SUPERNATURAL SEASIDE 3

 

髪を揺らす潮風を受けて、二人は海岸沿いの遊歩道に立った。
見分けるのも難しいぐらい岩場と暗い海面は、僅かな街側の灯りを受けてうっすらと分かる程度だった。岩肌にぶつかる度に、波が音と白い泡を立てている。
「どうだ、何か聞こえるか?」
「いや、今は波の音だけだよ」
答えたサムは注意深く辺りを見渡しながら、目を凝らしている。
ディーンは拭え切れない不安と居心地の悪さを覚えながら、ふとサムを見やった。暗闇を注意深く窺っているサムの横顔を懸念する様に顔をしかめながら観察している。
「なに?」
振り返ったサムの訝しげな眼差しに、彼は顔を逸らすと「別に」と呟いた。
「何だよ、言えよ」
何か言いたげな態度にもかかわらず話そうとしない相手を見ていると、余計気になって仕方ない。サムが無言でもう一度促すと、ようやくディーンは言った。
「何か気付いたらすぐに言えよ。黙って消えたりしたらマジで怒るからな」
悪態を交えたディーンの心配を、サムは微笑む。兄の思いが気恥ずかしいのと同時に、とても嬉しかった。
「大丈夫だよ、絶対に黙って消えたりしないから」
それからしばらく、彼らは異変が起きるまで歩き回った。
打ち寄せては引いていく波の音だけが響く海辺には、彼らの他に誰の気配も無かった。ただ時折、水面を跳ねる魚の微かな水音が、夜風に混じって聞こえてくる。
「…ディーン」
不意に、掠れた声でサムはディーンを呼び止め、なんだ?と言いかけるのをかざした手で押し留めて耳を澄ました。
「歌が聞こえる…」
「どっちだ?」
「待って…こっちだ」
ディーンはサムが示した方角へ、共に駆け出した。

岬寄りの岩場辺りまで来て、二人は跳ねる水音で身体に緊張が走るのを覚えた。岩影に隠れながら降りていくと、そこに人影が見える―――影はゆっくりと立ち上がると両手を頭上へ大きく掲げた。銃を構えたディーンが「動くな!」と言うと同時に、その人影は大きく身を竦めて振り返る。
「な、なんだ?何の真似だ?」
両手を頭の横に上げた男は持っていた釣竿を投げ出して、驚愕とおののきで突然現れた二人を見た。
「違うじゃないか」
ディーンは銃を下ろすとサムにちらりと非難の目を向ける。そしてすぐに踵を返した。小銭はある、やるから撃たないでくれ、と懇願する男をサムは申し訳なさそうに押し留めながら、ディーンの後を追って足を踏み出す。
だがその時、二人を見やっていた釣り人の後ろで大きく水飛沫が上がった。
ディーンは振り向き様に「伏せろ!」と怒鳴り、身を屈めた男の背後に銃を向ける。放たれた弾は水柱を射抜き、途端に耳をつんざく獣染みた悲鳴が辺りに響き渡った。 再び静寂の水面に戻った岸で、釣り人は戸惑う様にディーンと海とを見比べている。
「い、今のは?」
「さあな。命が惜しけりゃさっさと帰るんだな」
「ああ、そうするよ!」
男は慌てふためいて釣竿とクーラーボックスを抱えて岩場の上に逃げて行った。
残ったディーンとサムは厳しい顔付きで、先程何者かが現れた場所を睨み付けていた。
「居たね」
「ああ、居たな。おまえが言った通り」
二人は全神経を研ぎ澄まして、相手の出方を息を潜めて待った。得体の知れない存在がすぐ側にいる、と言う感覚に自然と武器を持つ手に力が籠る。
不意にぴしゃりと跳ねた音に目を向けると、小さな魚の影が見える―――張り詰めた気を弛めた瞬間、サムは唐突に飛び出してくる影に息を呑んだ。
「サム!」
叫んで、ディーンはまたもそれに向かって撃つ。すぐに影は身を翻すと、再び水中へ潜った。
海水を頭から被ったサムに走り寄り、ディーンは尋ねた。
「大丈夫か?」
「ああ、大丈夫。今のはやっぱり人魚かな?」
「確認出来なかったが、手応えはあった」
実弾を受けて悲鳴を上げたのだ、少なくとも有固体の相手だと言う事は分かる。悪霊の類いではないだろう。
とりあえず水辺から距離を取って、二人は改めて身構えた。上段の足場が比較的安定した大岩の上に立ち、滴り落ちる水を手の甲で拭えながらサムは呟く。
「銃で傷付けられるのかな?」
「たぶん。どれぐらいダメージを与えられたかは分からないけどな」
「なんとか陸に上げないと、どうしようもないよ」
作戦を考え始めるディーンの横で、ふっとサムは首を傾げた。気付いたディーンが振り返り、何事かと尋ねるより先に彼は呟く。
「…呼んでる」
「何だって?」
聞き取れずに聞き返すディーンに、サムは「呼んでるんだ」と言い捨てて、突然走り出した。
「おい、待てよ!待てってば、サム!」
勝手に走り出したサムを、慌ててディーンは追い駆ける。
夢遊病者の様な足取りにも関わらず、足場の悪い岩場をサムは驚く速さで進んで行く。ディーンは追い駆けるのが精一杯で、引き止める事も出来ずに追い続けた。
やがてサムは岩間に降り、ディーンはその姿を見失いかけて焦る。今や彼の耳にも、サムが聞いているだろうその"歌"が届いていたからだ。
「サム!勝手にいなくなるなって言っただろう?」
岩場の下方で佇むサムの姿を見付けたディーンは、駆け寄ると肩を掴んで咎める様に言う。だが、サムはそれを聞いておらず、陶酔する様な眼差しを海に向けていた。
「サム?どうした、サミー?」
「ここだ…」
「ここって…おい?いるのか、奴が」
だが、ディーンはサムに確かめるまでもなかった―――さざ波ばかりの海面が急に大きく揺らぎ、サムは吸い寄せられる様にそちらに向かう。ディーンはサムを後ろから引き留めた。
「待てって、サム。目を覚ませよ」
「でも、行かなくちゃ」
「でもじゃない!」
ディーンは強引にサムを引き寄せると、正面に向き合いながら思いきり頬を殴った。虚ろだったサムは派手に転び、それから目を瞬かせて辺りを見渡した。不意に顔に鈍い痛みを覚えて手を宛てる。
「あ…僕、今何を?」
「マジ、シャレになんねぇ」
ディーンは殴った手を振りつつ近付き、サムを助け起こす。
「歌が聞こえたら、どうしても行かなくちゃって思えて」
「引き摺られたな?」
「…そうだね」
ディーンの言葉に、サムは弱々しい苦笑を浮かべた。
「歌はどうだ?聞こえるか?」
「まだ聞こえるよ。そっちは?」
「ああ、俺にも今は聞こえる」
微かな高低を繰り返すそれは異国の歌の様に海風に乗って聞こえている。
「あれは歌じゃなくて…鳴き声だ、獲物を誘き寄せるんだ」
奴らが発する鳴き声は特殊な波長を孕んで、生物に影響を及ぼすのだろう。擬態で獲物を捕らえたり、鮮やかな花と香りで獲物を誘い込む食虫植物の様に、奴らの鳴き声はある種の催眠状態を作り出す。それを受けるのは、少し他の人と異なるアンテナを持った人間だった。
サムは改めてナイフを抜き、ディーンも銃を構えた。
やがて水から上がって来たそれは、伝説の女神セイレンはもちろん、絵物語の人魚とは似ても似付かない、醜悪な魚の化け物だった。鱗に覆われた全身は、濡れて月明かりに反射する。生々しい程グロテスクな姿だ―――凶悪な顔は、どうしても物語にある美女とは結び付かない。
そうしている間にも海面は続けざまに泡を立て、そこに何かの生物が潜んでいる事を示していた。
「一体じゃないんだ!」
「大漁だな、チクショウ」
人魚が群を作るのも知っていたが、まさに目の当たりにすると、冗談にして欲しいと思った。あんな凶暴で不気味なものが複数いるなど御免だと、ディーンは思う。
戦闘体勢に入った両者は互いを牽制する様に睨み合い、次第にディーンとサムは間合いを詰めた。何にしても、あの首を切り落とす以外に仕留める術はないからだ。
海中から二人の間に割り込む様に飛びかかって来た人魚を避けて、サムとディーンは身を翻した。それが二人を引き離す為だと悟るのに時間はかからなかった―――それぞれに追い詰められながら、二人は眼前の化け物を睨む。サムには初めの一体が、ディーンには後攻の二体が迫る。
「陸に上がれば平気だって?」
「水の中よりマシって事だ!」
サムの皮肉にディーンは答える。
水から上がった所で奴らの驚愕に値する力は未だに彼らを凌駕していた。
岩壁に力づくで押し付けられ、サムは咄嗟にナイフで相手の鱗に覆われた腕を切り付けた。人魚は甲高い声を上げて身を引き、怒りを覚えて牙を剥く。更に切り込もうと踏み出したサムに、それは飛びかかった。引き倒され、サムは強かに頭と背中を打ってうめく。だが、怯んでいる暇などなかった。上に覆い被さって噛み付こうと口を開いた相手の首に腕を宛て、なんとか牙を避ける。大きく割けた口から覗く鋭い歯をガチガチと鳴らしながら、それは白濁の焦点の合わない目でサムを見下ろしてくる。食われてたまるかと人魚を押し遣ろうと力を込めたが、仕留める為の武器であるナイフは振るおうにもそれを持つ手を押さえつけられて、どうにもならない状態だ。彼は足掻きながら、歯を食いしばった。
ディーンは取り囲まれた状況に顔をしかめ、銃を構える右手とは反対に左手で隠し持っていたナイフを握った。姿形からは想像も出来ない甲高い鳴き声を立てながら、それらはじりじりと間合いを詰めて来る。
二体の内一体に、ディーンは狙いを定めて発砲した。弾は命中し、人魚は血を流しながら大きく退け反ったが、もう一体は素早く飛びかかって銃を打ち払う。それが乾いた音を立てて転がるのをちらりと見やり、ディーンは悔しげに口を曲げた。代わりに強烈なパンチを近付いた相手にくれてやり、素早くナイフを一閃させた。
眼前に迫る鋭い牙をなんとか抑えながら、サムは喘いだ。信じられない程の怪力でのしかかってくる魔物に、抑える腕が限界を覚えて震えている。まずい、そう思い始める。だが、その時だった―――
「おい」
聞き慣れた声をサムは聞き、同時に人魚は顔を上げる。その視界に写るのは、銃口を向けるディーンの姿だった。
額を撃ち抜かれた反動で身を撥ね上げる人魚に、サムは解放された手でナイフを振るう。勢い良く首を撥ねられた人魚はサムの上で大きく二、三度身体を震わせ、やがて崩れ落ちる様に岩場に倒れた。
見やれば、ディーンのいた場所にも、やはり首から上を失った人魚の残骸が横たわっていた。
サムはディーンの差し出した手に掴まり、身を起こした。打った後頭部がまだ痛むが、大した怪我がなかったのは幸いだった。あの歯で噛まれたらどんなに痛いだろう、と思うとぞっとする。
「平気か?」
「ああ。そっちは?」
「平気だ」
返り血を浴びた顔を見合わせて、二人は思わず笑った。互いの無事に安堵すると同時に、とても"平気"とは言えない見てくれに堪らず吹き出す。服も海水と泥で、これ以上ないくらいに汚れていた。
「見て、ディーン」
何かに気付いたサムがそう言って、足元に転がる人魚へ目を向ける。
「ここに来て、何で短時間に人を襲ったのか分かったよ。妊娠してる」
見下ろした先に横たわる亡骸は、人間で言う所の下腹部が異様に膨らんでいた。まるで妊婦だ―――そこに気付いた二人は、無駄に気分が凹むのを感じた。化物とは言え生物に近い彼女らを、子を成したまま殺した事は多少気が滅入る。また、あれが繁殖するのだと思うと先程とは違う気の滅入り方をした。肉食の人魚が人を襲ったのは、出産に当たって滋養を着ける為だった訳だ。
魚の化物なら卵じゃないのか等とディーンは馬鹿な事を考えたが、あえてそれを言わず、代わりの軽口を叩いた。
「これで元が美女なら、"スピーシーズ"なのに」
「エイリアン映画の?」
苦笑混じりに返すサムに、彼はにやりと笑った。普段はホラー映画など見ないくせに"スピーシーズ"は知っている―――オカルトは嫌いでもSFは別らしい。しかも結構キワドイやつだ。そんなサムがまた、呆れた様な顔をしてこちらを見ているのが可笑しかった。
人魚の亡骸を残しておいては凄まじい騒動になるだろうと、二人はそれらを拝借してきたボートで沖合いに運ぶと海に沈めた。その内、魚の餌にでもなるだろう。
「お伽噺の様に泡にでもなって消えてくれれば楽なのにな」
最後の一体に重石をくくり付けたディーンはそう文句を言って、重たげにそれを海に落とす。サムは何も言わず、ただ狩りの終焉に胸を撫で降ろした。
海岸に戻った二人は、急に雲行きが怪しくなった空を見上げる。空が白み始める時刻だったが、まだ辺りは薄暗いままだった。
「すぐに降り出しそうだね」
「そうだな」
二人が戸惑っていると、あっという間に雨は降り始めた―――慌ててホテルへ引き上げようと駆け出す二人の、受けた返り血も、惨劇のあった岩場の残り血も、いつしか雨に全てが洗い流されて行く。
水面に受ける雫で幾重にも輪を描きながら、海は静かに波打っていた。

 

もうこの場所での、悽惨な事故の数は減るだろう。少なくとも理解の域を越えた存在の起こす怪奇は、しばらくの間、なくなるはずだ。誰かが無意味に殺される事はないだろう。そう改めて思い、彼らはホテルを出た。
水溜まりを作る駐車場を歩いていつもの様に愛車に荷物を積み、ディーンは運転席へ、サムは助手席に座る。次の狩りの場へ向かって、インパラは心地よいエンジン音を轟かせて海岸沿いの道を走り出した。
晴れ渡った空と日の光に明るく輝く海が、まるで絵はがきの様に美しかった。二人の心はこの空の様に晴々としている。ただ、ディーンはもう一つの目的である水着美女を見れなかった事が心残りだった。
外を眺めていたサムはそんなディーンの僅かに切なげな様子を眺めながら尋ねる。
「ところでディーン、ユニコーンって本当にいないの?」
「いない」
「本当に?」
「何で?」
「いたらいいなって思っただけ」
言って、サムは再び窓から外を見上げた。
雨上がりの空には、綺麗な虹が見えていた。

 

END

 


何気にスピーシーズ好きな、きめらです。1、2、3全部見てます(笑)

それはそうと、今回は人魚を題材にしてみました。
思ってたより案外難しい妖魔でした。
どういうヤツにしようかと思ったんだけど、話に深く入り込むより1stシーズンに出てくる退治モノのひとつ…ぐらいのドライな展開にしたかったので、あまり描写しませんでした。
サムとディーンの会話(と言うよりセリフ)を考えている時間の方が長かったよ。

人魚ってのは半神半人に近いのかな?
セイレンに関して言えば、確か元はニンフ(妖精)で神の娘達だったはず。
ハデスに攫われて泣き暮らしてるのをアフロディテが怒って半人怪鳥に変えたとか…愛の女神のくせに意外とヒドイな、攫った冥王が悪いんだろうに(笑)
関係ないけど、童話「人魚姫」の話は嫌いです。
なんでこんなイイ子が可哀想な目にあわにゃならんのだ、と「マッチ売りの少女」と並んで嫌いな話。
その不条理感に子供心に憤慨したものだ…昔は純だったのね、俺も(爆)

対してアジアの人魚と言えば、比丘尼伝説。
割と古典的な妖怪モノとか好きな人には知られてるように思います。
高橋先生の「人魚の森」シリーズの設定もここから来てるのかな。
中国に端を発する昔話だったっけ?それが日本にも伝わって(ほぼ設定は同じに思う)、今に至ると。
詳しくは自分で調べてみてください。
俺の付け焼刃の矛盾を突っついて頂いても良い(笑)

そういえば妖精って、可愛いイメージより悪戯(と言う度合いを通り過ぎた酷い悪戯)好きで、残虐な性格の設定の方が印象強い気がする。
童話ではない伝承などでは、小人もそうだよね。
決して徹夜して靴を作ってくれたりはしないのだ…もちろんイベント前〆切り間際の原稿も…orz

2007/10/18 BLOG掲載

 

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