京極堂 百鬼夜行 週末の恋人(榎/関)

 

―――たった5日間が、これほどまでに辛いなんて。
 関口は高鳴る胸を押さえつつ、探偵事務所のドアをノックした。
「どうぞ」
 中からは和寅の声が聞こえる。関口は一度深呼吸して…ドアを開いた。
「こんにちは…あれ?」
 いるはずの人物が見当たらない。
「榎さんは?」
「先生ですか?」
 和寅は困った様に微笑んで、奥の扉を指差した。
「なんか…機嫌悪いんですよう」
「そんな…」
 せっかく一週間もの間、原稿を上げるために電話も控えてたのに。
 声が聞きたくて、切なくて、淋しかったのも我慢してたのに。きっと声を聞いてしまったら…原稿なんて書けなくなる。ずっと聞いていたくて、囁かれていたくて、今すぐ会いに行きたくなってしまう。でも…仕事と両立することが、最初に決めた自分の信念(いつでもすぐ揺らぎそうな情けないものだけど)。
―――ここに来るために、徹夜までして無理もしたのに。
 二人は週末に逢瀬を重ねる恋人だ。その事は秘密裏で…もっとも榎木津の事だから木場や京極堂には言いふらしてる可能性も無きにしも有らずだが…公の仲ではない。それでも会いたい気持ちは収まらなくて、無理をしてでもこうして関口は榎木津の元に訪ねてしまう。
 前なんか、慌てる関口の口を押さえて、「通い妻だ」などと木場に対して豪語していた。
―――本当だけど…
 何も木場に言うことはないだろうに。根本的にノーマルな彼は、ただ苦笑していた。
「榎さん、何を怒ってるんだろう」
 原因が自分でないことを(思い当たらなくても)、祈ってしまう。
 いつもならば榎木津は、関口が訪ねてくる日はいたく上機嫌なのだ。毎回ドキドキしながらドアを開ける関口に対して、乱暴なほど強引に中へ招き入れる。そして自分の気が済むまできつく抱擁して口付けを重ねた。台所から出るに出られないでいる和寅の失笑は、気にならないなんて嘘だ。いつだって顔に火がつくほど恥ずかしくて…でも嬉しかった。それだけ榎木津も自分の存在を思っていてくれてると、思えたから。訪ねて来ることを待っていてくれてると。それなのに…
「さあ?わかりませんよう」
 和寅はすまなそうに苦笑してから、関口にソファーへ座るよう勧めた。それから、お茶の用意をして差し出す。
「す、すいません」
「いいえ。じゃあ、私はちょっと本邸の方に用事がありますんで」
「え?」
 関口は思わず腰を上げかけた。
 こんな、不機嫌な榎木津のいるところに一人置いて行かれるなんて…怖い。
 しかし和寅は微笑んで、
「大丈夫ですよう。ただ…ちょっとだけ怒ってるんです」
「な、なにをですか?」
「先生でも…『恋人』と会えないなんて、寂しいんですかねえ」
 ちょっと考える風に天井を見上げて…振り返ると和寅は優しい笑みを浮かべた。

 

「榎さん…」
 関口は泣きそうになって、榎木津の寝室に通じるドアから中を覗いていた。いや、開けたはいいが、入るに入れなくて困っているのだ。
 榎木津はベッドの上でむすっとした顔をしている。澄んだ瞳が苛立ちを湛えて、きりりと整った眉はしかめられている。とても、会いたくて仕方なかった恋人に対する表情じゃない。
 関口は訳の分からない不安に怯えて、涙を浮かべた。
「ど、どうしたの…」
「この、不実な猿め」
「どうして?」
 いつもなら、優しく抱きしめて、「関、関」と囁いてくれるのに。今日の声は苛立って、冷たい。
「僕のことなんて、どうでもいいんだろう」
「なに…急に…」
 榎木津は関口の頭上を見詰め、尚一層不機嫌になった。
「もう、会うのはやめるか?」
「ええ!?」
 関口は混乱してドアにしがみ付いた。眩暈がする。
「どうしてそんなこと言うの?」
 無理してまで頑張って、来たのに。
「原稿を上げる合間を縫って、京極堂に会いには行っても僕のところには電話一本かけないんだな」
「そ、それは…」
 榎木津は…関口の記憶を読んで、誤解している。
 違う、と叫びたくて…でもショックで舌が回らない。
「なんだ、電話はちらちら見てるのに、なんでかけようとしないんだ?ふん、そうか…もう僕とは話もしたくないんだな、関くん」
「ぼ、僕は早く…榎さんに会いに来たくて原稿を上げようと…」
 京極堂にはネタをねだりに行ったのだ。京極はそんな関の思惑も当にお見通しで…さんざんいびられてきた。それでも最後には的確にアドバイスしてくれる…いい友人なのだ。だから、榎木津がいつも関口を挟んで京極堂をなにかと攻撃するが、関口には不可解極まりない。今だって、京極堂に嫉妬しているようにしか思えない。もっとも…京極の真意なんて、関口は気付きもしないだけなのだが…。
「僕が榎さんなしじゃいれないの知ってて…そんな意地悪言うの?」
 関口はしゃくりあげた。涙が溢れて来て、視界が潤む。
 榎木津は一瞬、呆気に取られて…ぷいっとそっぽを向いた。
「意地悪なのは、関の方だ」
「え?」
「一週間、一度も電話一本寄越さないなんて、不誠実もいい所だぞ」
 そう言う榎木津は…堪り兼ねて、運が悪いことに関口が京極堂のところへ赴いているときに電話したのだった。雪絵は例の如く日中の働きに出かけていて、関口家は留守だった。取次ぎのいない家ではどうしようもない。
「榎さん…」
「僕がどれほど…心配したと思ってるんだ」
「え?」
 関口は驚いて、耳を疑った。
―――心配?榎さんが僕を…?
「…え?え?え?」
 頬が熱くなる。両手で口を押さえて、期待と不安の気持ちを押し留める。
「関のことだから…雪ちゃんがいない昼間、倒れてでもいるんじゃないかと」
「なんです、それ?」
 榎木津はそっぽを向いたまま、言った。
「一旦熱中すると、なにも見えなくなるじゃないか。飯も何もかも忘れる」
「そんなこと…ないと思います…」
 最後の方は自信無さげに消え入る。
「だから…心配してやったのだ!」
「うわっ」
 榎木津はばんっとベッドを叩いた。その顔が少し赤らんでいるのは、関口の錯覚だろうか?
「この神が心配してやったのだぞ!」
 どうだ!と言わんばかりに胸を張る。
「あ、ありがとう…」
 毒気をすっかり抜かれて、関口は素直に言った。それから微笑んで、
「うれしい」
「!」
 榎木津は徐に立ち上がると、寝台から飛び降りて関口の前に立った。驚く関口の、両手を掴んで引き寄せると、強く抱きしめる。
「え、榎さん?」
「この一週間…僕がどれほど…どれほど関に会いたかったか、分かるか!?」
「榎…さ…ん」

「待ってたんだ」

 少し体を離して、榎木津が関口をじっと見下ろす。その目が妙に真剣で、関口はびっくりしたまま見上げた。
「この神を待たせたんだぞ、分かってるのか!?」
「う、うん」
 関口は両目を閉じた。再び涙が溢れて、頬を伝う。
「僕も…会いたかったの」

 

 僕が、君を僕なしじゃいられなくしたと言うけれど、僕だって、もう関なしじゃいられないんだ。
 君が微笑んでくれた時から、君が泣いた時から、君と出会った時から、君が僕を選んだ時から。
 僕の心を虜にした。

 

会えなかった分だけ

会いたかった分だけ

キスを重ねよう

君の頬に、君の髪に、閉じた瞼に

余すところ無く

キスをしよう

 

愛してる、愛してる、誰よりも、誰よりも…君は僕の恋人。

 

 囁く愛しい声。甘い香り。肌の温もり。
「関、愛してる…」
 僕も…関口は、そう呟く。
 週末の恋人の今夜は、今始まったばかり。

 

END

 


榎さんでも照れることがあるんですね。笑。
この話、これまた妙に少女漫画しちゃってます。
甘いです。かゆいです。

って言うか、また嫉妬してるよ…なんでだよ、私の書く榎木津って。ごめん。

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