DOGMA Sweet Memorry

 

 いつだって憧憬と尊敬の眼差しで見上げてきた。
 己の立つこの場所よりも高い、玉座に座した偉大なる方を。
 いつだってそれだけでよかった。
 決して自分を特別に見詰めてもらえなくっても。
 御前にかしずく多くの者を見渡した時、ほんの一瞬でも…瞬きをするぐらい短い時間でも、自分に目を向けてもらえるだけで。
 誰よりも遠い、誰よりも愛しい、あの女性に。

 神よ、貴女が私の全てでした。

 

*********

 ロキは不機嫌そうに、隣に座るバートルビーの横顔を睨んだ。当のバートルビーは気に止めることなどなく、受け流している。良くある事なのだ。感情の起伏や気性のむらがある、この旧友には。
 …そんな事が分かってしまうくらい、長い間一緒にいた。こう言う時にはどうしたら良いか、また、違う反応の時はこうした方が良い等、要らぬ知恵ばかり付いてしまった。
―――自分はいつからロキの世話役になったのだ?
 そう思うと、疲れたような笑いを浮かべてしまう。
 『死の天使』ロキは、神の御名において罪人を断罪し続ける。彼はロキとは違った目的で作られたため、人間を殺す事になんの罪悪感も躊躇もしない。まあ、もっともなことかもしれないが。何故なら、『断罪』こそ神が彼を創り出した目的であり、彼に課した役目であるから。
 バートルビーはと言うと…グレゴリである。『見張る者』として、人間が過ちや罪を犯さないように見守る者でもある。どの天使より人間に接する時間が長く、機会も多いのだ。その為か、しばしば同情的になって、人間が虐殺される度に悲しくもなった。
 人間にだって善い面がある。清い人間もいる。でも、些細な間違いですらこの頃の神は許さないのだ。
「職務怠慢だ」
 ロキはそう言って、取り合ってはくれなかった。虐殺をやめるやめないでもめると、彼はそう言ったのだ。『見張る者』が監視しているはずの人間が、何故罪を犯す?ちゃんと見てるはずなら、過ちを正すことは未然に防げるのではないか?
―――職務怠慢なんて、してないのに。
 バートルビーは溜息を吐いた。
 人間には善と悪の両面があるのだ。『原罪』とも言う。
 つまり、バートルビーが考える理想とは…人間のある程度の罪は悔い改める機会を残すためにも寛容であるべきだ、と言うことであった。完全なる善の生き物など存在しないのだから、そのぐらいの慈悲はかけてもいいのではないか?
 それに…親友であるこの天使が、彼の同情を引いている人間を殺すこと自体、彼にとって大変心苦しい事実なのだ。人間が殺されることも、ロキが生き物を殺すのも、見たくはない。
 でも、神は…
「なんだよ、まだ怒ってんのかよ?」
 ロキはむすっとしてバートルビーから目を背けた。
「怒っているのは、おまえの方じゃないか?」
 バートルビーは思わず苦笑して、そう言った。
「おまえがさっきからずっと、無視してるから」
 すねたように言って、ロキが頬杖を突く。その横顔を見ながら、バートルビーはどうしたものかと考えていた。それを知ってか知らずか、ロキは言葉を続けた。
「…神が話しを聞かないのは、いつものことだろう。なんで、今日に限ってそんなに…不服そうなんだ?」
「ロキ…」
「おまえ、ちょっとおかしいよ。だって…悪いことしたら罰を与えられる、それって当たり前だろう?罪のない人間を俺が殺すとでも?」
「些細な過ちも見逃さない、慈悲の欠片もないおまえが殺さない人間なんてどこにもいやしないよ」
「そりゃあそうだけど…」
 口論になるといつも、ロキは口篭もる。でも、一生懸命になって返答する時の言葉は、聡明なバートルビーですらはっとさせられる事がしばしばあった。
「でも!そう言う理想的な世界を創る為に俺は働いてんだよ」
―――理想…神の理想とする健全な世界とは?
 一瞬考え込むが、バートルビーは不意に皮肉った笑みを浮かべた。
「実現したら、暇を持て余して…どうする?また、粗捜しするように小さな罪を嗅ぎ回るんだろう?」
 『断罪』は彼の本質。そのために創られたから。その本能的な役目から下ろされた時、彼はどうするのだ?抜け殻のようになってしまうのか?それとも、役目の終わった天使は…バートルビーは嫌な予感に顔をしかめる。
「その時はその時だ」
 ロキはふんっと鼻を鳴らした。
 バートルビーはじっと彼を見詰めて言った。
「寛大である事は難しいけれど、すばらしいと思うんだ。赦し合えることこそ、慈悲こそ、最も清い愛情だよ」
 それこそ最善のものであると神はいつか、言っていた。そして、それを実現するために今は厳格な処置をするのだと…。そう、一度だけ神はバートルビーの言葉に返答を返してくれたのだ。
 その日の歓喜を忘れる事はない。言葉に耳を傾け、御言葉を賜る事が出来た時、これ以上ないほど嬉しかった。その内容を考えることもなく。
―――馬鹿だ。
 神の言葉は決して自分が納得できるものではなかったのに、有頂天になってしまったのだ。指揮官でもない、しがない天使だった自分が、言葉をかけてもらえた事に。自分の意見を聞いてくれた事に。
 もう、神は自分の言葉に耳を傾けない。
 全知全能なる神の命令は絶対で、反論は赦されないのだ。
―――そうだ…神は決して無慈悲な訳ではない。たった一度だけでも、神は俺を許したのだから。
 はじかれた様にバートルビーは立ち上がった。
「おい?」
「ロキ…神は決して過ちを犯さない。それなのに、一度は俺の言葉に答えを返してくれたんだ」
―――反論そのものが罪なのに、御言葉をかけてくれたと言うことは…神が自分に対し、寛容でいてくれたと言うことではないのか?
「バートルビー…?どうしたんだよ?」
 戸惑うロキとは対照的に、バートルビーは微笑んだ。それに一抹の不安を覚えたらしく、ロキは慌てて立ち上がる。
「無理だよ。神は聞いてなんかくれないよ」
「そんなことはない。聞いてくれるさ…今すぐではなくても」
「バートルビー!」
 ロキは友人の顔を睨む様に見詰める。
「…なにを考えてんだよ?」
「別に」
 いつかきっと、神は誰よりも慈悲深い方になる。罪を犯した何者にも悔い改めるだけのチャンスを与えてくれる。きっと、そんな日が来るはずだ…。
「バートルビー…」
「ロキ、俺にとって神は、最高の理想であり、最愛の方なんだ」
 ロキは少しだけ暗い目をして、バートルビーを見詰めていた。あの日、言葉をかけられて喜ぶバートルビーを睨んでいた時のように…。
「…だから?」
「そう言う日を望んで、おまえだって今は任務を遂行しているんだとさっき言ったじゃないか。そうだよ、いつかきっと神は…」
 すぐにそう言う日は訪れる。もう、誰も傷付かない、平和な時が。そして、誰もが主を称える日が…。

 

********

 愛情が憎悪へ、歓喜が悲嘆へ、失望が怒りへ。それが常に人の世界でも移り変わっていく様に、また、人間界で暮らしていた自分の中でも変貌して行った。強い失望感が憤りへ変わって行った。
 世界は変わったのだ。
 人間たちはお互いを愛し合ったと思ったら、殺し合ったり、傷付け合う。
 それでも神はもう、殺さないのだ。

―――俺たちの罪はいつまでも消されないのに。

 人間を深く愛し、同情した事が罪なのか?
 寛大で大いなる慈悲を持った神の存在を望んだ事自体がなんの罪になるのだ?…神はすでに、罪深き、過ちに塗れた人間たちを赦しているのに、彼らを再び天に呼び戻そうとはしない。決して許さない。
 地上へ追放になった時のことを思い出すと、胸が苦しくなる。
 すぐにきっと世界は、この今の様に神の慈悲と寛大さで包まれるに違いない…そう思っていた、願っていた矢先、神は無情にもロキとバートルビーを人間界に派遣したのだ。人間たちを殺すために…。
 もう嫌だった。十分過ぎるくらい、バートルビーの心は傷付けられた。
 その不満や怒りは、実行したロキに対しても向けられた。彼に当たって…口論を繰り返し、彼から戦いの剣をもぎ取った。そして、彼自身の栄光や神からの信頼も奪い去ってしまったのだ。
―――逆鱗に触れた俺たちは、捨てられた。意に添わない、反抗的な子供など要らないと言われたように。
 ただ、穏やかな日々を願い、そうなる日を望み、信じていただけなのに。
 俺は、たった一度の…個人的にかけてもらえた…言葉だけを何度も思い出しては、悲しみの淵から逃げ出していた。それでも、再び暗い絶望感に際悩まされる。決して赦されなかったのだと言う現実が襲って来るから。
―――人間を赦したのに、俺は決して赦されない…?
 あんなにもかばってきたのに。あんなにも同情してきたのに。
―――今はあの、人間たちだって憎い。
 だって、それが俺たちの『罪』だと言われたから。

「俺はどこだっていい。おまえがいれば」

 ロキ、どうしておまえはそんな風に笑っていられるのだ?
 神の存在を感じる事の出来ない、地獄のような日々で、何故平気なのだ?

「そんなに悪いところじゃないよ、ウィスコンシンだって」

 無邪気なおまえすら、今は心から憎い。
 おまえの様になれたのなら、どんなに楽だろうか。

「バートルビーがいるから」

 いつだって俺が、おまえの世話役だった。能天気で楽観的なおまえを補佐してきた。
 だけど…今、過去の様にずっと変わらないフリをして演じ続けている事が、俺には苦痛なのだ。
 穏やかに、慎重に、思慮深く…慈悲めいた天使のフリをするのが。
 いっそ、壊れてしまえたら良いのに。

 おまえがどんな風に俺を見つめてきたか知っていたけれど。
 俺が神の存在を感じる事が出来ないのが、嬉しくて仕方ないのだと言うことも。
 絶望の中でおまえだけが傍にいる唯一の存在だと俺が気付く度に、喜びを覚えている事も。

 …それに答えるフリをしてきたけれど。

 神よ、私のした事は間違いだったのでしょうか?
 貴女だけを見上げてきた、見詰めてきた私はそれほど罪深いのでしょうか?
 一番身近な彼を愛する事が出来ないのに、最も遠い…それは天にいた頃からずっと…貴女を求めてしまった事が赦されざる罪でしょうか?
 自分を大切に想ってくれる彼を、ないがしろにしてしまったと言うことでしょうか?
 愛するフリをした、私は罪深い嘘吐きでしょうか?
 貴女のもとで、安らかな時間を過ごしたいと望んだだけなのに。
 貴女が天地創造の時に見せた、柔らかな笑みを湛える麗しい日々をもう一度望んだだけなのに。
 その優しい輝きをいつまでも見詰めていたいと思っていただけなのに。
 それにどれだけの罪があるというのですか。
 神よ、私の声はもう貴女には届かないのですか。
 もう答えてはくれないのですか。
 その御声を賜る事はできないのですか。

 私の中の平安は、脆弱な小鳥の翼をもぎ取るかのように取り払われてしまった。
 愛情も昔の慈悲も同情も、今の私の中にはありません。
 抜け殻になってしまったのは私の方です。
 貴女の存在を感じる事ができなくなってしまったから。

 

 神よ、今でも貴女が私の全てなのです。

 

END


バートルビーの独白。
無駄に暗いと言うか、原作映画のギャグ路線とは打って変わってシリアス一直線。 まあ、こいつ根暗だからな…(笑)
コメディ映画ではあるものの本筋はものすごく暗くてキツい話だから、私が書くと全体的にこう言う路線に行ってしまうのでしょう。
うん…でも、好きだから書くんだけどね(^^;)

 

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