DOGMA 再会の血と薔薇

 

 あれからどれほどの時間が過ぎたか覚えていない。ただ漠然と、自分はこの部屋の隅に膝を抱えて何時間もそうやって座っていたのをおぼろげに思い出す。
 それは本当に『何時間』の間だったか。
 数秒の出来事か。
 何年も経ってしまったのか。
―――そして…一体、何があったのか。
 何もかも夢の中の出来事の様で、いつ果てるとも分からないこの悪夢が、自分に憑いて離れないのだ。

 それは…夕暮れ時に振り返って見る、足元から付いて離れない影のようにひっそりと。
 鏡の自分を見詰めて気付く、灰暗い目付きの様に。

 彼の思い出が今も僕を暗闇に突き落とす。

 

**********

 壊れてしまった思い出だけを抱き締めて、この暗闇に自分は存在するだけ。
 息を潜めて、獲物を狙う猛禽のように目だけを輝かせて、爪も立てずにじっと虚空を睨む。やがてその焦点も合わなくなり、緊張の糸が切れたかのようにぼんやりと視線を泳がすのだ。
 獄舎の管理人は非情で冷徹な、天使である。いかなる恩赦も待遇もない。絶対的命令によって任務を遂行する、心のない下級天使だ。
 もう少し経つと再び、彼らに焼け付く炎の槍でせっつかれ、この泥の様に重くなった四肢をばたつかせながら歩き始めるのだ。決して引き千切ることのできない鎖を引きずって。
 それが定められた罰というものなら、なんと素晴らしいことだろう?
 神はなんと素晴らしく輝いた存在だろう?
―――この、地獄と反対に!
 こうして我々は反逆天使として追放される。悲惨な場所に閉じ込められるために。
『私が何をしたと言う?』
 私は誓う。
 私に咎を与えた神を。
 神に愛されている罪深い人間を。
 争い合うことを忌み嫌っただけの私を地獄に叩き落す多くの天使たちを。
 私は、かつて「神の強者」と呼ばれた者。悪徳を摘み取るために地上に知恵と文明をもたらした、神に怒りを受けた天使。私の名は…堕天使アザレル。

 

*********

「私は戦いなんてしたくない。芸術だけが私の生きる道だ」
「そんなこと言ったって、参戦しないのも神の意志に逆らったことに…反逆天使になってしまうぞ」
「かまうものか。なにもしないだけだ。それで罪を問われるなんてありえない!」
 アザレルはバートルビーの言葉に耳も貸さず、荘厳なる神の神殿の中を歩き始めた。
「見ろ、この支柱を。素晴らしい装飾品だ。地上では見ることのできないほど白く澄んで美しい…しかも神の栄光の光りによって眩いばかりだ。あの天井を見ろ。同じ材質、輝き…アーチの曲線美」
「アザレル、話しを聞け…」
 懸命に追い付いて話しかけようとするバートルビーだったが、アザレルは自分の解説に酔いしれているかのようだ。
「この、美と煌きの粋を集めた神殿を破壊するなんて、ルシファーたちは狂っている」
 バートルビーは思慮深い瞳をじっとアザレルに向け、深い溜息を吐いた。
「そうだ、狂っている。神に反逆しようなんて傲慢は狂気でしかないんだ。アザレル、おまえはその狂っている反逆した天使たちとともに断罪されてしまっても構わないのか?」
 ゆっくりと振り返り、彼はじっとバートルビーを見詰めた。
 真摯で曇りのないその瞳を、アザレルは鋭く射抜く。
「私はただ、芸術に執心していたいんだ」
「だけど…!」
 食い下がるバートルビー。
「あんたはグレゴリの指導者じゃないか。あんたがいなきゃ、誰がグレゴリを指揮するんだ」
「私の隊なんてない。大半はすでにルシファーに荷担し、去って行った。おまえぐらいだよ、残っているのは」
 どこか冷めた、けれど熱のある眼差しは憂いを含んでいる。
「…アザレル」
「私は他の天使のように有能な軍指揮官じゃない。こんな私を慕い、忠義を尽くしてくれるグレゴリがいるはずが無い。おまえだって知っているだろう?ミカエルやジブリールやラファエル、ウリエルのようなカリスマも力もない。大戦に参加したところで足手まといだよ、私は単なる芸術家なのだから」
 諦めたかのようにそう言って、アザレルは疲れた吐息を洩らす。
「だからもう…私のことは放っておいてくれ。仲良しの死の天使のところでも行ってくればいい。そして、いっしょに戦いに出ればいい」
「それが答えなら…もう、俺は行くよ」
「バートルビー」
 アザレルは立ち止まったバートルビーに歩み寄り、手で頬に触れた。
「…生きて戻って来るように」
「………」
「おまえは私の知る一番の芸術だよ」

 

「私になにができると言うんだ」
 アザレルは支柱の一つに背を預け、神殿を見渡した。
 こうやって優れた建築物や、優雅な音楽を聞いているだけで心が休まる。それだけが唯一の楽しみ。否…自分の本質だ。名作と呼ばれるにも等しい書物を捲っていてもいい。
 それなのに、疲れるだけでなにも生み出さない戦いに好んで参加するなど、到底信じられなかった。もちろん、戦いを挑んだルシファーたちのことだ。どうして争い合い、自らを頂点にしようと目論むのか。
 彼は虚空に手をかざした。
「…このように美しいものが存在するのに」
 一枚の絵画が淡く光を受けて現れる。一人の女性が控えめな笑みを浮かべて見詰めていた。
「混乱と無秩序を撒き散らす悪徳など…」
 彼は絵をそっと抱き締めて、その場を後にした。

 

********

 あれからどれほどの時間が過ぎたか覚えていない。ただ漠然と、自分はこの部屋の隅に膝を抱えて何時間もそうやって座っていたのをおぼろげに思い出す。
 それは『何時間』の間だったか。
 数秒の出来事か。
 何年も経ってしまったのか。
「ここにはなにもない」
 自分の愛した芸術も、彼も。あるのは苦悶する死人と異形の悪徳者ばかりで、誰も自分に同情しない、彼の思いに共感する者もいない世界。
「どこでもいい…せめて私に芸術の光を与えてくれればどこでも良かった」
 一握りの光りから思い描く作品を自在に創り出すことができる。それなのに…地獄の汚れた炎から生み出されるものは、禍々しく、彼の求める美とはかけ離れた物ばかりだった。それがいかばかり彼を傷付け、狂気を植え付けたか…。
 神は参戦しなかった自分にも、最も重い罰を与えた。地獄へ落すと言う、反逆した悪魔たちと同じ罰だ。
―――…こんな無慈悲な結末があっていいものか?
 しかも神は、彼の生きがいとも言える芸術の力を、小鳥の羽を毟り取るかのように剥奪した。

「アザレルさま」
 三人の下僕は虫の羽音にも似た不快な音と共に現れて、傅く。年端もいかない少年の姿をしているが、そこにはなんの純朴さも純粋さも見出せなかった。あるのはこの地獄に蔓延する邪悪な気質だ。
「ご指示を」
 億劫そうに俯いていたアザレルは立ち上がると、悪魔の指揮官らしく毅然と彼らを見下ろした。
「時が来た…地上に出るぞ」

 

********

「やめておけよ、羽根は。オカマの妖精だと思われたいのか?」
 アザレルはショッピングモールの一角でそう二人の堕天使に言い放った。
「アザレル!」
 それまで言い争いをしていた二人は振り返ると、一人が名を呼んで近寄ってきた。
「バートルビー」
 ロキは訝しげにアザレルを睨んでいる。例え堕天使になっても、彼は本質的な天使だ。悪魔や悪徳には恐ろしいほど鼻が利く。ならばここは、バートルビーだけを話しに引き込むとするか…。
「キリストの末裔がおまえらを殺しに来るぞ」
「なんだって…?じゃあ、神は本当に俺たちを…」
 アザレルはほくそえんだ。
―――可愛いバートルビー、可哀想なバートルビー。俺はおまえを騙しにやってきたのに。
「ありがとう。おまえは真実の友だ」
 怒りと憎しみと、それから感謝の念を込めて、彼はアザレルの肩を軽く叩いた。

―――さようなら、バートルビー。

 自分を許さず、断罪した神への怒り。それは痛いほどアザレルにも分かる。それを…自分は逆手にとって誑かすのだ、可哀想なバートルビーを。
 自分は悪魔。
 もう、同情も愛もない。
 でも…

「一生、おまえが手に入らないのなら…自分の思う人生が歩めないのなら…」
―――俺はいつでもこの世界を破壊できるんだ。

 彼は立ち去った二人を見送りながら、笑っていた。高慢に、罪深く。
 そして、泣いていた。心の中でそっと、静かに。
 なにも知らない、陽気な人の群れに混じりながら彼は歩く。もう少しで無くす…この自分の手で消滅させる世界を、最後に見詰めるために。彼が過ごしてきた世界を…憎み、惜しむように。

 

END

 


実はお気に入りキャラだったアザゼル。
劇中でなんだかバートと親しげだった事からこの話のネタを思いついたんだと思いますが…
これも当時のあとがきがないのでどんなテンションで書き上げたのかは不明です。<テンションって何
もうちょっといろいろ書きたかったんだろうなって言う気はしているのですが、自分的には気に入ってる設定の話ではあります。
それを読んで下さった方がどう受け取られるか、もちろん自由ですが(汗)
そう言えば、アザゼルなのかアズラエルなのか、何故かごっちゃになってる事がありました。
私の勝手な脳内変換でアズラエルになることが多かった彼。
これだとちゃんとアザゼルになってるね…(笑)

 

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