史上最強の弟子ケンイチ Miss you most

 

 陽気な音楽が流れる繁華街を歩きながら、人は皆それぞれにどこかしら浮かれているような幸せそうな顔をしている。
 だが。
 彼は溜息を吐いて、そんな人々の間を歩いていた。
「あ〜あ…もうこんな時期だって言うのに、きっと何も変わらないんだろうなあ」
 そう呟く後姿は心なしか元気がない。
 気弱そうに下を向いたまま、"とぼとぼ"と言う表現が良く似合う歩き方だった―――変わったはずなのに、根本的な性格は直らないらしい。どう言う訳か、すぐにネガティブになったり悲観的に物事を考えやすいのである。他人から見れば些細な出来事だったとしても…もっとも、誰もがそんなものかもしれないが。
 彼…荒涼高校の一年、白浜兼一、十六歳。ちなみにとある道場に通い始める前は"フヌケン"(フヌケのケンイチ)とあだ名されるいじめられっ子だった。今では厳しい試練と戦いの繰り返しで強くなってきてはいるが。ぱっと見の気弱そうな顔と小柄で華奢そうな体つきは早々に変ることはなかった。余程のことがない限り、"本気の目"にならないだけかもしれない。
 ともかく、その彼は今、この街中…いや、世界中が慌しく、けれども浮かれるであろうこの時期に至って思いもよらない絶望感を覚えていた。
 それもそのはずで、彼の想い人のことを思い出せば、暗くならざるを得ない。
―――結局、美羽さんとの間に何の進展もなかったよな。
 もとよりそんな兆しなど無かった、と言われればそれまでではあるが。
―――脱「お友達」までは行かなくても、もうちょっと何か…
 高校入学してからしばらくして出会った、不思議な美少女。可愛い容姿と抜群のスタイル、おっとり口調の女の子。けれどもその本当の姿は、兼一が足元にも及ばないぐらい強かった。たしなむ程度と言いながらもあの格闘センスといい技術といい、到底そんな程度で武術をやっているようには思えなかった。まあ、案の定、その通りだったわけだけれど。
 兼一が通い始めて今では内弟子として住み込みまでしているあの道場は、それぞれの理由があるのだろうけれど、各武術界から出て来た達人たちが集う場所だったのだ。いや、はっきり言って超人かと思った。と言うより、殺されたくないから入ったのに殺されるのを覚悟しないといけないような道場である。今でこそ気絶する回数も少なくなってきたが、それでもキツイと心底思うことが多い。
 そして、その道場…梁山泊こそが彼の想いを寄せる相手である風林寺美羽その人の家であった。だからこそ、彼女の強さがマトモなハズもないわけで。
―――その上、結構、天然入ってるし。
 本人に告げる勇気も無いくせに、彼女が自分の気持ちをまったく察していないだろうことを思うと悲しくなる。まあ、知られたら知られたで、大騒ぎするのだろうけれども。
「だとしても、やっぱりちょっと切ないよ」
 ふと足を止めて見上げれば、空は薄灰色の雲に覆われていた。

 

―――この決意をしたのも、どれぐらい悩んだ末なのか忘れたぐらいだ。
 完全な冬の訪れと暦上の冬が来始めた頃から、兼一は悩んでいた。あと1ヶ月もしない内に、あの、年明け前の一大イベントがある…どうにかして何とか、今年こそは好きな人と一緒に過ごしてみたいなんて思ったりもして。もちろん、その相手は美羽だ。
―――だとしたら、どうすればいいのだろう?
 そんな自己問答を繰り返す内に、いつの間にか時間が迫っていた。
「って言うか、もう24日だよ…とほほ」
 これ程までに自分の勇気のなさや優柔不断さに落胆したことはない。
―――自分でも嫌になっちゃうよ。
 それでもこうして始めの行動を起せただけ、マシだと言い聞かせる。
 ほのかはそんな兄の様子に気付く素振りも見せずに言った。
「見て見て!お店の前のおっきなツリーがあるじょ!綺麗だじょー」
「ああ、そうだな」
 憮然とした表情の兼一に対して、ほのかは上機嫌に笑っている…寒々とした冬の風がビルの間を吹き抜けていって、マフラーとコートの裾を揺らして行った。

 出かける小一時間ほど前、兼一は久しぶりに実家に戻っていた。色々と着替えやら新しい本やらを取りに行く為に、たまには顔を出すのである。そこで、居間でテレビを見ていたほのかに話しかけた。
「なあ、ほのか。兄と買い物に行かないか?」
「ええッ!?」
 滅多にない、兼一からの提案にほのかは思わず驚く。そして、まるで子犬の様に「行く!」と喜び勇んで答えた。
「選んで欲しいものがあるんだ。その、僕よりおまえの方が分かるかと思って…」
 それが何なのか分からないが、ほのかはすぐさまソファから飛び降りて自室のある階上へと駆けて行った。

 そんな先刻の出来事を考えている間に、兄の腕に自分の腕を絡めて、ほのかは言った。
「珍しいじょ。お兄ちゃんからほのかと買い物に行こう、なんて言うの」
 それが機嫌のいい理由だった。
 ほのかから兼一にまとわり付くことは往々にしてあるのだが、兼一の方は妹の身に危険が生じたり、何か遭った時以外は割と冷遇している感じがある。兄としてたった一人の妹を憎からず思っているのは当然だし、出来ることなら守ってやりたいとも思うのだけれど…この年にもなって兄離れしないほのかの行動には些か閉口させられることがあった。さすがに年頃になってまで妹ばかりに引っ付かれているのも、兼一としては悩みの種なのだ。まあそれでも、ほのかを可愛くないとは思っていないのだが。
 ともすれば、彼からほのかに同行を誘うことは珍しいことである。
「ん、まあ…な」
 嬉々としているほのかに対して、兼一の方は生返事をする。
「任せるじょ!」
 どんっと心強く自分の胸元辺りを叩いて、ほのかは小柄な身体を偉そうに反らす。なんとも言えない、滑稽だが愛嬌のある彼女らしいポーズである。
「ほのかがちゃ〜んと選んであげるじょ」
「ああ」
 兼一は苦笑して、ほのかを見下ろした。

 

 混雑したデパートの中を歩きながら、やはり女の子らしく、ほのかはあちらこちらのお店のディスプレイに目を奪われているようだった。どこもかしこも、いつもよりキラキラしているような感じがする…それがこの時期特有の魔法みたいなものなのだろう。特別な日の為の特別な何かを感じさせるような、そう言う魔法だ。
 男性服売場を通りがかった時、ほのかは一つの店を指差した。
「あ、ああいうの、カッコイイ」
「え?」
 つられて振り返った兼一は、完全モデル体型のマネキンが着せられたブランド服を見た瞬間に溜息を吐く。
「まあ、そうだけど…」
 こういうと自分で落ち込みそうになるが、到底自分に似合うとは思えない。確かにカッコイイけど。
「あのジャニーズ系が着たら似合いそうだじょ」
 ほのかはぽつりと呟く。
「!」
 兼一は不思議と複雑な心境になるのを自覚した。
 今まで兄一筋になついていた妹が、よりによって自分の知る人物のことを何気なく言ったのである。しかも強くて美形で学内一にモテる男…その上、二面性。
 いつかはそう言う時が来るものだ…初めはそれで妹から解放されると思っていたのだが、やはりそう簡単に割り切れるものではない。もしかしたら、行き遅れの娘がとうとう嫁ぐと言う時の父親の心境に似ているのかも。せいせいすると思いながらも、どこか寂しいような…まだそんな経験はないが。
 兼一のなんとも言えない表情をどう解釈したのか、ほのかは慌てるように兼一の腕を掴んだ。
「でもでも、お兄ちゃんも似合うと思うじょ!」
「変な気を遣わなくていい…」
 慰められたり同情される方が余計に傷付くこともある。
 気を取り直した兼一はその売場を横切って、ほのかの好きそうなファンシーグッズの店へと向う。
「あれ?お兄ちゃんのお洋服買いに来たんじゃなかったの?」
 てっきり、そこで彼女のいない(とほのかは力説したい)兼一が女の子からの意見を聞く為に自分を誘ったのだと思ったのだけれど。
「違うよ」
 そう答えて、兼一は少しだけ笑った。
 女の子が喜びそうなデザインの商品が所狭しと並んでいるその店の中、彼と同じぐらいの年頃であろう女の子の二人組みが文具用品の前で楽しそうに品定めをしている。別の棚では日用品や食器類を子供連れの親子が眺めていた。そして、奥にあるぬいぐるみの段に兼一たちは向かう。
 ほのかは比較的手の届きやすい下の段から、フワフワした白毛の熊を手に取った。
「かわいいじょ〜!」
 こういう姿を見ると、やっぱり女の子だなあなんて、兼一は思った。いや、まだまだ子供だってだけなのかもしれないが。
「それが気に入ったのか?」
「うん。あれも、あっちもかわいいけど、これが一番かわいいじょ」
 と言うのはほのかの好みに合ったぬいぐるみがソレだったのだろう。兼一にとっては、どれもあまり大差ない。熊なのか犬なのか兎なのかぐらいの違いで、一固体ごとの顔付きなどさほど気に留めるほどではなかった。こう言うのは好きな人間にしか分からないのだろう。
 そんな中、ほのかは視線を上げた。微笑ましそうに苦笑しながらも納得しかねている兼一の様子に、他のぬいぐるみはないかと目で探す。そして、上段に置かれたネコのぬいぐるみが視界に入った。体に比べて頭部が大きめにデフォルメされた、なかなかに可愛いヤツである。くりっとした目が印象的だ。
―――そう言えばムチプリって、ネコが好きだってお兄ちゃんが言ってた気が…
 そう思いついただけで、何となくむっとしてしまう。
 兼一はほのかの視線の先にあるものを見つけて、手を伸ばした。
「これか?」
「え?」
「あ、違うのか?ずっと見てたから、取って欲しいのかと思ったんだけど」
「…ううん。ムチプリが好きそうだなって思っただけだじょ」
「あ、そっか…これ、ネコだもんな」
 改めてはっとして、兼一は自分が持っているそれをしげしげと見やった。
 栗毛色の毛足が長くて手触りもいい。よく見れば、幼稚なデザインの割りに瞳の部分は縦に細い虹彩が付けられていて、意外と手が込んでいるようだった。
「う〜ん…」
「お兄ちゃん?」
「はっ…え?なんだ?」
 服の裾を引っ張りながらじっと見上げてくるほのかに、兼一は自分の考えていたことを思い当てられたのかと思って居心地悪そうに視線を逸らした。
―――まさか、美羽さんにプレゼントしたいから買い物に付き合ってくれ、なんて言えないもんな…
 初めの声をかけた時の様子を見やれば、普段から何故か美羽を目の敵にしているほのかにそんなことなど言い出せるはずもない。もし行かない!とか駄々をこねられたら、困るのだ…女の子の趣味なんて、男に分かるわけがないのだから。
―――もっとも、それだけじゃないけど。
「ほのか、おまえはそれで気に入ってるのか?」
 いまだに抱えているぬいぐるみを指差しながら兼一が話を逸らすように問いかける。ほのかはこくん、と頷いた。
「じゃあ、それ持ってレジに行こう」
「え、買ってくれるの?」
「ああ。買い物に付き合ってくれたお礼だよ。まあ、僕からじゃなく、"そういう相手"から早くもらえるようになれよ」
 ほんの些細なからかいを言って、「居ないもん!ほのか、お兄ちゃんからもらう方が嬉しいもん!」と必死になって主張する妹を笑いながら促して歩いていく。傍から見れば仲の良い兄妹の可愛らしい情景だろう。
「すいません、これください。プレゼント用に」
 レジ台にほのかの持ってきた熊と自分が持ってきたネコを乗せる。店員のお姉さんはにこやかに「いらっしゃいませ、ありがとうございます」と受け取って、レジを打ち始めた。
―――結構するんだなあ、こういうのって…
 たかがぬいぐるみのくせに、と思うのはそういう趣味がないからだろうか…会計を済ませて、今度は包装されるのをレジ脇に寄って待っていると、ほのかがじっと見上げてきた。
「ん?どうした?」
 可愛い顔を怪訝そうにしかめている。
「…ムチプリにもあげるの?」
「えっ」
―――あ…そうだよな。
 選んでもらう、もとい男一人では入りにくい店に付き合ってもらうということは、何を買うのか言わなくても自ずと知られてしまうことに他ならない。テレくさいやら、ほのかの美羽嫌いを思えば面倒くさいやらで内緒にしていたけれど、結局はそんなことも意味はない。
「ねえ、ねえってば」
「うう…」
 服の掴んでしつこく揺らしてくるほのかに閉口したまま、兼一はどう誤魔化そうかと頭を悩ます。
―――別に、素直にそうだって言っちゃえば済むことなんだけどな…
 言えば言ったで激怒するか騒ぎ出すかもしれない、そんな予測の立つ相手に簡単に告げていいものか、やはり悩む。
「お待たせしました」
 そうこうしている内に、店員が手提げ袋に入った二つの箱を持ってくる。それを受け取って、いまだ自分を疑惑の目で睨み付ける妹の視線を避けながら、兼一は店を後にした。

「お兄ちゃんってば!」
「しつこいな、おまえは…」
 家までの帰路、尚もあきらめないほのかであった。
 荷物は兼一が全て持っていた(相手が妹でも女性に対する礼儀は徹底している)ので、そう簡単に小さなギャングの追撃はかわせない。ひっしと腕を掴んで放さないほのかなのだ。
 かさ張ってはいるが重くはないので、彼の負担になっているとは思えない。それでも、自分用や日用品ではなくあげる相手のいる贈物だから大切にしなくてはならない…だからそれを守るのに必死で、兼一はほのかの行動を甘んじて受けていた。もし彼女がもう少し年齢相応かそれ以上に大人びて見えたら、傍からすると痴話げんか中の恋人に見えるかもしれない。今の所は単なる兄弟げんかとしか見えないけれど。
「ほら」
 家の前に付いて、兼一が袋の一つを渡す。リボンで色分けされているので間違うことはないだろう、ほのかに買ってやった分だ。
 急に思い出したかのようにほのかは大人しくなって、その渡された包みを抱えた。
「それじゃあ、僕はもう行くから…」
「えっ、せっかく帰ってきたのに?晩御飯ぐらい食べてから…いや、今日は家に居て、道場には明日の朝行けばいいじょ!」
「いや、そうも行かないし…」
―――修行をサボると後が怖いし…
 屈強の師匠たちを思い浮かべると、冷たい汗が流れる。
―――それに、美羽さんと会いたいし。
 と、こっちが本音だったりする。
「今日はクリスマス・イブだじょ。修行なんか休めばいいじょ!」
「う…そうなんだけど…あの人たちに休みなんて言葉、ないだろうし…」
 それに、今抱えている荷物はこの日の為の彼女へのプレゼントなのだ。これで多少はそれなりに…たぶん…ちょっとは上手く行くかなと思ってみたりした。仄かで淡い希望である。
 ほのかはまだぶーぶーと怒っていたが、兼一はこれ以上ほのかのご機嫌斜めに晒されるのも嫌で、早々に踵を返す。
「じゃ、また近い内に…」
―――許せ、兄は今、一大決心の最中なのだ!
と、言訳とも言えない言訳を心の中で激白しつつ、彼は駆け出す。
「あ!お兄ちゃんのバカーッ!」
 まるで逃げるようにそそくさと駆け出した兼一の後姿に、ほのかが怒鳴る。
 それから、その姿が見えなくなって、彼女はむすっとした表情のまま呟いた。
「もう…本当はありがとうって言いたいのに」
―――どうして怒らすようなことを言うのだろう?
 本当は、本当に本当に、思いがけずもらったプレゼントが嬉しかったのに。
「行っちゃったから、言っても、もう聞こえないじょ…」
 ほのかは諦めて、包みを大切に抱えたまま家の中へと入っていった。

 

* * * * *

 子供の時から、この日が特別なのだと思ったことはなかった。
 旅から旅へ、留まることがあればそれも修行に明け暮れていて、時には風習的に年の瀬や年明けを祝うこともあったけれど、今日と言う日がそれほど大きな意味を持つことはなかった。それなりに周囲が気になり始めた年頃になって日本に戻ると、皆がお祭り気分でこの日を楽しんでいるのだと知った。それは西洋で言う聖なる日の祝い事とは違うけれど。
 ふと窓から外を見やれば、先程よりも雲が重たくなったような気がする。
 夏の雲とはまったく違う、真綿の様に白くとも寒さに際立つ白さのような気がした。
 吐いた息が白く濁る。
「それにしても…遅いですわね、兼一さん」
 兼一が居ないというだけで、どうしてここはこんなに静かなのだろう…以前、一度実家に逃げ帰ってしまった時も、ここは火が消えたように静まり返っていた。それは、彼が現れる前と同じ慣れた環境に戻っただけなのだろうけれど、どうにも落ち着かなかった。もうすでにそれ以降の、彼が現れた時以降の梁山泊の毎日の方が当たり前のようになっていたからだろう。
―――皆さん、そう思ってますのよ。
 情けなくて手のかかる弟みたいな兼一。でも、驚くほどの強い信念と時々こちらの予測をはるかに凌駕する強さを見せる。普段は本当に気が優しくて花に話しかけたりなんかもしている、気弱な男の子なのだけれど。そんなギャップがまた不思議と人を惹き付ける力のような気がする。
 だから、今年の今日と明日は、今までとは違う。きっと変わる。何故かそんな予感がする。
 不意に、視界を過ぎる小さな影に美羽は空を見上げた。
「!」
 ちらちらと、小さなそれが目の前を掠めて庭の土の上に落ちて溶ける。
「雪…」
 気付けば次々と、その冬の使者たちが降りて来ていた。木々の向こう、塀の向こう、街の方にも灰色の空から生まれた粉雪が降っているに違いない。
 それから呆然としていた美羽の耳に聞き慣れた足音が聞こえる…重たげな門が開く音がして、その足音は「遅くなりました!」と言う元気な声とともに敷地内へと入ってきた。
 窓から身を乗り出してそちらを見やれば、寒さと駆けて来たことにだろうか、仄かに鼻頭と頬を赤くした兼一が今まさに玄関へと向かっていく。傘を持たずに出かけたので、コートの肩に降ったばかりの雪が少しだけ残っていた。それを払ってから、小さなくしゃみを一つ。
 美羽は夕食の準備を進める手を休めて、くすりっと笑った。
 どうしてだろう、どうしても兼一の姿を見るとなんだか心が少しずつ温かくなる気がする。今日みたいにどんなに寒い日でも。
「微笑ましいことね」
 驚いて振り返ると、馬がいつもながらのエロ本を片手に台所の入口に立って美羽を見やっていた。
「いつからそこに、ですわ!?」
「おいちゃん、さっきからここに居たね…」
 何やら今日は手の込んだことをしようとしているから手伝ってやろうと思ったらしい…馬は心外そうにそう呟いた。
「え、ええ、ありがとうございます。でも、大丈夫ですわ」
「そうね」
 くすっと笑った馬は腕と脇の間に本を挟むと帽子を被り直して言った。
「美羽は、今日は特に…丹精込めた自分の料理を兼ちゃんに食べさせてあげたいのね」
「えっ何言ってますの、ですわー!」
 これだけを言いに来たのならば、作業を邪魔しに来たのと何ら変りはない。しかもからかいに来た冷やかしにも似ていて性質が悪い…美羽の反論を聞き流しながら、馬は最初来た時と同じように足音もなくさっさと廊下を戻って行った。
「もう、もう、馬さんったら」
 戦っている時とは違う"おつむにきた"美羽である。
「微笑ましいって、何が、ですわ」
 兼一の様子が微笑ましくて思わず微笑んでしまったけれど、馬は美羽の様子まで微笑ましいと言ったのだ。
 独りでプンプンと怒りながら、それでも作った料理を皿へと並べていく。人間、図星の時ほど怒りやすいのだ…かどうだか分からないけれど、ともかく今日はいつにも増して豪勢な料理が多いのも事実である。
「だからって、もう…」
「なに…怒ってるんですか?」
「ひょわっ!?」
 遠慮がちな声に呼びかけられて、美羽は思わず可笑しな声を上げた。慌てて振り返れば、戸口で怪訝そうな顔をしている兼一が立っている。
「け、兼一さん?」
 外から戻ってきたばかりなのが良く分かる。まだ少し頬が赤らんでいる。
「お、おかえりなさい…」
「え、あ…ただいま帰りました」
 へらっとした笑みを浮かべて答える兼一であるが、目の前の美羽を改めて見やってそのまま固まった。
―――なんだろう、このぎこちなさは…?
 いそいそと料理の手を進めるのも、何か兼一を避ける為のような、意識的に無意識を装っているような…
―――まさか、自分が出かけてたからって訳はないよな…こんな大事な日に私をおいてくなんてひどいですわ〜なんて。ははは。
 ちょっぴり、そうあって欲しいとも思う兼一である。
―――でも、こんな様子では果たしてプレゼントを渡しても大丈夫だろうか?
 美羽のことだから、素直に喜んでくれるものとは思う。だが、それで終わり、と言ういつものパターンになりそうだ。
―――まあ、それでも僕はいいけどね。
 喜んでもらえるだけでも幸いだと、妙に謙虚に受け止めてしまうのだった。

「お、こりゃあ…」
「今日は"そういう日"だったね」
 ほぼ同時に居間に入ってきた逆鬼と秋雨が卓上に並べられた料理を見下ろした。
「本来は明日を祝うのであって、現在の日本の様に前日に浮かれ騒ぐのは…」
「御託はいいんだよ」
 珍しく逆鬼の方が、ブツブツと言い始めた秋雨を止める。その"御託"を邪魔されて、少しだけ残念そうに秋雨は無言で顔をしかめた。
 一番に駆けつけたアパチャイはすでにおあずけを食らった犬の様に目の前の料理を物欲しそうに眺めている。
 美羽はそれぞれの様子に思わず苦笑しながら席に付いた。
 兼一も自分の席に座りながら、ふと思い出す様に呟く。
「クリスマスかぁ…いつも、ウチは家族で居たなあ…」
 いつまで経っても小さな子供みたいに、家族で食事をして、買ってきたケーキを食べて…思い起こせば一度だって"彼女"となんか過ごしたことはない。と言うより居なかった。
「私はこうした形で過ごすのは初めてですわ」
 どことなく寂しげに微笑んだ美羽が呟く。
「えっ?…あ…」
 思い起こせば"世直し旅"とか言って落ち着いた幼少時代を過ごしていなかったようなことを聞いた覚えがある―――それならば、当然かもしれない。それに彼女の両親は、その幼い頃に亡くなっているのだ。それならば、当然かもしれない。それに彼女の両親は、その幼い頃に亡くなっているのだ。
「そうですか…」
 なんと言っていいのか分からない。
「でも、今年は出来ましたわ」
 兼一の勝手な気まずさを立ち消すように美羽は言い、はっとして顔を上げた彼に微笑む。隣に座る馬は振り返りもせずに言い放って、最後ににやり、と笑った。
「兼ちゃんが来たから、ね」
「え?」
 振り返った兼一が理由を問う前に、美羽が叫んだ。
「馬さん!」
「おわっ!?」
 その声に驚く兼一…美羽はすぐに声を荒げた自身を恥じて口をつぐんだが、納得の行かぬ顔をしてまだ笑っている馬を睨んでいる。子供がすねるような表情だ。
 まあまあ、落ち着きたまえ、と話しに入ってきたのは秋雨である。彼は困ったように苦笑を浮かべながら、小さな子供を見るような目で美羽と兼一を見やる。それから話を変えるように言った。
「いつの間に日本では若者が浮かれ騒ぐような風習になったんだろうね」
―――アンタが若い頃でもあったでしょうに…
 兼一がそう思っていると、そちらを向いて秋雨は言った。
「確かにあったけれど、今とは少し違うな」
 今更ながらに心が読めるのではないかと兼一が危惧するまもなく、彼はふっと小さく溜息を吐いて言う。
「もともとは北欧の冬至の新年を祝う日が原型と言われていて、それをキリスト教が取り込んだのが今のクリスマスだとも言われているね。古代ローマの収穫祭とも時期が近いからそちらと融合したと言う説もある」
「収穫祭?」
 秋雨は頷く。
「そして、子供や家族に贈り物をし合ったらしい。それが今のプレゼントの風習につながるんだろうね。もちろん、聖クローズの恵まれない人々への施しもモデルだけれど」
 世界中で親しまれている"サンタさん"が実は青い服だったとか、温かみがある赤にイメージとして後世で変えられたとか、そういう話なら聞いたことがある。
「もともとのお祭りがあるんですね」
「そうだよ。古い太陽が終わり、新年に向けて新しく生まれ変わる太陽の誕生を祝う祭りだったんだ」
 そんな逸話を語る隣で、逆鬼は憮然とした表情を浮かべている。別に秋雨の口上に興味があるわけでもなく、だからと言って邪魔をするつもりもない。ただ単に違うことが気になって、秋雨のご講義には何ら気を引かれなかっただけだった。まあ、多少の知識にはなったのは違いないが。
 彼は会話が止まった隙に美羽の方を向いて尋ねる。
「あ、そうそう…アレはまさか無いよな?」
「あれ?」
 美羽はそちらへ向いて小首を傾げる。
「なんですの?」
「ほら、アレ…えっと、プティングだっけ?俺、この日に食うアレは食えないから」
 何やら思い出したように少しだけ顔をしかめながら、逆鬼は言った。
 好き嫌いの無い逆鬼にしては珍しいことだ…とは言え、西欧でも風習的に出てくるクリスマス・プティングが嫌いな人は多いらしいからそれほど驚くことでもない。ちなみにこの菓子の風習はイギリス生まれ。そちらの流れを汲む人々は他国に渡ってからも作ることがあるのだろう、時折アメリカ映画などにも登場するぐらいだから。
「さすがに作ってませんわ」
 美羽がそう答えると、どうやら安堵したように逆鬼はいつも通りにビールをあおった…本気で苦手らしい。
 そんな逆鬼の様子に気付いたとも思えないアパチャイは、はたと思い出して嬉しそうに言った。
「アパチャイ、さっきケーキがあるの見たよ!」
 台所においてあったよ、においでわかるよ、と彼特有の邪気のない笑顔を浮かべる。
 まったく、相変わらずだ…と誰ともつかない溜息が小さく漏れた後、兼一は「ああ」と思いついた様に言った。
「帰りがけに僕が買ってきた、ケーキのことですね」
「うん、そーだよ」
 にこやかにしているのは当のアパチャイと兼一と美羽と様子を微笑ましく眺めている馬。逆鬼はそういう行事が照れくさいのか、それとも本心からなのか分からないが、「甘ったるいのは要らん」と呟く。酒の肴になるようなものならイイらしいが。例えば赤ワインとビターチョコとか。
「…別に、無理して食べてもらわなくてもいいですよ」
「……………」
 兼一がぼそりと呟くと、逆鬼はバツが悪そうに口をつぐんだ。
―――僕としてはクリスマスを満足に過ごしたことがない美羽さんが喜んでくれればいいわけだし、黙っていてもアパチャイさんが残ったら全部食べちゃうだろうし。
 傍から見れば拗ねたような兼一の呟きに逆鬼は対処しきれずに固まっていたが、当の本人は別に余り気にしているわけではなかった。要は、この日の大切なことは、いかにして美羽との間を縮めるか…否、そこまで行かなくても彼女が楽しんでくれたらイイと思っている。
 少しだけ居心地の悪い空気が流れ始めた時、再び秋雨は口を開いた。
「世界的にはクリスマスにケーキの習慣はあまりない。日本と…有名なのはフランスのブッシ ュ・ド・ノエルかな。昔は無かったけど今は日本でもこの季節になると必ず売っている。今年はまた別の国の菓子が上陸すると言われているけれどね」
 先ほど話に出てきたイギリスのプティング、ドイツのシュトレン、スペインのマサパンやトゥロン、イタリアのパネトーネ、サンタクロースの国と言われる北欧ではジンジャークッキー…
「まあでも、ケーキではないね」
 と締めくくる。
 兼一はそろ〜と手を上げて発言した。
「その…それ、ですが。さっき言ってたブッシュ・ド・ノエルです、買ってきたのは」
「ほほう…」
 それを君は買ってきたのか…と呟きながら、自分の言った説に意味ありげな表情をして、秋雨は少し驚いている兼一を見やる。
「え、何か…もしかして嫌いとか?」
 どちらかと言うと美羽が喜んでくれさえすれば自分も嬉しい兼一なのだが、そこはそれ。今時の若者には珍しく、周囲への気配りもする彼は少しだけ心配そうに師匠を見やった。
 だが、秋雨はにっこりと微笑む。
「いやいや。ただね、ブッシュ・ド・ノエルの由来を思い出してね」
「由来ですか?」
 相手が話題に食いついてきたことに気を良くしたのか、彼は答えた。
「諸説あるが」と前置きした上で、続ける。
「クリスマスから公顕祭である1月6日までの12日間を冬至の祭りとして焚き火をして火を絶やさないようにしていたらしい。まあ、そういう設定がある上での話だけれど…とある貧しい青年がクリスマスに森から切ってきた薪を恋人に贈った、という物語がある」
 そんな話があったとは知らなかった。
 そもそも伝統のある行事なのだから、その間に色々な風習や由来のある慣習が出来ても可笑しくはないけれど。
「それをモチーフにしたケーキなんですか?」
「まあ…一説によれば、だけれどね。なかなかに誠実でいい話じゃないか」
―――恋人、ねぇ。
 明らかなからかいである、兼一はそんな風に思いながら視線を逸らす。
 秋雨は自分の話に対して「どうだ」と言う感じをそこはかとなくかもしながら、兼一に向かって微笑んでいた。
―――意外とこの人たちって子供染みていると言うか、そう言う部分が多いんだよね。
 当の本人以外は兼一の気持ちを知っているので仕方ないとは言え…ちょっと過ぎるんじゃないだろうかと思うようなこともしばしばあった。これもいい例だろう。
「面白い話ですね」
 兼一は、さらりとそれだけ言って話題を断ち切る。
 これ以上、面白がる師匠連中のさらし者になる気も、はたまたえらく弄られる気もない。出来ることなら、この後の一大決心の末の行動に支障を来たすような重圧は取り除いておきたい。
 秋雨はそんな兼一の思惑を知ってか知らずか、追い討ちをかけるような真似はしなかった。それまで事の成り行きを傍観していた逆鬼と馬だけが物足りなさそうに眺めているけれど。
 ちらり、と美羽の様子を伺えば、彼女は秋雨の語った話に「ロマンティックな話ですわね」と純粋に感想を述べている。
―――まあ、そんなぐらいだとは分かってたけど。
 無粋に詮索したがる眼差しの師匠とその様子とを足して2で割ってもらえればまだマシだと思う…もう少し、その奥にある意味深げな真意を汲み取って欲しいものだ。
―――って思うのは、僕の傲慢かなあ?
「兼一さん」
「えっ、あ、はい?」
 自分の考えに入っていた兼一は、突然その相手から呼びかけられて戸惑いも露に振り返る。
 美羽は嬉しそうに、「後でいただいた紅茶を入れますから、デザートにみんなでケーキをいただきましょう」と微笑んだ。

 

 見上げる空にいつの間にか星が瞬いている。
 夕方頃から振り出した雪はすっかり上がって、今は地面に痕跡すら残してはいない。僅かに湿った土があるだけだ。
 東京の冬などこんなものである。クリスマスに雪が降る、と言う事の方が近年では珍しいぐらいで、今年は特別だ。それも可愛げのある粉雪で彩ってくれたのだから、これ以上ないぐらいだ。
 兼一はふと時計を見やり、もうすぐ25日になるのだと気付いた。
―――あれだけ決心したんだけど。
 このままだと黙って次の日になりそうである。そして、明日になったらなったで何事もなさそうに過ごしてしまう気がする。
 日本ではイブの方がお祭りで、クリスマス当日はそんなに騒がれないのだから…クリスチャンは別として。
「あ〜あ…」
 思わぬ溜息。
 こんな時間に部屋を訪ねたりしたら長老に殺されかねないし、それに良からぬ行動を取ろうとしたのではないかと美羽や他の師匠たちに誤解されたり勘繰られるかもしれない。それはご免だ、そもそも、そこまでは願ってはいない。
「といっても、やっぱり無理だよなぁ…」
 彼は自室となった離れの部屋から持ち出した包みを抱えたまま、それでも居間へと歩いていった。 

 

 意外だった。
 誰もいないと思っていたのに、電気がついている。
 中を覗えば、そこにはどことなく寂しげに何やら思い耽っている美羽が卓上に頬杖をついて座っていた。
「美羽さん?」
「え?あら、兼一さん。起きてましたの?」
「ええ。美羽さんこそ」
 なんだか寝付けなくて…そんな風に兼一が笑うと、自分もそうなのだと美羽も笑った。まるで遠足前日とかお祭りのあったその日の夜みたいで、子供っぽいと自分を笑う。
「でも、なんだか過ぎてしまうと寂しい気もしますわね」
 「祭りの後」と言う、微かに残る余韻に浸りながら終わってしまった喧騒を懐かしむ不思議な感覚。それを今、彼女は感じているらしかった。
「あの、美羽さん…」
「はい?」
「実はその…」
―――でも、僕はまだそのお祭りが終わってるわけじゃないんだよね。
 半ば諦めかけて部屋の片隅に置きっぱなしだったプレゼント、それを偶然にも今、持ってきていて美羽と会った。こんな機会はもうないと思う。それに、今がいい時間だろう…子供時分に信じていたサンタの訪問とぴったりだと。
「はい!」
「!」
 もう勢いに任せるしかない、とでも言うように兼一は後ろ手に隠していた包みをすっと前に差し出した。それを見やって、美羽は目を瞬かせる。
「え…私に、ですの?」
「き、気に入っていただけるか分かりませんが…その…」
―――受け取ってもらえるだけでもいいんだ。
 彼女の性格を考えれば、素気無く突っ返してくるようなことはしないのだと分かっていても、そう願ってしまう。
 美羽はまだ驚いたままだったが、それでも差し出された包みを受け取った。
 思わず安堵の溜息を吐きそうになる…それだけで終わりなのではない、と兼一も分かっていたが。
「開けてもいいですか?」
「え、あ、はい。どうぞ」
「では…」
 美羽は巻かれたリボンを解き、破らないように丁寧に包装紙を取り除いていく―――その作業を眺めながら、兼一は思った。
―――美羽さんの手、綺麗なんだよね。
 どこにあれほど破壊力があるのか分からないほどの彼女のしなやかで細く白く綺麗な手を、無意識の内に目で追ってしまう…目を奪われてしまう。その伏せられた眼差しを、横顔を、見るともなしに見詰めてしまう。
―――やっぱり、僕は彼女が好きなんだなぁ。
 そんなことを、漠然と反芻してみたり。
 美羽は箱を開けて、嬉しそうに笑った。
「かわいいニャンコですわ〜!」
 ネコを見ると目の色が変わるのだが、それはこういったグッズでも同じらしい…すでに取り出したぬいぐるみをギュウッと抱き締めて、彼女は言う。
「ありがとうございます、兼一さん。私…クリスマスプレゼントなんて初めてですの。本当に嬉しいですわ…」
「喜んで頂けて、僕も嬉しいです…」
 そのぬいぐるみになりたいとか、ぬいぐるみと取って代わりたい、などと言う不浄な願望を押し隠して兼一は引きつった笑みを浮かべた。
―――でもまあ、こんなに嬉しそうな美羽さんが見れたんだから、いいか。
 彼女をそんな風に喜ばせられたのは自分なのだ、と言う自負と共に思う。
 例え今は本心を伝えられなくても、構わない。
「それじゃあ、僕は…おやすみなさい」
「あ、兼一さん、ちょっと待っていただけますか?」
「え?」
 立ち去ろうとした兼一は呼び止められて振り返る。心底驚いたように彼女を見やれば、美羽は少しだけ恥ずかしそうに微笑んだ。
「実は、私からもあるのですが」
「えっ」
―――そっちの方が意外だった。
 ちょっと待っていてくださいと言い残して彼女は自分の部屋に駆けて行った。
「な、なんだろう…」
 思いつくのはクリスマスプレゼントだけだけれど…でも、まさか、彼女からそれがもらえるとは本当に思ってもいなかったし…
「兼一さん」
 物思いに耽っていると、美羽は手にデパートの小ぶりな手提げ紙袋を持って戻ってきた。
「これ…兼一さんに、と思って」
 受け取ったその中を見やると、リボンで口を括られた可愛い色の袋が入っている。
 兼一は取り出してそれをしげしげと見やった。
「気に入ってくださるかどうか分かりませんが…」
 自分の胸の前で指を突き合わせてもじもじと様子を伺う美羽が言う。その、ちょっと心配そうにしているその様子は、見ていてとても可愛い。
 兼一は美羽がしたように丁寧にその包みを開けた。
「あ、これ…」
 それから美羽の顔を見やる。
「あの、気に入りませんでした…?」
 遠慮がちにそう尋ねる彼女に、兼一は言った。
「何言ってるんですか、気に入るに決まってるじゃないですか!」
 それは思った以上に勢いがついてしまって、美羽は一瞬だけ呆気に取られて兼一を見やった。兼一もまた、そんな自分に驚いて思わず口を手で押さえる。でも、このニヤケそうになる顔は治りそうもなかった。
―――美羽さんからもらえるなんて。
 それも、こんな…
―――手編みのマフラーなんて。
 オフホワイトとスカイブルーのオーソドックスなチェック柄だけれど。
 丁寧に仕上げられたことが良く分かる様子に、巻く前からなんだか温かい気持ちになる。
「実は今年は皆でパーティーが出来るかと思いまして…初めてお友達が出来たこともありましたし…秋ぐらいからずっと、内緒で作ってたんですの」
「美羽さん…」
 あの忙しい家事と修行と学校と部活の合間で、良くそんなことが出来たと思う。
 本当は本にしようかどうしようかとも思ったらしい…そんな風に彼女が色々と慌てるように並べ立てている様を微笑ましく思いながら兼一は眺めていた。それからにっこりと微笑む。
「ありがとうございます」
 兼一がそう言ってそれを首にかけると、美羽は先ほどぬいぐるみをもらった時とは違う穏やかな笑顔を嬉しそうに浮かべた。
「僕、とっても嬉しいです」
「私も兼一さんに喜んで頂けて、嬉しいですわ」
 彼女は兼一に近付くと、かけられたマフラーをその手で綺麗に巻いてやる。ふわり、と彼女のいい香りを感じた。
「美羽さん…」
「はい?」
 見上げる大きな目が不思議そうに兼一を見やる。
 兼一は思わず出しかけた手を慌てて引っ込めて、わざとらしい笑いにそれを誤魔化した。
「いえ、なんでもないです」
―――まさか、今の美羽さんを見ていたら抱き締めたくなっちゃったなんて、言えないもんなあ。
 それでも。
 いくら自制しても。
 目の前に、すぐ傍に、もし耳を澄ませばこの早くなる鼓動が聞こえてしまうかもしれないほど近くに、彼女がいるという事実がやはり胸の高鳴りを助長する。
「変な兼一さん」
 くすくすっと美羽は可愛らしく笑った。

 

 今はこれで十分だと思う。
 いや、それ以上に、期待以上に嬉しかったのが本当だ。
 部屋に戻ってからも顔が緩む。
 美羽が心を込めて(と思いたい)編んだ、手編みのマフラー。
 自分に似合う色を選んで、柄を決めて、作ってくれた。
―――それが嬉しいんだ。
 きっとばれれば師匠たちにはからかわれるだろうけれど。
 でも。
「いいもんね、今なら許すから」
 こんな風に気分がいい日はそう思ってしまう。
 まだ、頬の高揚は治らない、感じた甘い香りも忘れられない、あの笑顔が脳裏から離れない。
 望んでいた関係とはまだまだ遠いと思うけれど、それでも今は満足だ。
「う〜…それでも、心底、あのネコと代わりたいッ」
 自分であげたとは言え、あのぬいぐるみにはちょっぴり焼餅を妬いてしまいそうだけれども。
「大事に使わせていただきますね、美羽さん」
 本人をそこに見ているように微笑みながらそう呟いて、彼は眠りについた。
 久々にいい夢を見れそうな気がした。

 

END

 

 


メインが…確か最初は兼一の美羽に対する想いとクリスマスネタで!と思って書いてたはずなんだけど、いつの間にかほのかの存在がでかくなってしまってるよ;
と、途中で思いながら方向修整しつつ書きました。
って言うか、A師匠〜アナタ、セリフ取りすぎ。いや、らしいといえばらしいんだけどサ…(笑)

"Miss you most"、あなたを最も恋しく思う。
この時期になるとラジオやら店やらでやたらに耳にするクリスマスソングの中、マライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」はダントツに耳に残る。
もうどれぐらい前になるのか、当時人気だったドラマの主題歌にもなっていたあの曲。「Miss you most」はそのCW曲で、静かでメロディアスな曲調がいい。
本当は失恋の歌だけど(笑)、タイトルがいいので拝借しました。

クリスマスの起源と各国のお菓子の話は割といろんな本や文献に載っています。
気になった方は調べてみるといいかも…この中に私が書いた内容は、結構間違ってるかもしれないので鵜呑みにしないでくださいね(^^;)
ちなみにプティングはディケンズの小説『クリスマス・キャロル』にも登場する、有名なお菓子。
ナッツやドライフルーツの入った蒸しケーキで、願 いごとを唱えながら、生地に材料を混ぜていくのが習わしだそうで。生地を熟成させるほど美味しくなると言われます。
でも、まあ、逆鬼師匠に代わりに言って貰ったけど、私は好きじゃないです;
そもそも甘いものが苦手なんで…(笑)
ちなみに七面鳥のボソボソした肉より、鶏肉のモモの照り焼きの方が好き。

ではでは、あなたにもメリークリスマス!!

そういえば、確か兼一たちが通っていた高校って荒涼高校だった気が…違ったっけ?(汗)
荒涼なのか荒涼館なのかは忘れちゃったけど;

2004/12/9 「史上最強の弟子/Miss you most」 by.きめら

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送