている、新しい理由でしかない。
 彼に「強がって」見せなければいけない理由などないし、表情がないのはごく普通のいつもの自分で接しているのでしかない。そう、理由も原因もあるはずがないのだ。
 バグをバグだと理解しておきながら、それに怯える必要もないはずなのだ。
―――それなのに…
 彼女は彼の視線を冷たい表情で受け取って、メモリーを押し殺した目でロジャーを見つめ返した。

 

 夕食を終えたロジャーは居間で寛ぎながらも、新しい依頼主の情報とその交渉内容を書類で大まかにチェックしていた。交渉日は数日後だが、それまでに用意できることは全て用意しておかなければならない…プロとしてのプライドと信念を、彼は常に持ち続けている。
 そんな姿を、ドロシーは見つめていた。
 ロジャーは書類をテーブルの上に置くと、突然ドロシーの方に目を向けた。無表情なまま座っている彼女を見つめ、興味深げに問いかけてくる。
「最近の君は、調子が悪そうだけど」
 普通ならば、このような唐突の質問に人は驚くだろう…だが、ドロシーは変わらぬ表情で答えた。
「そんなことないわ」
「君がなんと言おうと、調子が悪そうなのは誰でも分かるよ…それなのに君はそうやって、なんでもない、と答えるね。いつも」
「なんでもないから」
 だが、さらにロジャーは言った
「だったら…どうしていつまでも、同じ表情を私に向けるんだ?」
―――表情?
 ドロシーはロジャーの言ったことを理解できず、「わかりやすく言ってくれる?」と冷たく言った。
 当のロジャーは姿勢を正すように座りなおし、彼女のことをまだ興味深そうに見ていた…それにドロシーが不愉快だと言わんばかりに、小さく顔をしかめても。
「私はアンドロイドだから、いつも同じ表情なのよ」
―――皮肉なのか、本当に真実だけを言っているのか…今の彼女では、判別するのは難しいな。
 ロジャーは心の中でそう呟き、それから言葉を紡いだ。
「そういう意味じゃない。君はここ最近…特に私に向かって、ある同じ表情を向けているだろう?それとも、自覚はないのかな?」
「それも、良くわからないわ」
 無表情な声が、少しばかり悪戯っ子のように言うロジャーの言葉をすぐに断ち切る。
「私に自覚・無自覚はないわ」
「それもそうだ…じゃあ、君はわかっていてもするんだね」
「…表情のこと?」
 ドロシーが問うと、ロジャーは「ああ」と答えた。
「私はなにか、君を不快に思わせるようなことをしたのか?」
 この問いかけをもしノーマンにしたならば、きっと「ロジャー様は相変わらずです」と答えるだろう…そんなことを思いついて、彼は苦笑を浮かべた。
「別に」
「ならば…一体何に怒っているんだ?」
―――私が、
怒っている?
 ドロシーは少しだけ驚いたように身体を硬直させた。
「怒ってないわ」
「そうかな。でも、何かに対して不機嫌になっている、と言うのは事実だろう?」
「………」
「それも、私に向かってだけだ。いや…それもいつものことかもしれないが」
 君を苛立たせるようなことをした覚えはあまりないんだが、と彼は付け加えた。
―――私が…あなたに苛立っている?どうして?
 その問いかけは自分に対してだった。何故、ロジャーに苛立ちを覚えるのか…彼の何に対して苛立つのか、分かりそうで分からなかった。
 そしてその時、一つのメモリーが脳裏を掠めるのに気付く。
―――私は、あなたにではなく…あなたの傍に感じる
あの女の気配に何かを覚えている。
「それに…」
 彼は言葉を一度区切り、テーブルの上に「それ」を置いた。途端にドロシーの顔が冷たく凍りつくのが分かる。
「以前、
ミス・ケイシーが忘れていったものだろう」
 そう言って、ロジャーはドロシーの様子を伺う…ずっと疑問に思ってきたことだった。破られた名刺も、わざわざこれを捨てずにデスクに置いていったことも。
「…何が言いたいの」
「そう言いたいのは私の方なんだが?」
「…どういう意味?」
「君が何かを言いたがっている…そういう風にいつも感じる。だが、君はそれを自分の中に押し留めているだろう?どうして、こんなことをしたんだ。それが不調と関係あるのか?」
 いささか性急過ぎる言い方だ、ロジャーは心の中で自分に呟いた。
―――不思議だな。
 何故か彼女と会話すると、冷静な自分が徐々に変わっていく気がする。ドロシーが人間と違う、常に"冷静"な存在であることが影響しているのかもしれないが…彼女の冷静さに勝つことの出来る人間はいないだろう。そして、どんなに抑えていても、人間としての"感情"が顔を覗かせてくる。感情的にならないよう努めた結果、先の立て続けの質問が口を突いてきたのだった。
 ドロシーは何も言わなかったが、小さく動揺しているようだった。彼女がなにに…もしロジャーの質問の内容に対してならば、どの質問に…動揺しているのか彼には判断つかなかったが。
「ドロシー?」
「…私があなたに言うべきことは、なにもないわ。不調と関係があるかどうかは分からない。それに、私は不調じゃないわ」
 完結に答えたドロシーを見て、ロジャーは微笑とも苦笑とも取れる表情を浮かべた。
「アンドロイドは嘘を吐かない…確かにそうだな」
「………」
「でも、裏を返せば、嘘になりえるような…真実だと確信できないことは、まだ口にしないってことじゃないかな」
「私に聞いてるの?」
「そうでもあり、そうでもない」
 はぐらかすように視線を落としたロジャーを見つめ…いや、睨んでと言った方がいいかもしれない…ドロシーは言った。
「…私には、あなたが分からないわ」
 不調を心配するように問いかけてきたと思ったら、次は自分の疑問をぶつけてきた。相手の…もしそれが人間ならば…"気持ち"も考えずに、彼は。 
 もしそれが、彼がドロシーに対してだけ素直な感情の吐露をしているのだとしたら、本当は喜ぶべきかも知れない…彼女はそういった考えが浮かんできた自分に対して、小さなショックを覚えた。
 彼と出会ってから、今まで持ち得なかった多くの"メモリー"を彼女は積み重ねてきた。「欲しくもない」と切り捨てれば済んだかもしれないメモリーも数多くあるだろう。だが、それを今更破棄したいとはまったく思えなかった…そんな自分にすら疑問を感じている。
「人間というのは、そう簡単に割り切って判断できるような類の生き物じゃないよ」
 ロジャーはそう言って、黙り込んだドロシーを見つめた。
「前にも君は、私にそう言ったね」
「なんのこと?」
「"私にはあなたが分からない"」
 ドロシーの言葉を繰り返したロジャーは、そのまま彼女が何か言うのを待った。表情の読み取れない冷たい目をじっと見つめ、それに彼女が反応するのを待っている。
―――あなたにも、私のことは分からないわ。
 今、何に疑問を抱いているのか。何に動揺しているのか。そして、何に怯えているのか。
「その言葉の通りよ」
 ロジャーは、ドロシーの返答に溜息を吐く。
 別段、彼は失望したわけでもなかったが、その様子を見ていたドロシーは疼くような小さな痛みを"心"に覚えて顔をしかめた。そして彼女は、言葉を続けた。
「…時々、私はあなたのことが分からない。どちらのあなたが本当のあなたなのか分からないわ」
 待っていた話題を彼女が口にした途端、ロジャーは…あからさまではないものの…姿勢を直して彼女を見つめた。
「何故、あなたはそうなのか…それも分からない」
「君は、私の何に疑問を抱いているんだ?」
「あなた自身の態度よ」
 困惑したようにロジャーはドロシーを見やった。
「態度…?」
「そうよ」
―――もしあなたが私を、ただのアンドロイドとして扱い続ければ、この疑問はきっと生まれなかったはず。
―――もしあなたが私を、アンドロイドとして扱わなければ、お父様といた頃の自分と変わらずにいれたはず。
 それなのに、彼はそのどちらも行わなかった。いや、そのどちらも同様に彼女への態度としてし続けた…優しい言葉と、現実を突きつける残酷な言葉を。
 いっそ、「私はあなたの何?」とぶつけた方が楽かもしれない。
―――でも、私はその答えに怯えている。
 優しい答えも、残酷な答えも、自分を変えるだけ…これ以上、変わりたくない。理解できない"感情"に飲み込まれたくない。壊れてしまいたくない。
「それが君の不機嫌な原因か?そして、不調の原因でもあるのか?」
「…分からないわ」
 何を問い質しても変わらない答えに、ロジャーは深い溜息を吐いた。ネゴシエイターとして名を馳せる彼だが、それが"身内"だとその能力の半分も効かないらしい…そう思って自虐的に苦笑する。
 彼女の強情さは分かっている。いや、それを「強情」と本当に言えるものなら、それが一番合っている表現だと思う。そんな彼女をいくら問い質しても、今は答えなど導き出すことは出来ないだろう…ロジャーは諦めたようにそう思い、ドロシーにこの会話が終わったことを告げるかのように言った。
「もし、まだ不調が続くようだったらメンテナンスをするんだ」
「分かったわ」
 ドロシーは答え、会話の終焉を理解したかのように席を立つ。
 そして、その動きを見ていたロジャーには一瞥もくれずに部屋を出て行った。

 

私には彼女が何を思い、何を感じ、ここに居続けるのか分からない。
そして、彼女が私に対してどのような疑問を抱いているのかも。
いや…それは私が詮索するよりも、彼女自身が語るのを待った方がいいだろう。
私に分かることは、彼女が今、私の傍にいると言う事実だけだ。
それ以上でもそれ以下でもない、そういった現実である。

彼女の"メモリー"は多くのことを覚えながら、日々、成長し続けている。
そのこと自体は喜ばしい…だから、私はそれ以上彼女に対する詮索をやめてしまった。
もし彼女が、私が思うよりもずっと多くのことを学んでいるのだとしたら、無理に今聞き出す必要はないのだ。
彼女が自分の意思で真実を告げる日を、私は待っている。

To be Continue...


軟弱者め…(笑)

うちのロジャーさん、とっても軟弱者です。
なんでそこでもっと押さないんだ!と書きながら思ってしまいました。トホホ。
ドロシーの意思を尊重して、なんていうと聞こえはいいですが…
彼女的にはもっと問い詰めて欲しかった、そうすれば自分の中にある理解不能な出来事の正体もつかめるのでは…と。
でも、彼はそうしてはくれない。だから、優しくて残酷な人なんだって感じです。

あ、やっぱりここで言い訳してるよ、私。笑。

続きます。

2003/3/4 『THE BIG-O/Doll's Dream5/ROGER&DOROTHY』 by.きめら

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