京極堂 百鬼夜行 Prelude -雨音の調べ-(榎/関)

 

 外で降りつづける雨音が煩しいと感じたのは、今日何度目だろうか。
 榎木津は、窓から覗く灰色の空を見やる。雨に打たれた木々の葉が、心なしか項垂れている様だ。
「あー、帰りたい」
 実家に戻って早一週間となる。榎木津は、平穏で何もない退屈なこの屋敷に、そろそろ嫌気が差してきた頃だった。自分の生まれ育った家だ。確かに懐かしい気持ちはある。けれど、執着する様な所はここにはひとつも無い。
―――…一日も早く、ここから自分のビルに帰りたい。
 あの日…熱を出して泊まっていった関口は今頃どうしているだろう?
 確かあの時も雨が降っていて、今日のそれよりひどかった筈だ。傘を忘れてずぶ濡れになった彼は、やたら青い顔をしていて…ベッドを貸してやった。下がらない熱にうなされる関口に、眠らずにずっとついてやった。いやな思い出に苦しむ彼を、宥めた。
―――今、どうしているだろう?
 昨夜から振り出した雨は、今もしとしとと地面を濡らし続ける。
「帰りたいぞ、僕は」
 榎木津は窓辺に立つ和寅を見やる。和寅は、庭から取ってきた紫陽花を花瓶に挿しながら微笑んだ。
「今日何度目ですかねえ、先生のその言葉」
「何度目だって構うものか!僕は今すぐ帰りたいんだ」
 それが叶わない事を、彼は知っている。でも…言わずにはいられない。
「いったい、何の為に僕を呼んだんだ。パーティーだと?くだらない。僕がどうして家のパーティーなんかに出なくちゃならない。しかも開かれる一週間前から呼んで、ここに留まれなんて、馬鹿だ!」
 新調のタキシードを作るために採寸された。だけど…それだけの為に呼んでおいて、一週間もここにいろ、とはどういう了見だ。
「各界の要人方が出席なされますからね。一家全員揃わないと…」
「そんなこと、どうだっていい」
「先生は、いつだって糸の切れた凧ですよう。留めておかないとどこに行っちゃうかわからないじゃないですかあ」
「うるさいぞ」
 今、ここでくだらない時間を過ごしている間、関口はいったい何をしているんだろう。無駄な時間の浪費をしてるぐらいなら、すぐさま会いに行きたい。
「もう少しの御辛抱ですよ」
 ちょっと笑って、和寅は部屋を出ていった。

 

 しばらく呆然と外を眺めていた榎木津の耳に、聴き慣れたピアノの音色が届いた。
 聞き覚えのある、弾き方だ。
「兄さんか…」
 榎木津は、自室から出てると居間に向かった。今、そこで兄が演奏している。
「ショパンの『雨だれ』ですね」
 階段から降り立った榎木津に、和寅は微笑んだ。
 兄の爪弾く甘美なピアノ前奏曲が、陰鬱な空気を裂いて響いている。凛として、それでいて優しい音色。
「親友のリストが絶賛した、傑作と言われる『24の前奏曲』…とりわけこの曲は親しまれてますよね」
 詩的で美しい旋律。どこか悲しい雰囲気を醸し出しているのは、思い過ごしだろうか?
「…会いたいなあ」
 憂鬱な雨の伴奏と、染み渡るような澄んだピアノの音色が織り成す不思議な重奏が、響く。
―――こんな気持ちになっている僕を、関はわかってるのだろうか?
  会いたい。
  会いたい。
  会いたい。
 いっそのこと、関口を呼んでやろうか? ううん…関のことだから、雨の日に呼んだりしたらまた風邪を引いてしまうかもしれないな。
「決めたぞ」
 榎木津はにんまりと微笑を浮かべる。
「あ、また何か企んでますね?だめですよう」
「うるさいな。僕は神だ!神は何でもしていいんだ。下僕は黙って言うことを聞いてればいい!」
 いつもの調子が戻ってきたのか、榎木津はそうまくし立てて、居間を後にする。
―――会いに行こう。
 それから、攫ってしまいたければそうすればいい。いっしょに出かけてしまってもいい。
 「待ってるんだぞ、関」
 また寝込んでいるなら、今度もつきっきりで看ていてやる。
 いやな思い出なんか、忘れるぐらい楽しくしよう。
「まったく、先生は…」
 後先考えないんだから…と、和寅はどこか納得した様に微笑んで溜息を付いた。
「礼二郎はいつまでたっても変わらないね」
 和寅が振り返ると、総一郎が立ち上がっていた。
「苦労してるんじゃないかい?」
「でも、悩んでる先生なんて、いやですよう」
 気味が悪い、と言う。総一郎は快活に笑って、「そうだねえ」と言った。

 

 関口は雨上がりの窓辺に立って、空を見上げた。降っていたのは小1時間ほど前で、もうその面影は無い。からりと晴れ渡る青空は、切ないぐらい澄んでいて、痛いくらい眩しい。
 そっと、玄関から外に出る。強くなった陽射しに目を細めて。
 そして、彼は見つけるだろう。
 この家に、彼に、向かってやってくる男の姿を。
 日の光に照らされてきらきらと光る葉を空に向けて精一杯広げる木立。それに彩られた道。淡く優しい色彩の髪と肌をした、長身の美男子が歩いてくる。
「あ…」
 関口は小さく声を上げた。我が目を疑って、目をこする。
「ど…して?」
 戸惑いと嬉しさ。
―――榎さん…
「関!」
 そんな彼を見つけて、男は楽しそうにその名を呼んだ。
 それから微笑む。「迎えに来たぞ」と言って。

 

END

 


初めてまともに書いて、初めて寄贈した短編って…これかもしれない。
もともと京関がメインだった私が、何故に榎関をその後も書き続けたのか、その原点みたいなものかも。
書いてて、書き易い!って正直、思ったんですよね。
それに、榎さん、好きだし(笑)

対して、京関ってあんまり書いてないな…

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送