史上最強の弟子ケンイチ ある日の出来事

 

 その日、道場に帰宅した兼一の耳に届いた第一声は、いつもの光景で良く聞く怒号だった。
「おい、つまみ返せよ!」
「あぱぱぱぱ」
 案の定、居間を覗けば例の如く、肴の入った器を奪ったアパチャイが陽気に笑いながら逃げ回っている…それを追い駆ける逆鬼の姿が目に入った。
―――またやってるよ、この人たち。
 大人気無いと言うより、完全に子供っぽいのだ、この人たちは。
 そんな風に思いながら溜息を吐く不遜な弟子は、それでも夕飯前の修行の為に離れの自室へと歩き出す。
―――それでも、皆、あれで武術では確かに達人だからなあ。
 ふとした時に見せる気迫や、人知を超えた技の片鱗を見る事が出来れば、嫌でもその事実を思い知らされた。普段は明るく振舞ったり冗談みたいな事ばかり仕出かすけれど、なんだかんだ言って恐ろしい人たちなのだ。
―――そして、僕はその人たちの弟子、なんだよね。改めて気付く度に信じられないよ…まあ、そう言っても僕も成長できてきたみたいだし。
 そんな事を言ったら師匠たち全員に爆笑されるだろうけれど…いじめられっ子で情けなく打ちのめされるだけだった頃に比べたら、少しぐらいはマシになってきたんだろうと思う。
 自分が成長していないような、まったく弱いままのような気がするのは、目の前に彼らのような人離れした格闘家たちがいるからだろう。如何ともしがたいが、仕方の無い状況とも言える。
「はぁ〜、それだってもうちょっと…誉めてくれたっていいのになあ」
 花だって誉めればそれだけ立派に育って、綺麗に咲くのだ。ただ滋養や水をやればいいと言うわけではない。その上人間だ、怒られて伸びる性質と誉められて伸びる性質がいるけれど、どちらもそれなりに取り入れて欲しい。
―――ヤバイくらいキツイ修行ばっかりで、こっちは死にそうなのに。
 時には休養とか、褒美ぐらい欲しいなんて思ってしまうのは、望み過ぎだろうか。
「誰が誰に誉められるべきだと思うんだい?」
「――――ッ!?」
 不意に背後から掛けられた声に、もともと小心者の兼一は口から心臓が飛び出るほど驚いて飛び上がった。
 慌てて振り返ると、にこりともしないままの岬越寺秋雨が廊下の壁に寄りかかっている。
「こ…岬越寺師匠…!?」
―――うわ、うわッ、聞かれた!
 と言うことは…身分不相応にも誉められたって当然だと主張する弟子を、彼は相応な分別を持てるようになるまで躾し直すだろう。秋雨が兼一の怠慢や高慢をただ見過ごす訳も無い。もっとも、悩んだり凹んだりしてる時も同じように察してくれるのだけれど。
「随分と大きな独り言だね、兼一くん」
 そう言いながら、秋雨はそこでようやく笑みを浮かべた。口元を小さく微笑ませて、普段以上の厳しい修行を課せられるのではないかと最悪の予感に怯えている兼一のことをどこか面白がる様に目を細めて眺めている。
「あ、いえ、その…」
「それとも、わざと聞こえる様に言っていたのかな?」
「ち、違います!いや、これは…別に…何も…」
「言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだね?」
「うう…………」
 最後には言葉すら言えないほど声を詰まらせた兼一が、冷や汗をかいて俯く。
 秋雨はくすくすと笑って、そんな不肖の弟子の頭を撫でた。
「頑張ってるよ、君は」
「え…?」
 叱責が来ると思っていた兼一は、秋雨の意外な言葉に最初とは違う驚きを覚えて目を丸くした。
「それって…」
―――僕の事、一応、誉めてくれてる…のかな?
「良く、死なないでくれてるよ」
「……………ッ!!」
 ハガッと口を開けた兼一のショックの破顔にも、秋雨はにっこりと笑っている…その表情から、彼が自分をからかっているのだとようやく気付いた兼一は、すぐにむっとした様に口を閉じた。拗ねた様にむすっとして、口を尖らせる。
「…ひどいですよ、その言い方」
「おや?機嫌を損ねたかな?」
 そう言いながらも、声は相変わらずの悪戯めいた気配を多分に含んでいる。
 兼一は頬を膨らませ、上目遣いでそんな師匠を睨み上げた後にぷいっと顔を逸らす。まるっきり、機嫌の悪い子供のような仕草だった。これでは、先ほどの逆鬼とアパチャイを子供染みているなどと心の中で毒吐くような資格はまったくない。
―――そりゃあ、分かってるけど。
 そうだとしても、こうして悩んでいる相手に対してからかってくる秋雨の行動だって子供染みていると言えば言えるのではないだろうか。
―――本当、この人っていつもこうなんだから。
 こうなったら、やっぱり逸早く実力を身に付けて、あっと驚かせるぐらい強くなってやろう。そうしたらからかいの言葉なんて言えないはずだ、当然の様に誉められてやろう…
「元気が出たかい?」
「!」
 野望の様な願望を思い描いていた兼一は、はっとして再び秋雨の方に顔を向けた…いつのまにか秋雨は、笑みの種類を変えて兼一を見詰めている。からかいと悪戯っ子のような色は消え、微笑ましげに見守るっている様な優しげな面差しが映る。
「師匠…」
 三度目の驚き。
 そんな兼一の肩をぽんと叩いて、秋雨は言う。
「まあ、頑張りたまえ」
 兼一は呆気に取られながら、それでも無意識的に背筋を伸ばしていた。眼前の師匠が醸し出す、弟子への思い遣りと励ましにはたと気付かされたからだった。
「は…はい!ありがとうございます」
 元気に、勢い良く頭を下げた弟子を見やり、秋雨は再び微笑んで踵を返した。
 しばらくはそのまま背を眺めていた兼一は、やがて気も新たに顔付きを変えると自室に飛び込んだ。そして学生服を脱いで着慣れた胴着に手早く着替える。
「…よぉしッ、今日も頑張るぞ!」
 その声は力強く、希望を色濃く映して紡がれるのだった。

 そして、史上最強の弟子の修行は今日も続く―――。

 

END

 

 


今回はかなり短いショートです。
武術家としての成長に思い悩んでいた頃の兼一と、その兼一を毎度のように宥めすかしたり叱咤したりしたであろう秋雨さんの話を書いてみました。
久々に王道な感じのものをやりたいなと思いまして。
う〜ん、どっちかと言うと月刊版みたいになったかなあと自分では思います。
なんか週刊だと兼一ってもっと素直な少年な気がするので(笑)

って言うか、逆鬼とアパチャイの扱いが今回はヒドイな…あれ、可笑しいなあ?
いや、その…すいません;

2005/2/19

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