瞬く間に空を駆け抜けると夜空の星がまるで流星の様に後方へと過ぎて行く。風を感じるぐらいのスピードだが、その当たり前な感触は全くない。
"彼"はやがて地表を行き、森を抜けるとあの場所へ辿り着いた。

 

SUPERNATURAL HEVEN'S DOOR 2

 

やはり、あの場所に何かあるのか―――サムはまた見た昨夜の妙な夢に些かうんざりしながらディーンの後ろを歩いていた。モーテルを出て朝食を取りに近くのカフェへ出向いたのだけれど、食欲はなかった。
覚えている内の幾つかは、数日前に兄からからかいを含んで言われた「逃避」に近いと言えなくもない夢だ。見た事もない景色の中を巡るのもので、もしかしたら判然としないけれど幾つかは子供の頃から繰り返している旅暮らしのせいで本当に行った事がある場所かもしれない。だが、問題なのは結局あちらこちらを回ってもいつもあの廃屋へ情景が続いていく事だった。何故かあの場所から意識が離れられないでいるらしい。ならば、やはりあの家は何かしらあるのだろうかと彼は思った。
サムがそう頭を悩ましている間、対するディーンも朝から頻りに考え込んでいた。ディーンはサムが再び悪夢と不眠症に悩まされているのを懸念している。傍から見ていてもサムが憔悴しているのが分かる。今はまだ軽度だが、以前の様に苦悶したり夜中に飛び起きたりしているのを知っていた。そして何より今の彼の最大の疑問は、例の不思議な二人組についてだ。これがサムの悪夢と関連しているのだろうか―――ソフィアの態度はこの際伏せて、彼女がしていた指輪を記憶の中から引き出す。年代物の古い品で、黒光りの中に紅い天然の文様が混じっていた。いわゆるブラッドストーンと呼ばれるものだろう。それは古くから高価な御守りとして装身具以外にも使われてきたものだ。それにしても、その表面に何かしら刻まれていた様な気がするのだが、見られたのが一瞬だった為に記憶はおぼろげだ。どうも気にかかって仕方がない。
サムとディーンはそれぞれの疑問を考え込みながら、店の前に立った。開店したばかりの時刻だと言うのにカフェにはすでに客が何組も入っており、外から窓の中を眺めればそこそこの盛況ぶりが見えた。田舎町において数少ない店だからだろう。
ドアを開けたディーンは不意に立ち止まり、サムはぼんやりしていてぶつかってしまう。思わず悪態を吐きかけた彼だったが、ディーンはその前に口を開いた。
「おまえ、本当に超能力者だな。これならベガスに行けば良かった」
唐突に皮肉を口にするディーンに驚いたサムは、彼の視線の先に目を移して理解する。サムが予感めいた宣告通りに、あの二人がいたのだ。彼らは窓際のテーブルで何やら話し込んでいたが、入って来た二人に気付いて心底驚いていた。
先に声をかけてきたのはテオだった。彼は優しげな笑顔を浮かべて、呆然としているサムに言った。
「また会ったね。そんな気がしてた」
「僕もさ」
サムは答えて、少し困惑気味に笑みを作る。まさか同じ様に思っていたとは、例え社交事礼でも不思議な高揚感を覚える。
だが、ソフィアは上目遣いで兄弟を見上げると呆れ顔で言い放った。
「なんでまだ、こんな所をウロウロしてんだ?」
テオがいさめる様に振り向くが、彼女は素知らぬ顔でディーンを睨み付けていた。
サムが困惑しながら言葉を探している間に、売り言葉に買い言葉でディーンが口を開く。
「観光だよ。そっちこそまだ仕事か?」
「関係ないだろ」
「ああ、かもな。どうせロクでもない仕事なんだろう」
不意にソフィアの目が驚くほど鋭くなる。それは今までの挑発的なものとは比較にならないほど冷たく、警戒を露にしていた。学者には到底見えない。
「悪い事は言わない、あの場所にはもう来るな」
「何でだ?」
「知らない方がいい事ってのがあるんだよ、世の中にはな」
彼女はそれっきり何も話さなかった。
離れた席に着いたサムとディーンは、どちらともなく溜息を吐く。何故、彼女があれほどの敵愾心を見せるのかは分からない。もちろん先ほどのディーンの言い方は勝気そうな彼女を怒らせるのに十分なものではあったとサムは思った。
「やっぱり犯人だろ。じゃなきゃ"同業者"だ」
ソフィア達を指して"同業者"と言ったディーンにサムは首を傾げる。
「どうしてさ?」
「分かるんだよ」
言って、ディーンは顔をしかめた。
握手を交わした時の違和感が何なのか、ディーンは今になって気付いた。あの手はただの若い女の手ではない、"良く知っている"―――指と掌にあったのは、武器を握る為に出来るタコだ。警官だってああはならない、特殊訓練を受けた兵士ぐらいだろう。それにわざとらしいくらいにあの廃屋から自分達を遠ざけようとしている。最初は"一般人を懸念する"プロを気取ったオカルトマニアかと思ったが、あの気迫はとても素人ではない。それに簡素な格好の割に大振りな指輪が気になった。しばらくして、石に刻まれた文様が本物の魔除けの紋章だと思い出したのだ。
「何で言い切れるんだ?」
逆にサムはいつもより懐疑的で、ディーンは笑う。
「おまえこそ、疑り深くなってるな?」
「兄貴のおかげで色々経験してるからね」
ディーンが指摘した事に同意はするが、それでも確信には至るものではないとサムは思っている様だ。それがディーンにはいつもと逆の様な気がして可笑しかった。
「それより、これからどうするんだ?狩りをするって事もなさそうだし」
「あの夢が終わらない限り、ダメそうだよ…何か理由があると思うんだ」
「理由って何だ?」
今度こそいつも通りに疑問を表すディーンを、サムは見やった。
「まだ分からない。でも、"意味があるかもしれない"って言ったのは兄貴だよ」
眠りについてから人は一晩で何個もの夢を見る。その中には他愛もないものから意味があるのではないかと深読みしたくなるようなものもあるだろう。人はそれを勝手に結びつけて、何かを探り出そうとする。けれどサムの場合は不本意にも"本当に意味がある"夢を見てしまう事があるのだ。
信じられない様な怪奇現象をいくつも見てきたくせに徹底した現実主義者であるディーンは、それでもサムの予知夢を最初は非常に疑っていた。けれど無視出来ないと最近では思っている。有り得るものと有り得ないものに線を引いてきたけれど、現実にそれは起きているのだ。
「もう一度、行ってみるか」
「何だって?」
「だから、あの廃屋だよ。夢は結局、あの場所に関係してんだろう?だったら気が済むまで確かめようぜ。そうしなかったらいつまでもこだわってそうだからな、おまえは」
最後に軽く笑った兄を見て、サムは口調とは異なる彼の心配と気遣いに弱々しく微笑み返した。

実害がなければ差して気に止めもしなかったはずの廃屋を前にして、サムは息を飲んだ。今日は何かが違う、そう感じた。
サムの様子に気付かない様で、ディーンは廃屋の中を進んだ。外から見たままのこじんまりとした家は入り口を入ってすぐに左手にリビング、右手にキッチンがあり、廊下を進むとバスルームに続いている。その途中に2階へ上がる階段があり、彼は懐中電灯で奥を照らしながら階上を見上げた。
「確かに"魅力的な家"だけどな、何にもないぜ」
懐中電灯を持つ右手とは反対に左手にしていたEMFは静かで、霊の痕跡を示してはいなかった。
実際の事件があったと知らなくても確かに何かあるのではないかと思いたくなる佇まいではあるが、だからといってこういう廃屋で実際に悪霊や魔物に遭遇する事はそれほど多くはない。いそうな気がする、が幻覚や錯覚を見せるのだ。それを分かっているからこそハンターなどと言う仕事をしながらもディーンは数多の怪奇現象の幾つかには非常に懐疑的だった。オカルトマニアの様に不思議な事は全て現実などと思えない。
サムはディーンとは別に室内を見渡しながら、ふと呟いた。
「何かいる…」
「俺には何も見えない」
戻ってきたディーンが茶化す様に言うのを無視して、サムは慎重に歩を進める。
何と言われようとも、微かだが何かがあるように感じるのだ―――それが何なのかは分からないけれど、ネズミの様な小さな生き物の気配とも違う。もっと不確かであやふやな、それでいて確実に存在する何かだ。
「助けてくれ!」
唐突な男の叫び声に二人は振り返った。
「二階か?」
言うが早いかディーンとサムは老朽化で軋む階段を駆け上がり、かつての家族の寝室が並ぶ廊下に出た。その一番奥に突き当たるドアが半開きになっており、声の主はそこでまだ叫んでいた。
「誰か助けてくれ!ああ、ちくしょう、どうしてこんな事を…」
ディーンは手の中のEMFをちらりと見やった。今まで沈黙していたくせに、今や針を振り切らんばかりに警告している。
二人は慎重に、ゆっくりと部屋へ近付いた。それからドアを足で軽く蹴って開け、そこにうずくまる男とその彼が抱えている女、そして2人の子供を見た―――明らかに死んでいる、血の気のないしなだれた身体が3つ。
首を真一文字に切り裂かれて夥しい量の血液が流れたのだろう事はすぐに分かった。男が泣きながら呼びかけている女は白いナイトドレスをどす黒く変色した血に染め上げられ、きっと生きている時は愛らしかったのだろう子供達も見開いた硝子玉の様な空虚な目で天井を見上げたまま瞬きもしない。
それは記憶と残留思念の作り上げた幻影だった。けれども、幻と言うよりもあまりにリアルで生々しい傷痕だった。
男は部屋の入り口に立ち尽くしている二人を見上げた。憎悪と悲しみに満ちた眼差しはそれでも見境なく人を襲う悪霊とは言い切れず、困惑と戸惑いと恐怖に揺れている。まさに凶行を目の当たりにした人間そのものだ。彼の切り裂かれた咽喉が今も血を流し、自分のものか家族のものか分からない血で汚れた頬がまるで紅い涙の様に見える。
「おまえ達じゃない」
噂通りの言葉を吐いて、男は愛する妻の亡骸に再び視線を落とす。
ディーンとサムはその場から逃げ出す事もせず、静かに部屋の中を見渡した。埃と蜘蛛の巣に塗れた家具は今や塗料も剥げて色褪せているが、かつては幸せな家族が住む家に当前の様に置かれた姿をしていたのだろう。何事も無ければ子供達ももっと大きくなって、夫妻はその充実の年月分の年を取っていたはずだ。そう、12年前に何事も無ければ。
「あいつらが…あの悪魔が、俺の家族を…」
嗚咽する男を冷たく見下ろし、ディーンは言った。
「そいつは悪魔なのか?それとも"悪魔みたい"なゲス野郎なのか?」
「悪魔だ、あれは悪魔だ…」
男は再び顔を上げると、怒りと悲しみに充血した目をまっすぐに向けた。
「あいつは、悪魔そのものさ」
突如、男は霞の様に掻き消えてしまった。いつの間にか妻と2人の子供の姿も消えている。
ディーンは顔をしかめたまま、EMFを見下ろして溜息を吐いた。彼らが現れるまで何の反応を示さなかったそれが、今はまだ痕跡を感知して警戒音を立てている。
「まただ。また悪魔だ…」
サムは呟いて俯いた。彼の苦悩が増えたのだ。悪魔が絡むと頭痛と白昼夢はその頻度を増やす。そして、それに不本意にも巻き込まれ、関係せざるを得なかった人間と関わる事でもだった。
「12年前に悪魔がこの家族を襲ったって言うのか?でも、もしそうなら…」
「何故、今なんだ?」
最初の調査では何も出て来なかった廃屋の中で、何故今になってこんな事が起きるのだろう。噂話は今も後を絶たずに続いている様だが、それは屋内ではなく湖沿いの少し離れた道端に限っている。そもそも目撃情報の興りは事件の直後数年に発しているものであって、現在の目撃証言を二人は確認できていなかった。それだけならば、やはり"突然"再発したとしか思えない。
不意にサムは額に手を宛てて蹲った。激しい頭痛に襲われたのだ。
「おい、サム?どうした?」
さすがに慌てて駆け寄るディーンの手を抑えて、サムは頭を振る。けれど脳髄を突き刺す様な痛みは引いては押し寄せ、彼は小さく呻いた。
「大丈夫…」
呟いてやっと顔を上げた彼は、それから驚きに目を瞬いた。
埃まみれの床に膝を突いたままのサムとそれを支えるディーンの目の前に、"彼"は佇んでいた。窓に打ち付けられた板の間から細く差し込む光にうっすらと照らされ、呆然と見ているサムに振り向く。
それから、その人影は瞬く間に掻き消えた。
「テオ…?」
彼は気付いて、その名を呟いた。
意味が分からずに顔をしかめているディーンに、サムは言った。
「テオだ」
「ちょっと待て、何が何だか分からない」
サムが唐突に言い出した名前を聞いて、ディーンは更に困惑する。彼には何も見えなかったからだ。
「ディーン、テオだよ。彼が最後に振り向いて僕を見た。確かに"僕を見た"んだ。そこに居たんだ。さっきから感じてたのは彼の気配だったんだよ」
「さっきの男の霊じゃなくてか?」
テオが消えた瞬間から嘘の様に頭痛が治まったサムは立ち上がり、訝しむ兄に尚も言った。
「ああ、最初はそう思ったけど…霊の気配じゃなかった」
「でも、あいつは人間だぜ?それとも何か、あいつは人間じゃないのか?悪霊や魔物だって言うのかよ。おまえには見えて俺には見えなかったし、煙みたいに消えちまったって?」
やはり信じないディーンを静かに見下ろして、サムは曖昧に微笑んだ。
「僕にだって分からないよ。でも実際に彼は居たんだ…予知夢じゃない、過去の幻影でもない、確かに今、ここに居たんだ」
それは奇妙な出来事だった。今回何度も見たものは、以前に経験してきた予知夢とはまったく違う種類に思えた。あれは現在進行形の出来事で、どういう仕組みになっているのかは分からないが、現実にテオはこの廃屋にいて消えたのだ。実際には現実のテオではないだろうが、でも、彼だった―――まるで魂だとか意識だとかだけを切り離して現れた様に。
予知ではない、それがサムが達した答えだ。
ディーンは考え込む様に顔をしかめながら俯き、やがてサムを振り返った。
「訳が分からない。この家はどうなってるんだ?急に怪奇現象は復活するし、訳が分からない連中は現れるし」
うんざりした面持ちでディーンは大仰に肩を竦める。"弟は相変わらず謎の能力を発揮するし"とだけは言わずにおいた。
サムはしばらく黙り込んだ後、背を向けているディーンに言った。
「でも、あの二人が関係あるって事は分かったよ」

 

「また会ったね。まさかつけ回してる訳じゃないよね?」
笑いながらソフィアは冗談だよと言って、固まるサムの腕を軽く叩いた。
彼女は何故かサムには敵対していない様で、気軽な口振りだ。対するサムは曖昧に笑って誤魔化し、わざと接近した事を悟られていないようにと祈った。彼女達が何者なのかまだ分からなかったし、もし悪いものなら、ばれたらかなり厄介なことになるからだ。
数時間前、まだ日も高い日中―――廃屋を出たサムとディーンは手がかりの一つになるだろう二人を探した。彼らが同業者であろうと何かしら悪いものであろうと、今回の不可解な現象を検証するには外す事は出来ないと判断したからだ。
思った通り、彼らはまだこの街にいてすぐに見つける事が出来た。朝方のモーテルからそう遠くないカフェで遭遇したのだから、どうせ同じ界隈の宿泊施設にいる事は分かる。だから二人は彼らが出て来るまで様子を見る事にした。インパラは目立つがあの二人はまだ車体を見ていないので、サムとディーンはその中で刑事さながらに張り込みを続けた。
昼をだいぶ過ぎた頃、しらみつぶしに当たった安ホテルの一つから彼らは出て来た。必要な日用品を買い込み、帰り際に食料を仕入れ、そしてホテルに戻る。何の疑問点もない行動に見えた。メグの時の様に何気ないふりをしながら自分達に計画的に近付いて来た者もいた事を考慮して慎重に観察したが、そう言う気配は感じられなかった。もちろん、演技である事も疑ってはいるが、どう見ても不審な点は見当たらない。
それから夜に差し掛かる頃に再び外出した二人は、少し離れた小さな繁華街へ向かった。その内の一軒のバーへ入って行ったのを見届けて、サムとディーンも偶然を装って後を追った。前に遭遇した時とそれほど変わらない対応をこなし、彼らはソフィアとテオの二人の出方を観察しながら正体を確かめる為である。
そして、今に至る―――。
ソフィアは何処か緊張の面持ちを写すサムの横顔を眺めていたが、やがてグラスを傾けると言った。ちらりと視線を向けた先には、カウンターでドリンクを頼むディーンの後姿がある。
「あれ、あんたの兄貴?」
「そうだよ。良く分かったね」
不粋な勘繰りを受ける事もしばしば合ったが、兄弟だと始めから言われるのは稀だ。もし始めから彼女が知っていなければ、だが。
「見てれば分かる。兄貴面して偉そうにしてんだろ?」
彼女の言葉にサムは返答に困って、小さく笑った。
何故か彼女はディーンが気に入らないらしい。大して知りもしないのに、始めから気が合いそうにないとサムも思った。いや、似ているから反発しているのかも…何かのきっかけで意気投合しそうな予感もする。似ているなんて言ったら、引っ叩かれそうだけれども。
「誰かさんと一緒だな」
不意にテオがテーブルに来て口を開いた。からかいの笑みをソフィアに向けている。
「本当に生意気だよな、おまえ。時々ぶん殴りたくなる」
「それはお互い様」
物騒な物言いを交わしつつ、二人はそれでも何処か愉快そうな目をしていた。とても仲の良い、悪ガキの兄弟…否、姉弟の様に見える。カップルにしては不釣合いだが姉弟ならば納得がいく、サムはそう気付いた。
「君達は姉弟なの?」
質問したサムを彼女は上目遣いに見上げて、口元に笑みを浮かべた。何だか見慣れた、誰かさんに似た悪戯好きな目をしている。
「他にどう見える?この情けないクソガキが、私みたいなイイ女に釣り合って見えるって?」
「え、ああ、その…」
身を乗り出した彼女から後退りしたサムが言葉に詰まる。けれどそれすら面白がる様に彼女は尚もサムに近付いた。
「何なら試してみる?前から思ってたんだけど、サムって可愛いよね。遊んでやってもいいな」
「いい加減にしろよ、ソフィア。困ってるだろ。ごめんよ、サム。うちの姉貴はいつもこんな調子で人をからかうんだ」
「相変わらずおまえは頭固すぎだ。邪魔するなよ」
「姉貴が奔放過ぎるんだよ…まったく」
顔をしかめたテオはソフィアを押し留めて、戸惑うサムに申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「俺を蚊帳の外にするなんて酷いじゃないか?」
振り向くとディーンが機嫌良さそうに三人を眺めていた。
だが、ソフィアは彼をちらりと見やっただけでサムに対する様に軽口を叩いたりもしない。テオは態度に温度差がある彼女のせいで微妙な空気になった事を察し、困った様にディーンに苦笑した。だからと言って、負けん気の強いディーンが引き下がる訳もなく、社交事礼だか皮肉だか分からない口振りで言った。
「知らない町で見知った顔を見ると安心するよな」
「どうだろうね、"見知った"程じゃない相手じゃあ分からないな」
ようやく口を開いたソフィアは、ディーンの愛想笑いも軽く流してビールをあおる。その視線は冷たく、好戦的だ。ディーンは瞬間的に顔付きを変えたが、それでも初対面に近い彼女に作り笑いを向けた。女の"色気抜き"の挑発に乗る程、ガキじゃないと自分に言い聞かせている様に…それでもソフィアはにこりともしない。さすがのディーンも顔をしかめ、彼女のふてぶてしさを演じる横顔を睨む。
次に何て言ってやろうかとディーンが考え始めた時、それを遮る様にソフィアは唐突に言った。
「それで、そっちは何を掴んだ?」
「何だって?」
ぶっきらぼうな物言いにディーンが尋ね返すと、彼女はそれには答えずに口を開く。
「サムとディーン…あのウィンチェスターだろう、あんた達。どこかで聞いた名前だと思って調べたよ」
変わらず美しい顔に浮かぶのは皮肉な笑みだ。だが、ソフィアの目は笑う所か怒りにも似て鋭く彼を睨んでいる。
彼女達がディーンの言ったとおりの"同業者"である事は間違いなさそうだった。もっとも、サムを付け狙う悪魔達もまた、彼らの事を知っているのだから断定は出来そうになかったが。
「調べたって、どうやって?」
「この業界、意外と狭いんだ。知ってるだろう?」
ディーンの問い掛けにソフィアは素っ気無い口調で答える。
「それにしたって、俺達も有名になったもんだな」
「ああ、いろいろと面倒な事をしてくれる悪ガキ兄弟だからな。嫌でも耳に入る」
「俺達にも"いろいろ"あったからな」
ソフィアが言うのはサムとディーンが今やお尋ね者である現状を糾弾するものだった。元から根無し草のアウトロー染みた生活をしている"同業者"とは言え、迷惑を被っているのは明らかだ。彼らの様な生き方をする者達は大勢いるが、誰かが警察に目を付けられるととかく動き辛くなる。偽造カードに身分詐称、不法侵入に器物破損など日常茶飯事なのだ。
けれど、サムとディーンがこうなったのもどうしようもない理由がある。不可抗力とも言えるだろう。サムの友人を救う為にディーンが悪役を被ったからだ。忌々しいシェイプシフターとの初めての対決の時である。
「それで、どうして私達の仕事に首を突っ込むんだ?うろつくなって言っただろう。知らなくてもいい事ってのはあるんだよ。と言うより、知らない方が幸せな事がな」 「まるでギャングスターみたいな言い方だな」
にやりと笑ったディーンが、眉根を顰めたソフィアをまっすぐに見詰めて言った。
「手伝おうか?」
「私達の仕事だ、関係ない」
同業者である事が分かった以上、彼女がこれほど険のある断り方をするとは理解し難い。何かを隠している様な気がして、ディーンは食い下がった。
「待てよ。こっちにも"理由"があるんだ」
「へえ、どんな?何であれ目の前の事件は見逃せないってヒーローごっこでもしたい訳?」
「それは…言えない」
あまりに馬鹿にした口調で突っぱねられて、さすがにディーンも口を閉ざした。それに、サムの身に起きている事を話す訳にはいかない。
「じゃあ、無理だな。ここは私達の狩りだ、他を当たれよ」
「好きで首を突っ込んだ訳じゃない。言っただろう?俺達にもいろいろあるんだって。サツじゃないんだ、犬みたいに縄張り意識が強いのはどうかと思うぜ」
「何だって?」
今度は逆にソフィアの方が尋ね返す。
彼女が事の他"仕事"にプライドを持っていて、尚且つ他人に邪魔だろうと助成だろうと関わられるのを極端に嫌っているのが良く分かった。けれどどんなに糾弾されようとディーンとサムにものっぴきならない事情というものがある。それこそ他人に語る事も出来ない、大きな秘密だ。
真意を掴もうと獰猛な番犬の様に顔をしかめるソフィアを、ディーンは顔色一つ変えずに見詰め返す。更に場の雰囲気が悪化するのが分かった―――押し黙って互いを牽制する様に睨み合う二人とは逆に、サムとテオは焦り慌てて二人の間に入る。
「あー…僕らは先に帰るよ」
サムがそう告げるとソフィアは何か言おうとしたが、テオはそれを無理矢理押さえて言った。
「そうかい?じゃあ、また…もしまた会えたら」
「そうだね、おやすみ」
「おやすみ」
それからサムは憮然とするディーンを無理矢理連れて、出口へと向かう。
「俺、なんかしたか?嫌われる様な事」
「さあ、分からないけど」
子供の様に拗ねた表情をしてディーンは、それでもサムに促されるまま店を出た。
「彼らが人間以外の何かじゃないって事は分かったよ、悪魔憑きでもなかったし」
サムは苦笑気味に呟いて、今出てきたばかりの店を振り返る。そして、隠し持っていた小瓶を軽く振って見せた。中身は聖水だ。日中、立ち寄った教会で新たに調達しておいたものだ。
ディーンは弟と小瓶とを見比べた後、「そうだな」と答える。
「でも、あの二人は何を隠しているんだろう?」
結局、廃屋で見かけたテオの幻影についても何も分からずじまいに終わってしまった。それがサムには気がかりで堪らない。
「とにかく、今回の狩りはやるって事で決まりだな」
「他の時と同じように、もっと詳しく調べてみよう」
サムの提案にディーンは頷いた。
「今はそうする以外にないな」

所狭しと並ぶ幾つもの背の高い本棚には分厚い本が置かれ、それらが途切れた開けた場所にはパソコンが置かれたデスクが並ぶ―――地方と言えども中央図書館にはそれなりの設備が整っているものだ。サムは何も置かれていない机の上に並べた古い文献を記した本や昔の事件記事のファイルを広げながら顔をしかめている。ディーンは既に飽きた様子で窓辺から外を眺めていた。
「何か見付かったか?」
「そっちは?」
返したサムにディーンは首を振る。
「事件は父親が犯人で、被疑者死亡のまま送検されてる。解決した事になってるんだ」
「でも、俺たちが見たあの男は犯人じゃなくて被害者の一人だった。今も真犯人は野放しのままって訳か」
「やりきれないけどね」
顔を上げたサムは溜息を吐いた。これだけつぶさに資料を漁っても、"ヒット"と言えるほどの情報はほとんどない。
「彼が言う様に、本当の犯人は悪魔みたいな奴なのか…悪魔そのものなのか。どう思う?」
「嘘は吐いてないと思うが…何にしろ、当時から時間が経ち過ぎだ。犯人が何者だとしても、痕跡を探すのはまず無理だろうな」
「どうして彼は突然、今になって現れたんだろう」
「何かに触発されたって考えた方が自然だな」
古い文献に"死霊使い"の一文が載っている。今でこそファンタジーの世界では良くゲームだとか物語などで見かける陳腐な作り話になってはいるが、そう言った古代の黒魔術は確かに存在したのだろう。だが、その秘術を現代に蘇らせる事は並大抵の事ではない。それこそ高度な技術と知識が必要となる。とても素人が生半可に手を出したとは思えなかった。
「あの二人がやったって思ってるの?」
「さあな、どうだか」
怪訝そうに聞き返すサムにディーンははぐらかす。今は何とも言えないのが正直な所だった。
不意にサムは資料をめくる手を止めて言った。
「ちょっと待って、これを見ろよ。この記事だけ違う事が書いてある。地元紙だな…ここには三人目の娘が居て、惨事を逃れてる。何かの間違いかな?」
「なんでこの地域新聞にだけ載ってるんだ?」
「これが本当なら、他の大手新聞は伏せたのかも知れない。生き残ったのがたった8歳の少女一人きりならデリケートな問題だ。まだ犯人も見付かっていないし、この家族を標的にした犯行なら狙われる危険性だってある」
「…って警察も思った訳だ」
呟いたディーンは窓辺から外を眺めていたが、はっと気付くとサムを呼んだ。
「おい、サム。こっちも見てみろよ」
何事かと歩み寄ったサムも外を見て、弾かれた様に息を呑んだ。例の二人が通りを横切って図書館の入口へ向かっている。
サムとディーンは積まれた資料を片付けるのもそこそこに、急いで図書館を後にした。

―――どのくらいの時間が経っただろうか。
彼らはインパラを廃屋から少し離れた、木々に囲まれた場所に隠すと自分たちもまた辺りを十分に見渡せる場所に身を隠して二人を待った。もちろん、ソフィアとテオの二人だ。やがて思惑通りに二人は現れると、サムとディーンが身を隠している茂みからすぐ傍に続いている砂利道を歩いていく。彼らソフィアの手に銃があるのを見た。どうやら彼女達は今、"戦闘モード"らしい。
図書館を後にしたディーンとサムはもう一度現場に戻ろうと先に湖畔へ訪れていたのだが、そのすぐ後に彼らが来たのに気付いて隠れたのだった。ソフィアとテオの二人が一体何を思ってどんな行動をしているのか見極める必要があるだろう。未だに彼らの動向がディーン達には不可解にしか見えなかったからだ。
そうしている間も目の前を姉弟は通り過ぎていく。するとサムは思わず「あっ」と言いそうになって目を瞬いた。自分たちの前にも現れた男の霊がテオの目の前に姿を見せたのだ。
テオは驚きもせずにその霊を見詰め、それから優しく手を差し伸べた。言い聞かせる様に何かを話し、霊は項垂れた顔を上げると一点を指差す。ソフィアはテオの背を眺めていたが、やがて彼が指差した方へと向き直ると歩き始めた。
サムとディーンは顔を見合わせる。
「どうなってるんだ?」
「分からない、行ってみよう」
二人は先を行くソフィアとテオの後を間を空けながら、足音を忍ばせて付いて行った。
「ここは…例の噂の場所だよね」
「そうみたいだな。あの父親の霊が現れる場所だ」
「家とはそう離れてないよ」
振り返れば背の高い木々の間から、廃屋の屋根が見える。
サムたちのすぐ傍でソフィアは大仰な溜息を吐いた。
「この辺りか…ぞっとするね」
ソフィアは聊かげんなりと言って腰に手を当てて湖を眺めたが、隣のテオはそんな彼女に態度にこそうんざりと目を向ている。
「今更、何言ってんだよ」
「OK。始めようぜ」
彼女はテオの責める様な口調に肩を竦めると銃を腰に挿し、落ちていた手頃な大振りな木の枝を拾って湖へと近付いていく。
―――彼女はどうするつもりなのだろう?
良く見ようとサムが身体の位置を変えた時、不覚にも落葉に隠れていた小枝が足元で鳴った。
「誰だ?」
音のした方へ素早く銃を構えたソフィアの鋭い声と眼差しに、ディーンとサムは茂みの中で更に身を低くした。しまった、そう思う暇も無く緊迫した面持ちで二人はこちら辺りに振り返った相手の様子を窺った。林に住む小動物か何かと思ってくれればいいのだけれど…。
油断なく辺りを見渡していたソフィアはしばらくして銃を下ろし、テオに言った。
「帰るぞ」
「え?でも…」
「いいから、帰るんだ。嫌な予感がする」
ソフィアはテオを無理やり促して来た道を戻っていく。最後にもう一度鋭い目付きで辺りを見渡すが、何も見付からなかったらしく歩き始めた。
ディーンとサムは巨木の陰に身を隠したまま、やがて遠ざかって行く足音にようやく安堵の溜息を吐いた。それからディーンは気まずげなサムの顔を睨んだ。
「…サム?」
「ごめん」
珍しい弟の失態に、ディーンは呆れた様に天を仰いだ。


つづく


何故か、サムがちょっとドジッ子になってますが。
ディーンはとりあえず相変わらずなままですが。
二人が無駄に仲イイですが。

続きます…。

2007/11/28〜2008/3/4 BLOG掲載

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