晴れ渡った空は、明日へと続く階段だと言う。
その先に何が待つのか、誰も知りはしないけれど。
誰も、何も分からないけれど。

ただ、そこで貴方が待っている気がした。

 

SUPERNATURAL HEVEN'S DOOR 1

 

「最近、変な夢を見るんだ」
「夢?」
唐突な話題にディーンが問い返すと、サムはああ、と答えて頷いた。
「すごく広い、他に何もない場所にいるんだ…例えば、高い空、みたいな」
ガタン、と彼らを乗せた車が揺れる。道は深い轍とひび割れで悪路に近かった。
ほとんど利用者もいないのだろう、整備の足りない田舎道は、まるでそれがアスファルトに覆われていなければ大昔の世界にタイムスリップしてしまったと言われても信じてしまいそうな情景を両羽翼へと広げている。晴れ渡った空は透き通る様に青く、燦々と辺りを照らす太陽は春の日差しを表している。それを受ける農場だか牧場だかの大地は明るい緑に煌めいて、見渡す限りに地平線まで延々と続いていた。
彼らと彼らの前をまっすぐに延びる道路以外、ここには何もない。のどかとすら言える田舎道はただ静かで、カーステレオが鳴らすBGMの他に気を紛らわせるものはなかった。その中を黒のシボレーを駆り、二人は今しがたの短い会話に意識を向ける。
ガタン、と再び車が揺れた。
「それから?」
ディーンの質問にサムは軽く肩を竦め、「変な夢さ」と呟いた。
「とにかく、空が見えるんだ。今みたいに晴れた青空だよ」
首を傾げる様にチラリと窓から空を見上げ、ディーンは納得のいかない顔を浮かべたまま曖昧な頷きをする。
「それだけ?」
「それだけだよ」
「なんだ、それだけか」
呆れる様に洩れる声。
「ただの夢だよ。なんでも狩りに結び付けるなよ、ディーン」
退屈しのぎのたわいもない話題に無粋な詮索を受けて、サムは不機嫌そうに言うと兄から顔を反らす様に、いつまで経っても代わり映えしない外へと目を転じた。
「夢、ねぇ…」
繰り返し口を開くディーンに、サムは何も答えなかった―――子供の時から変わらない、ヘソを曲げた時の彼の仕草だ。それを見留めて、ディーンは小さく笑った。
こんな風な弟を見るのは、この旅を始めてから数えきれない。そして、それが当たり前の様に見れる事が嬉しかった。どうせ、更に腹を立てるに違いないから、本人には言わないが。
だが、と彼は、未だそっぽを向くサムの横顔を横目で盗み見ながら、心の中で考えた。
変な夢など、サムにとっては良くある事だ。特殊能力と言えるだろう、予知夢だったり過去の夢だったり…そんなものを彼は見る。たぶん、中には本当にたわいもなく意味もない普通の夢もあるだろう。しかし、眠りから覚めてしばし時が過ぎてからも覚えている夢は、何かしらあるのではないかとディーンは何処となく感じている。今までの経験上だ。
サムはあまり夢を見ない。"良く見る"と言うのは、ディーンが指す"特殊な夢"の事なのだ。
「それで?」
「何が?」
「夢だよ。どんな感じがした?」
「もういいよ」
「言えって」
「いいって言ってるだろ」
拗ねた子供の様な態度で口を尖らすサムに、ディーンは苦笑いを浮かべた。まったく、図体以外は彼の良く知っていた、幼い弟そのままだ。
「言えよ、最後まで」
強制的な催促に苛立たしげな溜息を吐く…他に何をする事もない今、サムは自ら振った話題だと思い直して観念した。

空は何処までも広がっていた。
みずみずしい程に青く、透ける様に明るく、その先に宇宙と言う永遠の夜空が続いているなど信じられないぐらいだった。
手をかざした先に絶え間なく煌めき続ける白い閃光の様な太陽は眩しく、それを遮るものは地上はおろか、上空にも存在しなかった。
ここには何もない。
何もないのだ、空と自分以外に…否、"自分"などと言うものすらない。
―――私は今、全てとひとつなのだ。
個など存在しない、するはずもない。
ただただ広がる淡い青に囲まれ、融けるだけだ。

一際深い路面のひびに、車が揺れる。
ディーンは握ったハンドルを操りながら、何処までも続く道を進んだ。
変わらない情景に、まるで巨大なメビウスの輪に入り込んでしまったかの様な錯覚を覚える。それは、いつまでも大地と一体になれない、夢の中の"私"に相対するかの様である。
「それはきっと…」
「現実から逃げ出したいから、なんて言うなよ。夢診断なんかできないくせに」
揶揄を察知したサムの声で、ディーンは皮肉が最後まで言えずに口を閉じた。
「本当に、何でもないただの夢だよ」
「分かった、そう言う事にしてやる」
悔し紛れの物言いに、今度はサムが呆れた苦笑を浮かべた。

 

いくら代わり映えしないとは言いつつも、ここが時を止めてしまった何処か別次元の空間ではない証拠に、彼らを取り囲む風景は様相を変えていた。だだっ広い平野はなだらかな丘陵に代わり、幾ばくかの木々が点在する家々と共にその身を風景に彩り始める。
助手席で地図を睨んでいたサムが顔を上げて口を開くと同時に、ディーンの視界にもサムが指し示す場所が現れた。道路脇の町名を刻む表示は長年の雨風に汚れ掠れ、黄昏の薄闇では判別も難しい。
聞いたこともない、忘れられた町だった。
夕暮れも差し迫った頃、彼らを乗せたシボレーは漸く見付けた、そんな田舎町で止まった。町とは言えない、十数軒の家からなる集落の、小さな村である。
飾り付けも質素なモーテルの駐車場に停車し、ディーンは走りっぱなしだった愛車のエンジンを止めた。
「着くのは夜中になるかと思ったよ」
車外に出たサムの皮肉にはこの際、無視を決め込む…流石にディーンも疲労を覚えて、地面に立つと車にもたれかかった。
見上げれば、長らく空を支配していた青は橙色と緋色に塗り潰され、微妙で繊細なコントラストを見せながら深い藍色の上空へと繋がって行く。そこに、今まさに顔を覗かせた気の早い明星が我が使命とばかりに燦然と一番乗りを果たしていた。宵の明星、明けの明星と呼び名はあまたあるが、またの名を暁の申し子と呼ばれる悪魔の象徴―――親しまれ愛でられながら忌まれる、稀有な星だ。
漸く夜空から顔を下げたディーンは言った。
「まだ夜じゃない」
相変わらずの強がりに、サムは何も言わずに首を振る。そうされるだろう事を十分に分かっていながらも口を突く余計な一言を発した後、ディーンは車体から身を起こした。
「取りあえず部屋を取ろう。今日はベッドで寝たい」
その提案に「賛成」と答えて、サムはモーテルの入口へと歩き始めた。
格子の木枠にガラスがはめられた、至って平凡、且つシンプルなドアだ。少し軋む蝶番の音もご愛嬌と受け取り、彼は誰もいないフロントに歩み寄る。他にも、ここが比較にならない程もっと酷い安宿を使った事もあるし、車に寝泊まりもザラだ。ベッドとシャワーがあればそれでいい…このモーテルはだいぶマシだ。
"ご用の際はベルを"。
ディーンはメモ書きにチラリと目をやってから、カウンターのベルを叩いた。
数秒の後、何気なく視線をシンプルなエントランス内に向けていた兄弟に向けられた声が聞こえた。
「いらっしゃい。ご用は?」
涼やかで凛としながら、柔らかに紡がれた声―――若い女性だと認識するのと同じくして、振り返った二人の目にその人物が不思議そうな目をして見詰めていた。 ディーンとサムは思わず顔を見合わせた。
彼女を指して、誰が見ても美人と言うだろう…田舎の美人ではない、ちょっとメイクや髪型、服装をいじってやれば、すぐに都会でも通用するぐらいの美女だ。少しだけ彼らより年上だろう、それもまた、彼女の中に人間性と言う魅力を醸し出している。
目を瞬いている二人を、彼女は訝しげに見やった。
「ご用件は?」
重ねて問われた言葉に、漸くディーンは口を開いた。
「ツインルームを頼みたいんだ」
「ああ、お客さんね」
彼女は少なくない安堵を含めて、小さく笑う…とてもチャーミングな笑顔だった。
「カードは使えるかな?」
「ええ、大丈夫」
ディーンの差し出したカードを受け取った彼女はカードリーダーに通す。それから、使用明細がプリンタに印刷されている間に宿泊名簿を記入しながら、彼女は言った。
「ここへは何しに?旅行?」
「まあね。あちこち旅して回ってるんだ…弟と」
指差す先で、サムは愛想笑いを軽く浮かべる。
「仲のいい兄弟なのね」
カードを返しながら彼女もまた微笑む。
「でも、この時期に旅行客なんて珍しいわ」
「なるほど、通りで駐車場が空いてると思った」
余計な事を、とサムはディーンの後頭部を睨み付けるが、当の本人は至って何処吹く風といった様子だ。渡された用紙にサインをして、それを彼女に返す。
「バカンスの時期じゃないから。夏ならキャンプや避暑に来る人達も大勢いるのよ」
「へぇ、そうなの。来る途中に通ってきた田園風景もまんざらじゃなかったけどね」
「ええ、知らない人が多いけど、春はどこもすごく明るい色に染まって…何にもないけどのどかで一年中綺麗な場所よ。きっと気に入るわ」
ディーンは「ありがとう」と言いながら、彼女から鍵を受け取った。
フロントから客室への廊下を歩くディーンは、ふと呟いた。
「信じてなさそうだな」
「何が?」
「兄弟って事」
在らぬ詮索もいつもの事だ。慣れた訳ではないが、関わる事のない相手に説明する必要もない。
「いいから、くだらない事言ってないで行こう」
「OK、ハニー」
無駄口を叩く兄に、サムは「…まったく」と溜息を吐いた。

 

見渡す限りの青、青、青。
深く沈んで行く様な覚束ない感触に取り囲まれ、私はやがて消えていく。
胸が締め付けられる様な悲しみが後から後から止めどなく溢れて、それはこの青と交じり合うのだ。

はっと目覚めたサムは暫しの間、状況を把握出来ずにベッドに横たわったまま、暗闇のぼんやりとした天井を見上げて瞬きをした。
それから上体を起こし、額に手を宛てて溜息…寝間着代わりのTシャツはじっとりと汗ばんで肌に貼り付き、春の夜気に冷え始めている。その寒気が皮肉にも現実感を彼に覚えさせていた―――ここは先程、兄と共にチェックインした、田舎町のモーテルだと改めて自分に言い聞かせる。大丈夫、"何も変わっちゃいない"。
サムはサイドテーブルの幅分離れた隣のベッドに横たわるディーンの寝顔を見やった。
悔しいかな、もしかしたら彼の言う通りなのかもしれない。ただの夢をいつまでも忘れられないのは、ただの夢ではないから、か。
寝起きの渇いた喉で、彼は掠れた声を搾り出すように呟いた。
「ディーン、起きて」
だが、ディーンは軽く寝返りを打つと小さなうめき声を洩らすだけだ。
眠りが浅いのは昔から自分の方だった。それはこの能力に気付く前、ジェシカを奴らに奪われる前からだった。もし自分の能力に自覚していればあんな事には…いや、今はそんな事を悔やんでいる場合ではない。
ベッドから抜け出すと、彼は眠るディーンの肩を揺さぶった。
「ディーン」
「…なんだ?寝込みは襲うなよ」
「馬鹿な事言ってないで起きろってば、ディーン。また見たんだ」
「…ああ?どうした?」
「見たんだよ」
「何を?」
漸く目を開けたディーンの、まだ寝惚けた顔をまっすぐに見詰めながら、サムは一言一言を噛み締める様に言葉を紡いだ。
「だから、見たんだ。あの夢を、あの続きをさ」

 

まだ朝日も昇らない空は、瞬く星々を淡い藍色の中に抱きながら広がっている―――その下に佇む郊外のモーテルに今、彼らはいた。優しげな眼差しの青年と、彼より少し年上の若い女性の二人組だ。
二人ともジーンズにTシャツというラフな格好をしていた。部屋にはそれぞれが持ち込んだ少な目の荷物があるけれど、休暇を利用したバカンスを楽しんでいる様な雰囲気はない。何処か殺伐としているのだ。
華奢な身体付きに短い髪がまるで少年の様な彼女を、彼は見て微笑む。彼は彼女と相対する様に穏やかで端正な顔立ちをしており、笑うと途端に人懐っこさを表した。だからようやく彼女は笑みを仄かに浮かべ、咥えていた煙草を灰皿に押し付けて火を消した。
「無理するなよ」
彼女が案じる目を向けると、彼は苦笑して頷く。
「もう一度、試したいんだ」
「分かった、邪魔しないよ」
ふと笑みに皮肉さを含めた彼女が、部屋の隅へと下がる。
彼はそれを見届けた後、肩の力を抜こうと軽く身体を揺さぶり、それから深く吸った息をゆっくりと吐いた。
―――私は私であり、私ではない。
私は私ではなくなり、私を取り囲む全てに消えていく。
否、消えるのでない。
あらゆる全てと融合するのだ。
だから私は私ではなくなり、私は取り巻く全ての中に存在し続ける。
―――そして、解き放たれる。
彼は心の中で自身に言い聞かせる様に言葉を唱え、天井を仰いだ。いや、それよりも上に、先に、広がる空を臨む様に見上げる。そこへ昇って行く様に。 やがて彼は、身体を抜け出して心が自由に解き放たれるのを感じた。

 

うめく様に唸って頭を抱えた助手席のサムに、ディーンは案じる目を時折向けながらハンドルを操った。
「大丈夫か、サム?」
「ああ、平気だ…」
少し笑みを浮かべて答えるが、その様子はとても平気とは言えない。今はそれほどではないにしろ、引いては押し寄せる波の様に鈍痛が時折訪れて、サムを悩ませている。
朝早くにディーンを起こしたサムは彼を促してモーテルを出た。何か予感めいたものを覚えて、居ても立ってもいられなかったのだ―――夢を見た後しばらくして、彼は例の如く激しい頭痛に見舞われた。今度は不確かな幻ではなく、まるで同時進行する別の場所での出来事を垣間見た気分だった。
「それで、今度は何が見えたってんだ?」
新たに能力の発露を見せるサムに不安を覚えながら、ディーンは尋ねる。
「家だ、白い壁で古い木造の小さな、たぶん大きな湖が近くに…ディーン、そこを曲がって」
曖昧に言いよどむサムは不意に弾かれた様に指示をする。訝しみながらもディーンは言われた通りに脇道へ車を進めた。
「確かに湖は地図に載ってるが、そんな家、いくらでもあるぞ」
納得の行かない顔付きでディーンはぼやいた。
曖昧でありきたりな家屋など、どれぐらいしらみつぶし探さねばならないのか…それよりもそこまでする必要があるのか、疑問だった。
しかし、サムは言う。
「分かるんだ、夢は…夢の中の"誰か"は道を進んで家に向かってた」
彼はそれを追跡しているらしい。仕方なくディーンは言われた通りに車を走らせる他になかった。
「あそこだ!」
まさか本当に辿り着くとは思わなかったディーンは、その声に目を細める。
車でギリギリ通り抜けられる林に囲まれた砂利道を進むと、不意に視界が開けた。明るい空の下にとても広い湖が広がり、湖岸には小さな二階建ての家屋が佇んでいる。二人は車を降りると慎重にそちらへ足を向けた。
少し背の高い雑草に覆われた地面を進み、サムは夢に見たその家を見上げた。
白い壁は風雨に晒されて思っていたよりも褪せて朽ちていた。手入れされていないと言うより人が住んでいる気配がない。廃屋まではいかないにしても、それに近い場所だ。それでも遠目には、明るい日差しを受ける姿がのどかな風景画の一部の様にも見えはするけれど。
辺りを窺うディーンを横目に、サムは湖へ目を向けた。青空を映した湖面は波もなく、静かに水を湛えている。
「そうか…」
彼は誰に言うでもなく呟いた。
「何だ?」
「今朝の夢は同じ青でも、空じゃなくて水だったんだよ」
直接的には感じられなかったが、もどかしい圧力は確かに存在していた。それが水中だったからだと、今にして気付いたのだ。
「ここで何か起きたのかな?」
「朝っぱらから叩き起こされた上に車走らせて来たんだぜ、こっちが聞きたい」
ディーンはサムの隣に立つと、同じく風景を眺めて言う。それには苦笑しか返せなかった。
「おまえの気が済むなら調べてみるか?」
彼がそう言って上着の内側からEMFを取り出したのを見て、サムは笑みを浮かべた。何だかんだ言いながらもディーンはサムの主張を聞いて、探知機を準備してくれていたのだ。
だが、彼らが家へと歩き始めた時、予想だにしていなかった声に足を止める。
「テオ!」
誰もいないと思い込んでいた二人は些か驚いて、今しがた声がした方に目を向けた。木々の間を縫って、小柄な人影がこちらに来るのを見付ける。何事だろうと目を見合わせた二人はそれから物音のした背後を振り向き、家の中から一人の青年が現れるのを見た。
青年の歳はサムより少し下だろうか、何処か幼さをそれとなく残した顔立ちだ。けれども鍛えられた体躯はなかなかで、背も高い―――彼はディーン達を見て意外そうに目を開いたが、すぐに彼らより先へと視線を移した。
「こっちだよ、ソフィア」
ディーンは青年が呼びかけた方…先程の声の主が歩いて来るのを、目を細めて眺めた。
遠目からも分かる細身の身体は、華奢と言うよりしなやかで動きにも無駄がない。徐々に近付くにつれて彼女が"イイ女"であると彼は気付いた。どちらかと言うとタイプではなかったが、それでも一目で人を惹き付ける独特の雰囲気を持っている。蜜色の短い髪が勝気そうな表情に良く似合っていた。
林から日差しの中に出て来た彼女も意外そうに目を瞬き、それから好奇心に満ちた眼差しを浮かべて彼らをまじまじと見やる。
「ハイ、こんな所で観光?…なんて訳、ないか」
笑顔を見せるディーンが何か答える前に、彼女は彼らの横を通り過ぎて先程の青年へ歩み寄る。どうやら彼女の興味は別にあるらしい。
「何か見付けた?」
「何も…そっちは?」
「いや、こっちも空振りだよ」
テオはソフィアの問いに答えて、黙り込む。とても深刻な横顔だと、離れた場所で眺めていたサムは思った。
けれど、自分の隣に佇むディーンが肩透かしを食らったのを誤魔化す様に顔を反らすのを見て、苦笑いを浮かべる。彼は女性に無視されて図らずも少しショックだったのだ。
言葉を探して黙っているディーンに代わり、サムは小声で話し込む二人に言った。
「君達は観光?地元の人には見えないけど」
話しかけられた事に驚いた様子を見せた彼女は、それでもサムの人の好さそうな顔に答える。
「そんな所かな」
男勝りな口調で、彼女は微笑んだ。
「でも、何も面白いものはないよ」
「そうなのか?」
急遽話しに加わってきたディーンが尋ねると、彼女は肩を竦める。
「私達には、ね」
それは意味深な口振りだ。
思わず顔を見合わせるディーンとサムを見て、青年は彼女を責める様に見下ろす。
「ソフィア」
「うるさいな、おまえは」
彼女は何か言いたげな彼を軽く睨み、彼が呆れ顔を浮かべて口を閉じるのをシニカルな笑みで眺めている。
とても不思議な二人だった―――彼女はわざと、立ち居振る舞いを荒っぽく見せているのだとすぐに気付いた。黙っていればそれなりの美人なのに、どうもその態度は良く見る普通の美女とは異なっている。けれど似合っていた。いや、板に付いているのだ。対するテオと呼ばれた青年は、どちらかと言うと優しげな目元と穏やかそうな顔立ちをしていた。それにも増して、思慮深く理知的な雰囲気を漂わせている。今はソフィアの態度に些か呆れていさめる様に睨んではいるが…それが何処かで見た光景の様で、サムは妙な気分になった。
「私はソフィア、自然地質学のフィールドワークが仕事。で、こっちが自称助手」
助手の上に自称とまで言われたテオはうんざりした面持ちで溜息を吐き、それから気を取り直してサムと握手した。
「どうも、"自称助手"のテオだ」
「僕はサム。こっちはディーン」
「よろしく、ディーン」
彼が笑みを浮かべて差し出した手をディーンは握り、続けてソフィアにも挨拶する。けれど彼女は素っ気なく軽く握手しただけでディーンからすぐに背を向けた。彼が彼女の指にある年代物らしい指輪を見やったので視線を避けたのだ。いい指輪だね、などとどうでもいい事を言おうとした矢先だった為、その後ろ姿をディーンは些か面食らった様に眺める。
思えば始めからソフィアはディーンを極端に避けている様に思う。何故なのか気になったが、極端に男嫌いなだけかもしれない。
彼は気を取り直して特有のひねくれた笑みを交えた言葉をかけた。
「この近くにキャンプ場でもあるのか?」
「何だって?」
その言葉に彼女は顔をしかめて振り向く。ディーンの思惑通りだ。
「何にもないのに、君達はここにいるんだろう?」
「そのまま、あんたに返すよ」
ソフィアはやはり取り付く島もなく言い捨てて、ディーンが何か言う前に「行くよ、テオ」と歩き始めた。テオは彼女の非礼を謝る様に手を軽く振って、彼女の後を慌てて追う。
追い付いた彼は後ろを何度か振り返り、責める様にソフィアに耳打ちした。
「どうしてあんな態度を取るんだ?」
何もあんな言い方をしなくてもいいだろうに、と彼は思ったのだ。別に彼らが自分達に何かした訳でもないし、何かする訳でもない。たまたまあの場所に居ただけだ―――けれど、ソフィアはそうは思っていないようで、あくまでお人好しな彼をちらりと睨む。
「知らずに来たのか知ってて興味本位に来たのか、どちらにしても私には関係ない。出来れば邪魔されたくないだけさ。"仕事"だぜ、テオ。余計な奴らに構ってる暇はない」
冷たく言い捨てるソフィアの美麗な横顔を眺めて、テオは大きな溜息を吐いた。
やがて彼らが奥の林の中に消えて行った後、ディーンはサムに尋ねた。
「もう少し調べてから行くか?」
「いや、いいよ。たぶん何もない」
ディーンはサムの言葉に一瞬だけ怪訝さを表すが、すぐにいつもの表情に戻る。
「じゃあ、俺達も行こうぜ。こんな"何にもない"所からは」
「そうだね」
兄が少なくない不機嫌さを漂わせているのを感じて、サムは大人しく頷いた。

 

モーテルに戻った二人がまずした事は、あの湖畔の廃屋を調べる事だった。
「何が、"何もない場所"なんだか」
皮肉を言って、ディーンは不敵な笑みを浮かべる。
「13年前、惨殺事件のあった家か。やっぱり何かあるのかな?」
サムは良くあるただの噂話ではない事件を、古い新聞記事から抜き出しながら呟いた。
「両親と二人の子供が住んでたのか…発見されたのは頸動脈を切られた母親と子供達の遺体、父親は見付かってない」
「じゃあ、犯人は父親か?」
「それにしては不自然だよ。父親の血液も至る所に残されてる…致死量の」
のどかな風景からは想像も付かない悲劇があった事に少なからずサムは驚いていた。何より、あの場所へ導かれる様に赴いたのは他ならぬ彼自身だ。
「それで、殺された家族とその犯人を探して夜毎さ迷う父親の亡霊って訳か」
ディーンは興味もなさそうに投げやりな口調で言って、ベッドに腰かける。サムはパソコンの画面から顔を上げると肩を竦めた。
「特に、人を襲ったって話はないけどね」
サムが言う様に、あの付近では怪談に関わる怪我人も行方不明者もいない。たまたま通りかかった人間を追いかけて"おまえじゃない"と言っては消える程度の、良く聞く都市伝説染みた怪奇話ぐらいだ。彼らがあえて狩りをする程でもないだろう。
それよりもディーンが気になるのは、あの遭遇した二人だ。肝だめしに来た物好きなカップルには到底見えなかったし、何にしても暗に追い返す様な事を口にしたのが引っかかる。
「犯人だったり?」
「何言ってんだ、13年前なら二人とも子供だよ」
「人間ならな」
サムは小さく笑って首を振る。本気でディーンが言っていない事ぐらい分かっていた。
けれど、あの二人がどうして"夢に導かれた自分"と出会う事になったのかは確かに酷く気にかかる。
「また会いそうな気がするよ」
「予知か?」
「さぁね」
サムははぐらかしたが、何処か確信的な予感を覚えていた。それが何なのかは見当も付かないし、出会った自体が単なる偶然なのか、それとも運命の悪戯なのか分からないけれど―――まだしばらくは悪夢めいた予知夢に悩まされそうだと感じていた。


つづく


実は一番初めに書き出したスパナチュSSです。
たぶん夏頃かそのちょっと前ぐらい。
ずっとほったらかしにしてたのを思い出してUPしました(笑)
でもラストまでまだ書いてないので、ちょこちょこ続きを更新していこうと思います。
それにしても懐かしい文章の書き方…今よりまだマシな気がする…orz

2007/10/29〜11/6 BLOG掲載

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