貴方の声が、吐息が、手のぬくもりが、感じるはずのない私の中へと流れ込んでくる。
貴方の優しさが、心が、"メモリー"が、あるはずのない私の感情を揺さぶり続けている。

それは、冬の訪れを告げる粉雪と共に…。

 

THE BIG-O Roger/Dorothy #4 "A HAPPY HAPPY DAY"

 

 空は相変わらずの憂鬱な様子で辺りを覆っていたが、偽りの硝子のドームは晴れ渡る陽気をその保護下にある街へ余す所なく降り注いでいた。眩いばかりの人工光に育まれる人工栽培の街路樹は広い道路と共に延々と続き、時折通りかかる車があるはずのない風を起こしていく。
 造られた街の造られた風景…だが、そんなことを気にするような人間がいるはずもない。40年前のある日を境に、人々は今の世界を作り上げ、そしてそこに生き続けているのだから。それなのに人々は分厚いコートで身を守るように急ぎ早に通り過ぎていく。その表情が忙しなさよりも心持ち浮かれて見えるのは何故だろう。
 その人ごみの中を彼女もいた。
 彼女の名前はR・ドロシー・ウェインライト。モデルとなった少女の父にして彼女自身の製作者、ウェインライト博士の類稀なメモリーによって生み出された芸術品であった。
 最高の人工生命体ともいえるその少女アンドロイドは、整った顔立ちに表情ひとつ浮かべることなく、いつもの道を通り抜ける。甘栗色の髪をボブにし、冷たく滑らかな白い肌は対照的な黒い服に覆われており、それが微かに揺れた。
 立ち寄った先の行き付けの店で、人の良さそうな老婦人が彼女に微笑み、「Happy Heven’s day」と言いながらおまけの商品を袋に入れてくれる。彼女は荷物でいっぱいの紙袋を受け取って「ありがとう」と答えた。
「ドロシー」
 不意に、呼ぶ声がかかる。
 彼女はゆっくりと振り返り、自分を呼び止めた男に目をやった。
 黒髪で黒衣の青年は、ドロシーよりも随分と背が高く、がっしりとした肩をしていた。それでも彼がスマートな印象を残すのは、その仕草が少なからず紳士らしいものであったからであろう。彼は彼の愛車である黒塗りのグリフィンの傍らに立ったまま彼女を見詰めていた。
 ドロシーは僅かに小首を傾げ、彼を見上げて口を開く。
「仕事が終わったの」
 彼女の問いかけに、彼はサングラス越しの視線を和らげる。そして口元に小さな笑みを浮かべた。
「ああ、今から帰るところだ」
「そう」
 今夜の夕食のために買った食材は無駄にはならなそうだ…彼女はそんなことを思った。
 いつも彼は仕事に負われている。夜遅くに帰ってきて、朝遅くに起きる、そんな生活もしている―――甚だ理解しがたい生活リズムだと彼女は常に思っていた。健康的な人間の生活を送るには些か不都合が多いはずだ、と。
 だが、当の彼はそんな彼女の考えなど知りもしないように微笑んでいる。
 ドロシーは感情の無い瞳でそんな彼を見詰め返した。
「今日は機嫌がいいのね」
「…機嫌がいいと、何か不都合があるのか?」
 途端に不機嫌そうに顔をしかめる…理解しがたいと同時に察し易い。彼女は彼と共に生活するうちに、そんな僅かな癖や性格すら覚えてしまった。
―――可笑しなこと。
「別に。そう思っただけよ」
「そうか…ああ、そうだ。忘れるところだった」
 まだ解せない様子のロジャーだったが、それでも表情を和らげる。そして、彼はふと思い出したかのように愛車のドアを開けると、中から小さな花束を取り出した。
「クライアントのオフィス近くに花屋があったものでね」
 そう言って彼は、物言わずに自分を見上げている少女に手渡した。
「ありがとう」
 ドロシーは彼を見上げたまま、小さく小首を傾げた。
 小ぶりな花を付けたその白い花束は、まるでそこにだけ訪れた冬の景色に様に見えた。音も無く訪れる粉雪のような、儚くも美しい、優しい色合いで。
 ふとドロシーは辺りに耳を澄ました。
 街には音が溢れている―――走り去る車の音、あちらこちらで響く歌、小さなベルの音と共にドアが開かれる音、そしてざわめきの中の恋人たち。
「今日はヘブンズ・デイなのね」
 ドロシーはそう言って音と光に満たされた辺りに目を向ける。
 ロジャーは意外そうな顔をした後、街の喧騒に顔を向ける彼女を見つめた。
「そう言えば、そんな気もするな」
「…あなたらしいわ」
 彼のヘブンズ・デイ嫌い、もといパラダイム嫌いは尚も健在だった…ドロシーは変わらぬ表情で彼に一瞥をくれると踵を返す。
「ドロシー?」
 呼び止める彼の方を少しだけ振り返って、「まだ買うものがあるの」と言って人ごみの中に入っていく。
 ロジャーは相変わらずのちぐはぐな会話の終了に困ったように頭を掻いて、彼女の後姿が人影に埋もれて見えなくなるのをしばらくの間、そのまま眺めていた。

 

 ヘブンズ・デイ…それはこの街が記憶を失った後に定められた祝日とも言えた。パラダイムがこの世に誕生した日を祝う日なのである。だが、人々にとってはそれがどう言う意味を持って設けられたのかなどは関係なかった。
 一番大切な人に贈物をする日、それが今のヘブンズ・デイだからだ。大切な人と共に過ごす、賑やかで静かな良き日…心穏やかに思いやりを持って。
「まったく…以前と何も変わっていないようだな」
 ロジャーは自室で部屋着に着替えながら呟いた。
「はあ、何がでしょう?」
 忠実なる友人であり執事であるノーマンが、不思議そうに彼を見ている。
 ロジャーは苦笑を浮かべると、「ヘブンズ・デイさ」と言った。
「相変わらず、この日が近付くと街はあんな風に飾り立てられる。一体、何が楽しいのか私には分からないがね」
「相変わらずなのはロジャー様もですよ」
 そう言って、聞いたロジャーが閉口するのも微笑を浮かべて見やるノーマン。彼はロジャーの上着をハンガーに掛けながら言葉を続けた。
「ドロシーがこの家に来てから2度目のヘブンズ・デイになりますが、ロジャー様は1度目のヘブンズ・デイの時と同じようにおっしゃいますな」
「それが何か問題にでもなると?」
「おやおや」
 むっとしたように反論するロジャーの方に振り返り、ノーマンはにっこりと微笑んだ。
「ロジャー様、彼女はレディなのですよ」
 またその言葉か…とでも言うように、うんざりした面持ちでロジャーは眉をしかめる。
「他の人と同じように、大切な人とこの日を祝いたい、そう言っておりましたこともお忘れでしょうか?」
 踵を返しかけたロジャーが立ち止まる。
「…まったく」
 それだけ呟くと、彼はまた歩を進めて部屋を出て行く…その声に僅かな感情を読み取って、ノーマンは再び微笑んだ。

 街がいくら浮かれ騒ごうと、陽気な音楽が溢れようと、人々がそれぞれの生活に見合った中で着飾っても、彼には関係なかった。いや、関係など持ちたくなかった。それが、あの忌々しいパラダイムの盛大な祭事だったからだ。それなのに、ドロシーはあんなことを言う。
「私もお祝いしたいの、大切な人と」
―――馬鹿馬鹿しい。
 自分がどれほどパラダイムとパラダイムシティを嫌悪するのか分かっていて。
 いや、それなら何故あの街を守るのだろうか。違う、自分が守るのは、そこに居る罪なき無力な人々を守るため…決して大仰なヒロイズムなどではなく。
「私としたことが、くだらないことで考えすぎてしまった…」
 ロジャーは苦虫を噛んだ様に顔をしかめ、風になびく髪を手で押さえた。
 屋上のペントハウスを後ろに、彼はテラスにいつものように立って街を見下ろしていた。暗く沈んだ街の風景が、今日はとても華やかに色付いているのが良く見える…このようなアウト・オブ・シティであっても。
―――ドロシーが言うように、今日は人々にとって大切な日なのだ。
 その創立経緯など関係なく。
 あるのは、ただ一つ…大切な人と共に祝う、特別な日であると言うこと。
「…まったく」
 彼は二度目のその言葉を呟くと、少しだけ自己嫌悪気味に溜息を吐いて寒々しいテラスからペントハウスの中へ戻って行った。

「ロジャーがいないけれど」
 ドロシーはそう言ってキッチンへと入ってきた。
 ノーマンは年季の入ったオーブンを前にして、本日のメインディッシュとなるべく焼かれる七面鳥の肉を覗き窓から監視していた。赤々と見える火にあぶられて、食欲をそそる仄かな香りが鼻をくすぐり始めている。
 彼は振り返ると、答えた。
「先ほど、出かけられましたよ」
「そう」
 少女アンドロイドの変わらぬ表情を見ながら、ノーマンは微笑んだ。
「ロジャー様に何か用でもありましたか?」
「いいえ、別にないわ」
「ほう…そうですか」
 大した用があったわけではない、ドロシーは口にはしないもののそんな態度でキッチンを出て行こうとする。そんな彼女を少しの間見詰めていたノーマンだったが、視線を外すと腕まくりをした手で自身の黒いエプロンの寄りを直しながら独り言のように言った。
「確か街に出かけられたはずでしたな。そうそう、第2ブロックの角にある店に行かれたのだったと…」
 ドロシーが振り返る。しかし、かの老紳士は既に自分の作業に戻って、彼女に背を向けていた。
 彼女はその背中に「ありがとう」と言って、出て行った。
 ドロシーが出て行った後、ノーマンは少しだけ呆けたように目を見開いたが、「どういたしまして」と答えて微笑む。
 足早に出て行く彼女の手に真新しいデパートの小さな手提げ袋が提げられているのを、彼は知っていた。

 

 どうして人間は息が白くなるのだろう…ドロシーは感情の無い目で急ぎ足の人々を眺めながら歩いていた。
 どんなに自分が精巧なアンドロイドでも、人間とは違う。決してどんなに寒くても息は白くならないし、凍えて身体が震えることも無い。
 彼女は固い石畳の歩道を歩きながら、それでも自分も彼らと同じようにこの日を過ごしているのだと思った。

 

 煌びやかな喧騒に包まれた街を歩く彼の姿は、今日ばかりはほんの少し不釣合いな気がした。
 だからと言って彼が彼の信念であるものの一つを簡単に曲げるはずも無いのだが…そんな黒衣の青年が街角にある店の前に立つ。
 大判のガラスに覆われたディスプレイには鮮やかな色取り取りの衣装が並び、街と同じようにヘブンズ・デイを称える飾りつけが満たされていた。まるで、そこに小さな今日のパラダイムが凝縮されて詰め込まれているように。
 ロジャーは諦めなのか覚悟なのか分からない溜息を一つだけ吐き出すと意を決したように、ディスプレイ窓と同じガラス製の扉を開く。取り付けられた小さなベルが品の良い響きを奏でて、来客を知らせている。
「いらっしゃいませ」
 いつものように営業スマイルを浮かべた女性店員が出迎える。だが、彼女の表情も心なしか朗らかに思えた。
 ロジャーは店内を見渡した後、短い条件を告げる。すると、店員は奥から何個もの白い箱に納められた商品を運んできて、彼の前にその中のものを逐一広げながら笑顔で説明する。
 やがてロジャーはそれらを十分に吟味した後、店員が勧める商品の一つを指差して言った。
 店員はにこやかに微笑んで、この季節特有のラッピング材をキャッシャー下の棚から取り出した。

 ドームに囲まれたこの街も、真冬の気温全てを防げるわけではないらしい…僅かに白く濁る吐き出された息を見やり、ロジャーはそんなことを思った。それから何事も無かったかのように店の前を離れる。 
小脇に抱えた荷物だけが、黒衣の彼と対照的に陽気な様子で街の風景に溶け込んでいた。

 

 ドームを覆う特殊硝子が白く塗り替えられていく…そんな気がして、ドロシーは上空を見上げた。
「寒くなるはずだわ」
―――真新しい白が、灰色の街を包んでいくのだから。
 重たげに外界を覆っていた空から冬の天使たちが次々に舞い降りてくる。ふわりと風に揺れながら、人々の掌に落ちては消えていきながら。
 だが、外の静寂など嘘のようにドームの中はきらきらと輝く装飾が彩り、行き交う人々に変わりなく微笑みかけていた。知らない間に忍び込んでくる冷気を孕んだ風が通りを過ぎていくと言うのに。
 不意に彼女の聴覚が音を捉えた。
 ドロシーはその場で立ち止まるとその音に耳を傾け、それから踵を返す。
 彼女は容姿に見合った軽やかな足取りで走り出した。

 

 中央に皇帝の居城の如く聳え立つその建物を、ロジャーは無言のままに見上げた。それは事実上、ある一人の男がこの街を支配する象徴的な建造物でもあるのだ…パラダイムに君臨するパラダイム本社は。
 一年前のあの日、ここで、楽しいはずのヘブンズ・デイは一瞬にして恐ろしい惨事に見舞われた…だが、その後の光景を、記憶を失った街の住人たちでも以降忘れる事は無かっただろう…光り輝く巨木の、強く逞しい生命の賛歌を。
 不意に聞き覚えのあるサックスが奏でる聖夜の音楽が耳に届く。ロジャーはそちらに目を転じる。そこには、いつぞやの未来の偉大なるミュージシャンが、あの日と同じように同じ場所で奏でていた。
 彼は無心に吹き続ける青年に歩み寄り、一曲が終わるまでそこで演奏を聴きながら待った。そして、終わるとコインを彼が足元に広げていたサックス用ケースにそっと置き、手袋でくぐもった拍手を軽く添える。
 青年は驚いたように顔を上げ、ロジャーを見やると途端に嬉しそうに言った。
「やあ、あんたか!久しぶりだな!」
「ああ。元気そうで何よりだよ、オリバー」
 抱きつかんばかりのオリバーを軽く牽制しつつ、ロジャーは苦笑した。
「あんたのおかげで今もこうして好きなサックスが吹ける。本当に感謝してる」
「いや、私は何もしてはいないさ」
「分かってるよ。あの木を止めたのも、俺を助け出してくれたのも、黒いアマデウスだって。だけど、何でだか分かんないけど、あんたにはすげえ世話になった気がするんだ」
 それから、ローラがどうしてるとか、この1年で自分たちが以前よりももっと互いを大切に出来るようになれたとか、そんなことをのろけ話を交えながら楽しそうに説明する…言いながら屈託のない笑みを浮かべるオリバーに、ロジャーは安堵したように溜息を吐いた。
「そういうことなら、せっかくだからその感謝を受け取らせてもらうよ」
「是非、そうしてくれ」
 オリバーはそう言って、また笑った。
「そう言えば、あの時あんたが連れてきたコ…名前を聞き忘れちまったんだけど、どうしたんだい?」
「…どうしたって、何が?」
 心持ち表情を堅くしたロジャーを見やり、オリバーは自分が失言したのではないかと焦った。
「いや、気にしないでくれ」
「…ドロシーのことを言っているのかい?彼女なら、今も変わらず、さ」
「え?ああ、そっか。良かった、良かった…」
 多分の嫌味が含まれたロジャーの答えだったがオリバーはその意図が分からなかったらしく、失言ではなかったことに安堵したようだった。それを見やり、再びロジャーは苦笑する。
「で、そのドロシーちゃんにあげる贈物かい、それ?」
「あ…いや、私は…」
 突然、鋭い指摘を受けて、ロジャーは思わず必要もないのに口ごもる。
 だが、オリバーはそんなことは関係ないらしく、去年の思い出で悔しそうに言った。
「いいよなあ、俺にもそれだけの稼ぎがあればなあ。前のコートも知らない間に誰かが買っちまったみたいでさ」
―――すまない。
 謝る必要もないはずなのに、思わず心の中で呟くロジャーである。
「で、今年は何を贈るんだ?やっぱさ、女のコが欲しがるものって良く分かんないんだよね。俺も今日の為に貯めてきたんだけど、いざ買うとなると迷っちまってさ」
「そうだな」
 ロジャーはふっと微笑んだ。
「私も迷ったよ」
「へえ…」
 妙に感心したように目を見開いたオリバーを見やり、ロジャーは心外そうに顔を小さくしかめた。
「なんだ?」
「いやあ…あんたが迷うこともあるんだな、って」
「私とて人間だからな、迷うこともあるさ」
「そりゃそうだけどさ、そうじゃなくって…なんか、あんたって俺と違って紳士っぽいし」
―――それはあまり理由にはならないとは思うが…
 だが、そんな言葉をロジャーは飲み込むと、言った。
「身なり、金だけが紳士の条件ではないよ。大切なのは、常にそうであろうと心がけることだ」
「う〜ん、それが難しいんだよね。俺みたいにフラフラしてる奴はさ」
 そう言って彼はおどけた様に笑ったが、ロジャーは少し和らげた視線で彼を見やった。
「ローラにとっては、君がただ一人の紳士であり、王子様でもあるんだろう」
「あんた…」
 驚いたように振り返ったオリバーはロジャーを見やり、それから少し恥ずかしげに顔を伏せて上目使いに呟いた。
「…ありがとよ」
「どういたしまして」
 ロジャーは微笑んだ。
「それで、それは彼女にあげるプレゼントなんだろ?」
「…まあ、そんな所さ」
 呟くように白状したロジャーが、微かに赤面して見えるのは気のせいではないだろう…オリバーは、自分の中で完全無欠のこの紳士がこのような一面を持っていることに驚きながらも、妙に嬉しく感じた。
「その角にある洋服店で。殆ど品定めは店員の言いなりさ」
「あははは」
 わざと困ったように表情を作るロジャーをオリバーが笑う。
「だとしても。喜ぶぜ、きっと」
「そうだと、いいがな」
「女の子ってのは大好きな人からプレゼントされると喜ぶもんさ」
 自分より年下の青年がそんな諭すようなことを言う。
「そういう…ものかな」
「そういうもんさ」
 ロジャーは面食らいながらも、その点においては自分より彼の方が上手なのだろう…とどこかで納得してしまった。
「さて、今日はそろそろ家に帰ることにするよ」
 オリバーはそう言って、サックスをケースにしまいこんだ。

 

「ロジャー」
 誰かに呼ばれた気がした。
 微かだが、確かに通る凛とした声は作り物でありながらも美しいとさえ聞こえる…あの声が自分を呼んでいる。
 突然黙り込んだまま視線を人ごみの方へ移したロジャーを見やり、オリバーは不思議そうに口を開く。
「どうかした?」
 その声に我に返ったロジャーが僅かに首を振り、「なんでもない」と答える。だが、あの声は確かに今、聞こえた気がした。
―――いつだって、君は私を呼んでいた。
 眠らない君が呼び覚ましてくれた夢は、きっと数え切れないぐらいになるに違いない…たった2年間、誰にも出来なかったそれを。
 とは言え、きっと空耳だろう…ここに彼女がいるわけがないのだから。
 楽器をしまったオリバーが是非家に寄っていってくれと言うので、ロジャーは少しの躊躇いの後に承諾して歩き出す。
「ローラのやつ、ことあるごとにあんたとあのコの話をするんだ。今、どうしてるのかって気にしててさ」
「お邪魔じゃなければ」
「とんでもない!来てくれよ。それで、あいつに言ってやってくれ。こうして、ロジャー・スミスは今も健在だ、とね」
 茶目っ気たっぷりに彼が片目をつぶると、ロジャーは小さく破顔して笑った。
「ロジャー」
―――…!
 振り返るロジャーが視線を辺りに漂わせる。
「どうしたんだよ、一体」
「いや、別に何でも…」
 まったく、どうかしている。ただ…たったプレゼントを渡すぐらいで、可笑しな緊張感を覚える。まったく、可笑しなことだ。いつだって、彼女に必要だと思ったときはその時折のものを贈った。それと同じことのはずなのだ。
―――それだけなのに、彼女が私を呼ぶ声が聞こえるなんて。
 ここにいるはずがないのだ。彼女は今、家にいるはずなのだから。
「ロジャー」
 そう思っていた彼の耳に、今度はしっかりとその声は届いた。
 傍らにいるオリバーもそちらに目を転じ、驚いたように目を開く。
「ドロシー…」
 人ごみの間から抜け出してきた小柄な少女アンドロイドが二人を見やる。その手にはデパートの手提げ袋が揺れている。そして、彼女が着ているのはあの黒いコート。
「どうして、ここに?」
「あの人の音楽が聞こえたから」
 そう言ってドロシーはオリバーを見るが、彼の方は再び驚いたように瞬きをした。だが、彼はすぐに持ち前の陽気さを取り戻したかのように口を開く。
「そっか…あの時…最後に吹いた時、見覚えのあるコートだとは思ったんだけど。あんたが買ったんだな」
 適わないや、と言ってオリバーは笑う。
 ロジャーは困ったように苦笑し、ドロシーは無言のまま彼らの前に佇んでいた。
「二人とも是非ウチに遊びに来てくれって言いたいけど…」
 二つの思いで悩むようにオリバーは言う。それを不思議そうにロジャーは見ていたが、彼が次に言ったことに思わず言葉を失う。
「二人の邪魔しちゃあ、悪いしな」
「オリバー。そうじゃないんだが…」
「私はかまわないわ」
「ドロシー!」
 またもや誤解を招くようなことを…とロジャーは彼女を睨んだが、ドロシーはいつものそ知らぬ顔で彼を静かに見返しただけだった。
「だって、私はかまわないもの」
「…はあ…」
 ロジャーが吐き出した溜息は深かった。
 そんなやり取りをまるで微笑ましい光景でも見るようにオリバーは微笑んで、しまったばかりのサックスを再び取り出す。そしてそれを構えると、にっこりと笑った。
「オリバー?」
 気付いたロジャーが呼びかける。
「1年前、俺はあんたに助けられた。そして、あんたたちに曲をプレゼントしたんだ」
「ああ、そうだな」
「今日はヘブンズ・デイ…大切な人に贈物をあげる日なんだぜ、ロジャー・スミス。だから、俺は俺たちを助けてくれたあんたたちに贈物がしたいんだ」
「…オリバー」
「心を込めて吹くからよ」
 そう言って彼はマウスを咥える。
 気温が下がり始めた夜のドームの中に、彼の奏でる音が響いていく…喧騒を打ち消していく雪のように、強く、確かに。
―――1年前と同じように。
「1年前と同じね」
 ドロシーが呟く…ロジャーはそんな彼女を振り返った。
 彼女は少しだけ首を傾げて彼を見上げる。
「ええっと…ドロシー」
 妙に畏まって自分を見ているロジャーの口ごもり方を不思議そうに彼女は聞いていた。
「なに?」
「君がどうしても皆と同じように今日を祝いたいのなら…まあ、私はヘブンズ・デイが嫌いではあるのだが…」
「私はかまわないわ。あなたがお祝いしたくないのなら」
「いや、そうじゃないんだ」
 ロジャーははっきりとドロシーの言葉を否定した。
「君に贈りたものがあるんだ」
「もう、お花をもらったわ」
「いや、あれはヘブンズデイのプレゼントじゃあなかったからね」
 そう言って、ロジャーは苦笑する。
 先ほどからこの荷物が自己主張するかのように鮮やかなラッピングが目に入って仕方なかった…ロジャーはそれを手に持つと、そっとドロシーに差し出す。
「気に入るといいのだが」
「…ありがとう」
 そう呟く彼女の顔を見て、ロジャーは息を呑む。
 たった一瞬、ほんの一瞬だったが、ドロシーが微笑んだ…そう見えたから。
「どうしたの?」
「え、いや…あ、そういえば…」
 ふと思いついたように彼は、戸惑いを打ち消すように彼女に尋ねた。
「君は、ここに来る間、私の名を呼んだか?」
 顔を上げたドロシーはいつもの無表情で彼を見詰めたまま、抑揚の少ない声色で答える。
「いいえ。でも…きっと、心の中で呼んでいたわ」
 ロジャーが僅かに表情を変える。
「貴方はいつだって、気付かないけれど」
―――いつだって、私は貴方を呼んでいるの。
 だが、ロジャーは最初の一瞬だけ驚いたように彼女を見詰めたが、すぐに小さな笑みを浮かべたまま静かに首を横に振った。
「私はいつも、君の呼ぶ声を聞いていたんだよ。例え、はっきりと気付かない間も。君の声だけは、いつでも聞こえていた」
―――2年前、出会った時から君は私の名を呼んだ。
「君だけが、どんな時も私を呼んでいたから」

降り積もる雪がドームの天井を静かな色に塗り替えていく。
微かな妖精たちが微笑みながら消えていくように、反響する音が柔らかに耳を掠めていく。
貴方の声が、吐息が、手のぬくもりが、感じるはずのない私の中へと流れ込んでくる。
貴方の優しさが、心が、"メモリー"が、あるはずのない私の感情を揺さぶり続けている。
今日の良き日に、特別な日に、街を染めていく白い雪と共に。
私の呟きを静かに埋めていくように。

「これは私からあなたへよ、ロジャー。気に入るといいのだけれど」
「ドロシー…ありがとう」
 ロジャーは自分を見上げているアンドロイドに微笑んだ。

――――貴方に会えて、良かった。

 

聖夜に雪が降る…静寂の祝福が皆の上にも降りますように。

 

 

END

 


クリスマス・ラブストーリー(になってるかどうかは、さておき…)をお届けしました。
間に合ってよかったよ、クリスマス前に。笑。
やっとダークじゃないものが書けて、嬉しいです。
私の中では既にロジャーとドロシーってかなり可愛い感じにラブラブなんで<何故だ
なんか、初恋の男の子と女の子みたいな初々しさみたいなのを覚えるんですよね。
至って大人のはずのキャラクターなのに(^^;)

今回はクリスマスってことで、オリバー青年登場です。
この回の話、好きなんですよ〜オリバーもローラも健気で可愛くて、一生懸命で。
そしてラスト、ロジャーとドロシーのプレゼント交換!
無表情だけどドロシーってばロジャーからのプレゼントがすごく嬉しいみたい…真新しいコートを着て、くるくるくる〜って踊って。
ああ、本当にドロシーってば可愛いよ。果報者だよ、ロジャーさん!<誰かこの馬鹿を止めてくれ

まあ、そんなこんなで個人的にも好きだったエピソードの続きが書けたので楽しかったです。
設定は2度目のヘブンズ・デイ。
つまり、出会ってからもう2年過ぎちゃってるのです。
な、長いことかかったな…って言うか、この先もこれ以上に進むことがないだろうな、この二人…と思ってしまう私なのですが(腐)
これを期に、これからもラブラブしぃ甘々モノを書いていきたいと思っております。

ではでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。
あなたにも幸せが降って来ますように…Happy Hevean's Day!

 

2003/12/7  『THE BIG-O/A HAPPY HAPPY DAY/ROGER&DOROTHY』 by.きめら

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