いつもの如く、巨大なクレーンはコンテナを吊り上げ、稼動音を港に響かせている。停泊中の貨物船のデッキに立ち、ジフは日差しに目を細めて辺りを見渡した。
昨年よりも人も船も少ない海は、この晴天で気温も高いと言うのに不気味に静まり返っている。見慣れたはずの風景が見たこともない場所の様な気がするのは何故だろう…この街で生まれ育ち、結婚して二人の子供も養うジフは、いつも沖合で群をなす海鳥の大群が今日は姿を消している事に僅かながらの違和感を覚えた。
「ジフ!退いてくれ」
後ろから言われて振り向くと、同僚のヘイリーがコンテナより小型の貨物をフォークリフトで運んで来るのが見えた。それを避けた彼が船縁に立つと、横を独特のエンジン音を立ててリフトは進む―――いつもの光景だった。
ふとリフトを停めたヘイリーは、被っていたヘルメットを脱ぐと訝しげに周囲を見渡した。
「どうした?」
「いや…何か聞こえないか?」
「何かって何だ?聞こえないぞ」
耳を澄ましても聞き慣れた波音と風、そして作業音しかジフには聞こえなかった。
「たぶん、気のせいだ。ラジオだろう」
ヘイリーは腑に落ちない面持ちのままそう言い、作業に戻る。だが、数秒後には再びエンジンを止めてデッキに降り立った。
「どうしたんだ?まだ何か聞こえるのか?」
「ああ、聞こえる…」
何処か夢見心地に虚ろな目をして、彼は歩き出す。何かに導かれる様に―――ジフの中で嫌な予感が沸き起こった。
「何するんだ、やめろ!」
怒鳴りながら駆け出せば、他の作業員も気付いて手を止める。
「おい!」
「歌だ、綺麗な歌が聞こえる…」
そう呟いたヘイリーは仲間が見ている中、甲板から遥か下方で白波を立てる海面へと飛び込んだ。

 

SUPERNATURAL SEASIDE 2

 

「間に合わなかったんだ。あいつはいいやつだった、長年一緒に働いた仲間だった。ガキの頃から互いに知ってる…ああ、何故あんな事を…スクリューに巻き込まれるなんて、酷い、酷すぎる」
サムはまだパニックから完全に立ち直れていないジフを痛ましげに見詰めて、労る様に言った。
「お友達は、本当に残念でした」
「ああ、残念だよ…」
力なく答えたジフに礼を言ってから別れて、彼はディーンの元に歩いて行く。
ディーンは柵に手を置き、日差しに細めた目で穏やかな様子の海を眺めていた。その横に同じく佇み、サムは言った。
「亡くなった男性は歌が聞こえるって言って、海に飛び込んだらしい」
「そうか」
「他の誰も、その歌を聞いてない」
ディーンはサムを振り返った。それは可笑しな話だった―――大型船を沈める程の逸話を残す魔物が何故、大勢がいる中でたった一人の男を狙ったのか。
「警察は自殺で片付けるだろうな」
「たぶんね」
ヘイリーの死は遺書もなく、理由も分からない突発的な衝動によるものと報告書に書かれるだろう。
「ディーン、昔の人間は今よりずっと強い感受性があったはずだよね。現代人の忘れた感覚が…」
「死んだ男にはそれがあったって?」
少し馬鹿にする様な表情を浮かべて尋ねるディーンに、サムはむっとしながらも答える。
「かもしれない」
「霊感とか言うやつか?」
「分からないけど、そういうフシはあったみたいだよ」
俗説だが、霊感がある人間に霊は集まると言う話だ。なまじ若干の能力があると、無防備に引っ張られる。それは悪霊だけではなく、精霊や魔物などの場合もあるだろう。
「それじゃあ、おまえも気をつけろよ、霊感少年」
本心かどうか分からない口調でディーンは言って、顔をひきつらせるサムに笑った。
いつの間にか夕暮れに紅く染まる海は夕凪で静けさを湛えている。絵はがきの様に美しいコントラストを描く風景から立ち去る彼らの後ろで、不自然に波が揺れていた。まるでそこだけ生命が宿ったかの様にゆるゆると盛り上がり、やがてそれはまた他の波と混ざって消える。
彼らはそれに、気付かなかった。

 

ホテルから数キロ離れた場所に、せり出す形で海に突き出た岬があった。その岬では灯台が黒々とした暗い海面を照らしている。
夜の海は日中より更に静まり返り、得体の知れない不気味さを宿していた。まるで陸と隔絶された別世界の様で、砂浜を浸食する満潮の波打ち際は、迫り来る闇との鬩ぎ合いの様だった―――この世との曖昧な境界線の様に。
ここ数日で聞き飽きた波音を掻き消す様に、ディーンはくつろいだ様子で安宿のベッドに寝転ぶとアップビートな曲を鳴らすラジオのボリュームを上げた。サムはそれに少しだけ顔をしかめたが、すぐに資料調べの作業に戻る。
港を出た彼らは、そこから少し離れた所にある安ホテルにチェックインした。海辺に近いここは、価格と佇まいからは破格とも言える絶景を窓から臨む事が出来た。洒落た高級ホテルに泊まれない様な旅行客を相手に賑わうタイプの宿だろう。もっとも、今は度重なる海難事故の影響を受けて、ここも客足が思わしくない様だ。 いい加減焦れてきたサムは、雑誌を捲っているディーンを睨む様に振り返った。
「被害者なんだけど、年齢も職業も外見も一貫した共通点がない。強いて言えば女性より男性の方が多いけど…でも、明確に狙われた感じがしないんだ」
「同乗した船が沈んだとか、溺れた人間を助けようとして引き込まれたとか、そう言う感じだよな」
答えたディーンは僅かに雑誌から顔を上げる。
「どういう事だろう?」
「相手は女の姿をした化け物だぜ?好みがうるさいんだろ」
くだらないジョークに笑えず、サムはそれを無視して疑問を口にする。
「僕らが狙われる可能性は?」
「さぁな。死んだ奴らの共通点がないんだ、なんとも言えない」
ディーンが言った事はもっともだった。被害者が奴らの標的になった理由が分からない。いや、彼らがもし人より多少の霊感を持っていたとしたら、必ずしも共通点がない訳ではない。ヘイリーの例で気付いた可能性だった。
霊能力とまでいかないにしても、ちょっとした勘の鋭さだったり感受性の強さだったりでも説明はつく。でも、それではあまりに範囲が広すぎて、被害の対象を絞り込めそうにない―――もしこの仮定が正しいのなら、いっそ"霊感が強い"と言われる自分に目を付けてくれれば早く決着が付けられるだろうに、とサムは思った。
難しい顔で資料に目を落としたまま黙り込んだサムは、爪を噛む癖を出す。そんな様子にディーンは一抹の不安を覚えて、いつもの軽口を叩く調子で釘を刺した。
「おい、サム。妙な事は考えるなよ?」
サムは、何が?ととぼける仕草を見せるが、ディーンは目付きを厳しくしたまま見やるだけだ。
もし彼の予想通り、サムが囮になろうなどと考えているなら、力付くでも止めるつもりだ。相手が何の目的でどうやって獲物を捕らえるのかの確証が持てるまで、そんな危ない賭けをする訳にはいかない。
「じゃあ、どうするの?こうしてる間も、また何処かで誰かが殺されるかもしれないんだよ」
「それでも駄目だ」
「ディーン!」
否定された提案にサムが不服を表すが、彼の兄は頑として同意を拒んだ。
「何にしても、もう少し調べてからだ」
「それで、調べるのは僕だろう?」
サムのもっともな皮肉に、ディーンはようやく作り笑顔を浮かべる。
「ああ、そうだな。得意だろ?」
そう返しながらもディーンはテーブルに歩み寄り、憮然とするサムの前で、調べ物を手伝おうと資料に手を伸ばすのだった。そんな素直でない兄の態度に、サムは思わず小さく微笑んだ。

打ち寄せては遠のく波の音を聞きながら、サムは電気を消した部屋の中でまんじりとも出来ないままベッドの上に寝返りを打った。
ディーンの危惧はもっともだが、だからといって悠長に構えている時間はない。明らかに異常な早さで、海に潜むあの"何者か"は人の命を奪っているのだ。黙って見過ごす事は彼には出来なかった。
サムはもう一度寝返りを打つと、すっかり眠る事を諦めて身を起こした。
普通は録音CDまで売られる程リラックスさせるはずの波の音が、やけに耳障りに感じる。ザワザワと胸の内が嫌な予感で騒がしい様な、嫌な気分になった。
何か飲み物でも開けるかと思った時、不意に彼は弾かれた様に顔を上げた。遠くで何かが聞こえた気がしたのだ。
―――歌だ。
出所を探して耳を澄まし、彼は窓辺に近付く。躊躇しながらガラスを開け放ち、夜の闇に塗り潰された黒い海を眺めた。何者の姿も見えないが、確実に歌が良く聞こえて来る。
「サム…何してんだ?」
物音に目を覚ましたディーンは窓辺に立つサムに気付いた。その後ろ姿を見上げ、億劫そうに起き上がる。
「おい、サム」
「聞こえない?誰かが歌ってるんだ…」
顔をしかめたディーンはしばし聴力に集中したが、すぐに首を降った。
「何も聞こえないぜ」
「本当に?今も僕には聞こえるよ。良く分からない言葉だけど、すごく綺麗な声だ」
恍惚としながら穏やかに呟くサムの様子は異様で、ディーンは危ぶむ様に見詰めた。
「こっちに来て、どんな風か教えてくれ」
「いや、ここの方がいい。こっちから聞こえるんだ」
にこやかに返し、サムは窓から外に目を向ける。
「サム、いいからこっちに座れよ。な?」
子供を諭す様にディーンは言いながら、サムの顔を注意深く、じっと見詰めた―――そのまま窓からダイブされでもしたら堪ったものじゃないと思いながら。
仕方なくサムは歩いて来ると、ディーンのベッドの端に腰を下ろし、それを見計らってディーンはベッドから降りると急いで窓を閉める。その途端、サムははっと我に反った。やや呆然としながら口元に手を宛てる。
「あれ…?」
「正気に戻ったか?殴らなくて済んだみたいだな」
「でも、今のは何だろう…」
「マジに囮になりかけたんだ」
言うディーンの顔はからかい半分の表情を浮かべていたが、目はどこまでも真剣にサムを案じている。それに気付いたサムはいたたまれずに顔を伏せた。
「呼ばれた気がしたよ」
「それが奴らの手だ、大昔からのな」
やけに抑えられた声が静かに言葉を紡ぐ。
もしディーンが気付かなければどうなっていただろう…自分一人では逆らえなかったと悟って、今更ながらにサムは背筋が寒くなった。
「どうやら奴はおまえを次のターゲットに選んだみたいだ」
「どうする?」
尋ねるサムに、ディーンは言った。
「殺ろう。息の根を止めてやる」
計画上の演技ではなく本当にサムを狙われて、ディーンは本気で怒っている様だ。
物騒な仕事道具をバッグから取り出した彼は言葉もなく点検を始める。その横顔はきつく、浮かべられる鋭い眼差しをサムは見詰めた。旅をする中でもう何度か見かけた、心底怒っている時のディーンの表情だった。
「ディーン…どうやってとどめを刺すんだ?」
「誘き寄せて首をはねる」
「だから、どうやって?」
暗い目付きをしたディーンは、サムを見上げた。その瞳は、気の進まない計画を振り払えない苦悩を写している…否定と共に。
サムはあえて言った。
「僕が囮になるよ」
「いや、駄目だ」
「じゃあどうするんだ?それ意外に…」
「おまえは今、あいつらに引っ張られたんだぞ。下手したら…やられかねない」
「一人で行って何が出来るんだ?遭遇する事だって出来やしないよ」
「黙ってろ」
サムの言い分はもっとも過ぎて、ディーンは考えあぐねた。先程の嫌な感じを思い出すと、とてもその計画は怖い。だとしても、他に手立てがない事に違いはなかった。
しばし手を止めて押し黙った後、彼は言った。
「確かに、おまえを一人にするのはマズイな」
「何が?」
「目を離した隙に引き込まれたら、どうしようもない」
ディーンは大振りのナイフをサムに押し付けた。
「来いよ。狩りの時間だ」

 

つづく

 


2007/10/18 BLOG掲載

 

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