DOGMA 微かな吐息も今は聞こえない

 

 ワインの空き瓶が床に散らばっている。テレビは灰色の砂嵐を映しながら、部屋の中にノイズを響かせている。ぬるくなったスコッチが溶けきった氷で薄まり、テーブルの上のグラスの中で琥珀色に光っていた。
 だるい四肢を投げ出すようにベッドに寝転んでいた彼は、ゆっくりと瞼を開け、ぼんやりと天井を見上げた。すっかり日の昇った外から、日の光が窓を通して自分を照らしている。
 昨日は薄曇りの肌寒い一日で、春とは思えない気温に町の人々は冬用のコートを着込んで歩いていた。自分はそんなこととは関係なく、いつもの格好でいつものようにそんな人々を見ていた。
―――今、何時だろう?
 自分に時間など関係ないことも知っている。否、時間を気にするだけ無駄なことも知っている。ただ、人間の中で生活するようになって、習慣化しただけなのだ。
 ロキは上体を起こすと、誰もいない部屋の中で小さく溜息を吐いた。

 

―――長い年月の間にすっかり町は変わっていた。
 通りを歩きながら、ロキは思う。
昔はこれほど大きな建物は無かったし、車も洗練されたデザインの高性能ではなかった。今では愛好者だけのクラシックカーが、昔は当然のように走っていたのに。それだって、初めて地上に降りた時には存在すらしてなかったのだ。
 どのくらいの年月が過ぎただろう…かつて天に住まい、栄光と祝福に照らされていた日々から追放されて。そして、断罪を受けた友人と地上で生きるようになって。
 バートルビーはいつも憂いだ顔をして、時折自分を嘲笑する意外にあまり笑顔を見せない。と言うよりも、その嘲笑すら作り出したかのように見える時もあった。
―――俺には奴が何を考えているか分からない。
 そう問い掛ければ、「俺のことだけじゃなく、おまえは何も分からないだろう?」と馬鹿にされるだろう。いつだってそうだ。ただ、天にいた時のように明朗な声で堂々と正論をぶつけてくるのではなく、どこか暗い眼をして無理に笑うのだ。
―――分からないよ。
 彼が何をそれほど苦しみと感じ、それを克服もせず、暗闇をまとった悪魔のような目で睨み続けるのかロキには分からなかった。聡明で温厚だったバートルビーの目が、何故今はあれほど恐ろしく感じるのかも。
 あの日、彼は一つの提案を持ち出した。
 ロキにはどうしてもそれが名案だとは思えなかったが、普段物静かなバートルビーが見せた喜び様を見ていたら、反対する気が起きなかった。
―――彼が夢を見たいのなら。
 それを邪魔する権利はこの地上の誰も持っていないだろう。そう、地上には。

 

「天に帰れるぞ」
 ロキは、そう言ったバートルビーの横顔をそっと見詰めた。
「なんだって?」
 ロキが怪訝な表情を浮かべて彼を見やる。しかし彼は既にそんなことはどうでも良かった。
「なに、ふられた女みたいな顔をしてるんだ?」
 茶化すように、飲み込みの悪い友人に苛立ったように言う。
「これが送られてきたんだ」
 見せられた紙切れは新聞の切抜きで、恐ろしく馬鹿げた教会のキャンペーン記事だった。
「どこからさ」
「知らない」
―――知らないだって?
 聡明なはずのバートルビーが、何も疑わずにこれを受け取るなんてどうかしてる。地上の誰が、一体、俺たちのような堕天使に手紙なんか送るのだ?
 ロキはベンチに座り、人間たちを見ていた先ほどのバートルビーのことを思い出した。
『人間は寛容でなくては』
―――人間に同情的で寛容だったおまえが、今はどんな目で彼らを見ている?
 怒り、悲しみ、嫉妬…寛容とは程遠い、罪深い意識で睨み続けているのに、今更おまえは何を言うのだ。
 天への片道切符で頭が一杯になって、”演じ”ていた天使の顔が消えている。
「バートルビー…」
 伺うような眼差しで友人を見やり、ロキは諦めたかのようにいつもの能天気さを”演じ”た。
「本当かよ。でも、どうやって?」
「教会に入って死ねば良いんだ」
「死ぬなんてやだよ!」
「でも、天には帰れるんだぜ?」

―――もう、苦しまないで…昔には戻れないのだから。

 話しながらエレベーターに向かう二人。
 でも、ロキはバートルビーの”友人”をしながら、計り知れない不安を抱いていた。
―――おまえは覚えているだろうか?
『ロキ、神の怒りは既に解かれ、人間たちは許されているんだ。素晴らしいよ』
 そう言って、目を細めて眺めていた優しい天使。
―――今のおまえは激しい焦燥感に駆られ、狂おしい程の失望感に悩まされている。人間を憎悪している。

 

 バートルビーは友人を見詰め、意志の強さを伝えてくる。
 だが、ロキは手放しで喜ぶ気分にはなれなかった。
―――俺はおまえと一緒ならどこだっていい…だけど、おまえは”神”の御許に戻れるならば、俺が居なくても一人で歩き続けるだろう。
「必ず、帰れるよ」
―――そんなことは一生、ないんだよ、バートルビー。
俺たちはずっと地上に囚われたまま家に帰ることの出来ない迷い犬と同じなんだ。飼い主に捨てられ、拾ってくれる存在も同情してくれる存在もない、野良犬だ。もう、『天使』ではないのだから。
「一緒に帰ろう、ロキ」
―――可哀相なバートルビー。
 神よ、貴女の慈悲はどこまでも強欲で罪深い人間たちを免罪しているのに、彼のことは決して赦されないのですね。俺たちはこの先もずっと、この場所に留められたままひたすら天を仰ぎ続けることしか出来ないのですね。
 ならば、どうして最後の望みを捨て切れるように俺達から希望を拭い去らなかったのですか?
 彼と共に居続けられることだけで、俺は構わなかったのに。
 天だけを振り仰ぐこの友人に、少しでも意識を向けて欲しかっただけなのに。
 彼に愛されたかっただけなのに。

 

「なにしているんだ、行くぞ」
 ターミナルから出たバートルビーが、苛立つように振り返る。
「今、行くよ!」
 ロキは自らの思いを断ち切るように、彼のもとへ駆け出した。

決して報われることの無い、破滅への階段を昇る為に。

 

END

 


なんだか、久々のDOGMAです。
どうしたって暗くなるようです…また、救われない思いのロキちゃん。
ごめん。
いつしか幸せが二人に訪れますように…<おまえが書けよ。爆

↑当時のあとがき。
映画の冒頭のシーンで、実はロキはこう考えていた…みたいな話です。
やはり私が書くロキは、案外考え過ぎなキャラになる様です。orz

2002/4/19 『DOGMA・微かな吐息も今は聞こえない』 by.きめら

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