ここは何処だろう。
暗い。とても寒い。でも、光が見える。点々と煌く、光が見える。
あれはなんだろう。
星だ。夜空に散りばめられた星だ。儚く、遠く、それでも古からこの地まで姿を投げかけ続ける星々だ。 そうだ、空だ。僕はそこにいる。
取り巻く全ては深い藍色で、果てしなく広く続いている。このまま駆け上がることが出来たとしたら、一体何処へ行き着けるのだろう。ここではない、何処か遠くへ…。
傍らの彼女は寂しげに優しく微笑みながら、僕を見詰めて頷く。とても慈愛の篭った、悲しげでありながらも温かな眼差しだ。その濡れた様な瞳は夜空の様に深く、月明かりを映して星の様に煌く。
ああ、僕は君に導かれた。君が僕をここまで導いたんだ。そうだろう?
僕は今、あの廃屋を見下ろす夜空にいる―――。

 

SUPERNATURAL HEVEN'S DOOR 3

 

テオはしばらくの間、呆然とそこに佇んでいた。街灯も何もないその畦道は夜行動物の気配すらなく、寄せては引く波の音を静かに響かせている。それは海のものとはまったく別物の、とても静かな音色だ。微かに茂みの中から虫の音も響いている。
彼はもうすでに子供の頃から慣れてしまった予感を全身で感じながら周囲を見渡した。ゆっくりと深呼吸を繰り返し、自身を落ち着かせようと務める。こう言う時はパニックを起こしてもどうにもならないと経験上、良く知っていた。とにかく事態と状況を把握しなければならない。
彼はブルゾンのポケットに手を差し込み、その中にいつも持ち歩いている魔除けのチャームが入っているのを確認して安堵した。昔、魔に惹かれやすい彼を案じてソフィアがくれたものだ。これさえあれば、どうにか最悪の事は避けられるはずだ。
やがて彼は、その場所が何処なのか、はっきりと理解した。月明かりに仄かに照らされた木々の間から、あの白い廃屋が臨める場所に彼は立っていた。
―――呼ばれたのか。
そう思うと、相変わらずな自分に杞憂を感じてしまう。分かっている、対処しなければ…。
「やあ、また会ったね」
テオは振り返った先に白いナイトドレスの裾が風に揺れているのを悲しげに見詰めた。

サムははっとして飛び起きた。
もう何度目だか分からない不安定な浮遊感が彼の意識を揺さぶって来る。おぼろげな記憶は夢の内容が、彼の身体を戦慄させた。
―――胸騒ぎがする。
真夜中を指す時計を見やり、それから隣のベッドで眠っているディーンをサムは眺めた。彼は何も知らずに寝入っているのだろう、とても起こす気にはなれなかった。けれども言い知れぬ嫌な予感は確かにサムの中で警鐘を鳴らし続けていた。
「テオなのか…?」
―――彼の身に何か起きたのだろうか。
それに、"彼女"は誰なのだろう?どこかで見た様な気はするけれど…。
サムはそれでも再び訪れた睡魔に勝てず、瞼が重くなるのを感じた。眠りの浅い彼にしては珍しい現象だった。
本当は今すぐ確認した方がいいに決まっている。けれど、こんな真夜中に何が出来ると言うのだろう。もし彼に何かあればソフィアが動くはずだ。とんでもない事態になっていれば、強気な彼女とて自分達に手助けを求めてくるだろうし、彼女もまたハンターなのだから意地を張らず最善の方法を取るだろう。もし、彼女の手には負えない事態が起こるとしたならば…。
何処か言い訳染みていると思いつつ、サムは自分にそう言い聞かせる。
「ディーン…」
念のためにサムは完全に寝入る前にディーンを呼んでみたが、彼は変わらず寝息を立てている。
サムは兄を起こすのを諦めると、仕方なく目を閉じる。見たくもない夢の中へ、また引きずり込まれて行くだろう予感が彼を取り巻いていた。未だに身体は浮遊感で感覚が覚束なく、今感じているベッドやシーツの感触もダブって別の次元のものの様に感じている。
―――どうしてなのだろう。
それでも、今は決して逃れらはしないと諦めるしか術がなかった。例え、夢の行き着く先が分かっていたとしても、逆らう事など出来はしない。導かれるままに、彼は再び眠りへと落ちて行く。閉じた瞼の裏に、あの廃屋の幻影がちらつく様な気がした。

 

ディーンはその日、まだ薄暗い朝方にドアが叩かれる音で目を覚ました。何事かと思ってドアを開けると、そこにはソフィアが立っていて彼は目を瞬かせた。
彼女がこうしてディーン達を見付けたとしても不思議はない。自分達が彼らが泊まっているモーテルを探し出したのと同じ事だ。そう思うと急に気が落ち着いてくる。ただ、彼女がこうして自分達を訪ねた訳が分からなかった。
「何なんだ、こんな時間に?」
予想外の客をディーンは眠気の払えない顔で訝しげに睨む。後方で佇むサムも怪訝そうに彼女を見詰めていた。だが、ソフィアはこの間の続きをする為にここに来た訳ではなかった。事態は深刻だった。だから、ディーン達の"歓迎ぶり"には目もくれずに言う。
「テオを見なかった?」
「何だって?」
「テオだよ、私の弟」
切迫した様子で辺りを見渡しているソフィアにディーンとサムは顔を見合わせた。彼女がそんな表情を見せる事など想像も出来なかった。サムに至っては昨夜の嫌な予感が的中した様でバツが悪かったけれど、それを知らないディーンはただただ唖然としている。
「テオがどうしたんだ?」
「あいつ、時々いなくなるんだ…」
尋ねたディーンにソフィアは唸る様に答えた。

とりあえず彼女を落ち着かそうと、サムは三人分のコーヒーを買ってモーテルの部屋に戻ってきた。部屋に入ると案の定、ディーンとソフィアの間には決して少なくない距離がある様で、それに気付くと彼は思わず苦笑してしまう。ただ、状況が状況なだけに一昨日のバーでの様な掛け合いは起きそうにないのが唯一の救いだ。自分独りで彼らを止められる自信がサムにはなかった。
「それで、彼は昨日から帰らないの?」
「ああ。突然、夜中に飛び出して行ったきりだ」
ソフィアはサムから素直にコーヒーを受け取って答える。
「買い物に出たとか、そこら辺を一人で散歩しているとかじゃなくて?」
飛び出して行ったと言う件は引っかかるが、小さな子供じゃないんだからとディーンは言いたげにソフィアを見やった。だが、彼女は暗い面持ちのまま首を振る。
「携帯にも出ないし、連絡もない。普段は絶対、そんな事ないんだ」
サムとディーンは再び顔を見合わせた。
彼女の態度を見ると、到底そんな簡単な事態ではなさそうだ。真面目で大人しいテオが急にキレて、ソフィアと大喧嘩する可能性はある。だが、喧嘩でもして出て行ったというならこんな風に大きな不安に襲われたりもしないだろう。ほとぼりが冷めたら戻ってくる、自分ならそう思うとディーンは心の中で呟いた。サムとディーンもそう言った事が少なからずあるからだ。
―――だとしたら、彼に何があったのだろう。
サムはしばし黙り込んだ後、ソフィアの俯いた横顔を心配げに見詰めながら尋ねた。
「あの廃屋にいるって可能性はないの?」
湖畔に佇む古い廃屋…。それは自分とテオとを結び付けた不思議な現象の発端だ。それに彼らが同時に追っている事件の中心だ、関わっていない可能性は低い。ソフィアもそう思ったのだろう、小さく頷いてから答える。
「もう行ってきたけど、見付からなかったよ」
「でも、もう一度行ってみようよ。もしかしたらすれ違いになったのかもしれないし…」
それに今はいる気がする、とサムは言わずに口を閉じた。

やはり繋がらない携帯をソフィアは投げ出す様に耳元から外して、苛立ちの溜息を吐いた。
「まだ出ないのか?」
インパラのドアを閉めながら尋ねるディーンに彼女は頷く。仕方ない、やはり自力で探し出すしかないか―――と彼は辺りを見渡しながら思った。
砂利道を歩いてしばらくすると、ここ数日の間に見慣れてしまった廃屋が視界に入ってくる。相変わらずそれは物言わぬ佇まいで日差しに褪せた白い壁を晒していた。
「僕は周りを見てくる」
サムがそう言って二人と離れる。その後姿に、ディーンは「あんまり独りで遠くに行くなよ」と子供に対する様に言い放つ。サムは振り向かずにそんな兄の心配を苦笑した。もっとも、テオの行方不明と言う前段階があるからこその懸念だと分かっていたから何も反論はしない。
ソフィアとディーンは少しの間サムを見送った後、廃屋に向かった。朽ちたドアを開け、薄暗い中を見渡すと初めて足を踏み入れた時と同じ風景がそこにある。ジャケットの下に隠していた銃を手にしたソフィアは固い表情で目を細めた。
「OK…どうする?」
「俺は上を探すから、そっちは下を探してくれ」
「分かった。あんまり"下"は好きじゃないけど」
ソフィは減らず口を叩くと奥の部屋へと向かう。ディーンは思わず苦笑した。彼女が自分自身を鼓舞する為にくだらないジョークを言ったのだと分かっていたからだ。 軋む階段を上がり、ディーンは慎重に部屋を一つ一つ見て回った。二人の子供部屋と夫婦の寝室…誰もいないし、EMFも沈黙したままだ。10分程でディーンは階上の部屋全てを確認して階段を下りた。ソフィアはすでに待っていた様で、彼が降りてくるのを見上げて肩を竦める。
「父親の霊が現れた部屋にも異変はない」
「こっちも何もなかった」
「ここにいないんなら、一体どこに行ったんだ?後は例の湖畔の道か…」
そう呟いた時、ディーンは自分の携帯が鳴っているのに気付いた。受信者がサムなのを見て、彼は通話ボタンを押した。
「どうした?」
『テオを見付けた。父親の霊の目撃証言があった湖畔だよ』
「分かった」
ディーンは携帯を切ると、固唾を呑んで待っていたソフィアの真剣な顔を振り返った。
「当たりだ。湖畔の道にいる」
「すぐそこだ、行こう」
ソフィアはそう言ってディーンと共にドアに向かう。
二人は砂利道に戻ると、連絡してきたサムの言った場所へ歩き始めた。
「見付かって良かったな」
「ああ…本当に」
答えたソフィアは安堵と懸念が入り混じった顔付きで前方を睨んでいる。
ディーンはふと、今朝現れた時の彼女の姿を思い出して顔をしかめた。それが今の彼女の横顔と重なって、複雑な気分になる。
彼が唯一知っている彼女の顔と言えば、絵に描いた様に強気な表情だけだ。テオが時々いなくなる、と呟いたソフィアの俯いた顔は弱りきっていた。彼女が蒼白に近い顔色で強張っていたのを思うと、不思議と芽生えた対抗心が薄れていく。皮肉なことだが、人間らしい表情が彼女を当たり前の美人に戻していたのだ。もちろん、ディーンとてこんな状況ではそんな事に気付いてはいないけれど。
黙したまま砂利を踏み締める足音だけが続く中、その沈黙を破る様にディーンは言った。
「そう言えば、何で俺につっかかるんだ?」
予想していなかった質問にソフィアは少しだけ驚いた様に振り返ったが、いつもの冷笑を微かに浮かべて言う。
「さぁね、何か苛つくんだ。まるで…いや、何でもない」
「何だよ、言えよ」
ソフィアは逡巡する様に言いよどみ、それから告げた。
「テオが言うには、同属嫌悪だってさ」
ディーンは思わず苦笑する。彼女の声色は何処となく拗ねた子供の様な響きを含んでいた。
「言えてる。俺はずいぶん我慢したけど」
「私が女だからだろ?そういうのが一番ムカつくんだ。馬鹿にされてるみたいで」
そう言った彼女は更に子供っぽくむくれて顔を逸らす。それを何も言わずにディーンは眺めて、笑ってしまった。
出会い頭のディーンの不遜な思惑も、彼女の中ではいたく気に入らない要素になっていたらしい。言い寄る男は今までもたくさん居ただろうが、彼女はそんな奴等を嫌っていた。逆に頼られたり甘えられる方が楽だ。彼女がサムに対して好感を抱いたのも、彼がディーンの様に振る舞う事もなく、また"弟"らしい性質だからだろう。男女の色恋とは違う話しだ。
ディーンが何も答えない事に焦りを感じたのか、ソフィアは尚も軽口を叩く素振りで言う。
「分かってるって。くだらないこだわりだよな。でも、そうやって生きてきたからさ…あいつと二人で。あいつを守りながら」
いつもは茶化しながら悪態を交えるテオの事を、彼女は優しげな色を目に映して語る。それは偽りのない慈愛だった。ソフィアのテオに対するそれは、ディーンがサムに抱くのと同じ感情だ。
狩りは生半可な覚悟では出来はしない。狩る命と常に己の命を賭けて戦わねばならないし、文字通り本当に命懸けの危険な仕事でいつ死んでも可笑しくない生き方だ。それを彼女は幼い弟を守りながら続けてきたのだろう。今でこそ背中を任せられる程になったけれど、今も彼女は弟を守りたいと心から思っている。
ディーンは、もし今回の状態が自分達に起きたとしたならば、きっと自分も焦るだろうと思った。居ても立ってもいられなくて、方々サムを探し回るに違いない。それは分かっている。そして、もしかしたら今のソフィア達に同じ様に助けを求めたかも知れない。
ソフィアは顔を上げると、初めてディーンに屈託なく微笑んだ。
「分かるだろ?」
「ああ、分かるよ」
俺も同じだ―――と彼は微笑んで呟いた。

 

テオは目を瞬かせると、辺りを見渡した。
―――ここは何処だろう。
先ほどまで広がっていた風景は忽然と姿を変え、目の前に広がっている。聞こえていた静かな波の音も消え、乾いた風だけがうら寂しく吹き抜けていく。無人の街を囲む様に生い茂る木々が深い灰緑の葉を揺れており、カラカラと古びた風車が音を立てていた。
彼ははっと気付いた。
―――ここは"あの場所"だ。
彼にとってそこは忘れたくても忘れられない、悪夢そのものを具現化した空間だった。もう二度と足を踏み入れまいと硬く思った街…けれども、何故か今、その場所に自分はいる。
―――違う、これは夢だ。
現実ではない、記憶が触発されたに過ぎない幻だ。
不快感を覚えながらその場に留まっていると、通りの向こう側からゆるゆると何かが近付いてくるのが見えた。目視出来る距離になってもそれは曖昧で、判然としない。ただ、それは長く軽やかな白いナイトドレスを着ているのだと何となく分かった。
ぼんやりと浮かび上がった輪郭を眺めていると、不意にそれは滑る様に進み出る。
彼はしばし黙り込んだ後、呟いた。
「君との約束は忘れてないよ」
"彼女"は潤んだ目を細めて、彼に微笑んだ。

ディーンの携帯に電話する数分前―――サムは背の高い茂みを手で払いながら、湖畔沿いの道に向かっていた。ディーンと共に木陰に隠れてソフィア達の動向を探っていた時、目の前で父親の霊と彼らが遭遇するのを目撃した場所でもある。
枯れ草がやがて尽きて、目の前が広がった。晴れ渡った明るい空はすっかり上がった朝日を掲げていて、青々とした広い湖面が日差しを受けて輝いている。その湖畔に佇む人影を見詰めて、サムは目を細める。散歩人が風景を楽しんでいるだけの様にも見えるが、近付くにつれてそれが誰なのか判然とした。
―――テオだ。
彼は呆然と遠くを眺めてそこに居た。虚空を見詰める目はそこはかとなく恍惚として、まるで古のシャーマンの様に見える。
やはり霊能力者なのか、とサムは思った。
それにしても今の彼は意思をまったく感じさせない様子だった。気を失っている訳ではないが、ここに彼の精神はいない様な…廃屋の中で彼の幻影を見た時と同じ様に、このまま掻き消えてしまうのではないかとサムは思った。もちろん、今目の前にいる彼は幻影などではなく、現実の質感を伴った本物の彼だけれど。
サムは携帯を取り出すとリダイヤルからディーンの番号を呼び出して通話ボタンを押した。程なくして呼び出し音が切れ、ディーンの声が聞こえる。
『どうした?』
サムはテオから目を離さず、場所を告げた。
「テオを見付けた。父親の霊の目撃証言があった湖畔の道だよ」
『分かった』
「ああ、待ってるよ」
答えたディーンの声を聞いた後、彼は携帯を切る。それからそっと目前のテオに呼びかけた。
「テオ、どうしたんだ?皆で捜してたんだよ?」
けれども、テオは何も言わず、変わらぬ体勢のまま佇んでいる。
サムは慎重に近付いて、そっと微動だにしない彼の肩に手を掛けた。ゆっくりと振り返ったテオはサムの顔を不思議そうに見詰める。サムは答えない彼に不安を覚え始めた。彼の身に何が起きたと言うのだろう…。
「僕の声が聞こえてるかい?」
「…ああ」
低く唸る様に答えたテオの目が徐々に光を取り戻すのを、サムは黙って眺めた。
何処かにでも行っていたかの様に疲労を伴った深い溜息を吐き、彼はやがて目を瞬かせてからサムを改めて見やった。長い悪夢の果てに、やっと現実に帰ってきた様な気分だった。
「ああ、サムか。僕は大丈夫だよ」
申し訳なさそうにテオは困惑の表情で苦笑を浮かべる。自身を揶揄しているのだろう、後悔の念をにじませた瞳が苦しげに伏せられる。
「一体、何があったんだ?」
サムが重ねて問いかけた時、後方からもはや聞き慣れたソフィアの声が響いた。
「テオ!この馬鹿、また勝手にいなくなりやがって!」
ソフィアは怒号こそしないが、その声は固く強く、鋭い。テオはしまった、と言った表情を浮かべて駆け寄った姉に「ごめん」と呟く。
「また引っ張られたな?」
「そうみたいだ」
「まったく…おまえはいつまで経っても手がかかる」
やがていつもの口調で皮肉るソフィアの言葉に、テオは笑みを浮かべた。

駆け出したソフィアの後を追って現れたディーンは、佇む三人の姿を不思議そうに眺めた。懸念を表すサムや憤るソフィアの顔を見なくても、テオが普通の状態になかった事が彼にも分かった。
「どう言う状況なのか説明してくれ」
問いかけるディーンにそれもそうだ、とサムも頷いてテオの顔を改めて見やった。
彼は頷いて、一度当たりを見渡した後に口を開く。
「この廃屋の事を調べていたら、ソフィアが言う様に、"引っ張られた"みたいだ。昔からちょっとそう言う事があって…」
「ちょっと?違うだろ、呆れるぐらい多いぜ」
すかさず呟くソフィアにテオは小さく自虐的な苦笑を浮かべ、それから続ける。
「子供は3人いた。一人が生き延びてる。たまたま友人の家に泊まりに行ってて、別の町で幼女になったんだ」
「それで、君達は生き残ったその子に頼まれてここに来たって訳かい?」
サムが促すと、思い悩む様に口を閉ざしたテオに変わってソフィアが言う。
「ああ、今も過去に囚われたままの父親があまりに可哀想だからって…テオの友達なんだ。って言うか、私は彼女だと思うだけど」
つまり、本人は認めてないと言う事らしい。冷やかす様に意地の悪い笑みを浮かべたソフィアが目を向けた先で、テオは俯き加減に呟いた。
「まあ、それはどうでもいいんだけど。仕事をしよう。とにかく、彼らを静かに眠らせてやりたいんだ」
堅物め、と皮肉るソフィアの横で、ディーンは難しげに顔をしかめた。
「まずは父親の遺体を探せばいいんだな?二度と迷い出て来れないように。どうするんだ?」
「同じだよ、他の時と。分かるだろう?」
答えたテオの言葉に、最後まで聞かずともサムとディーンは分かった―――火は不浄を払う。同じく不浄を払う塩と共に彼の魂を留まらせるに至った肉体を燃やすのだ。だが、問題はどうやってその父親の遺体を捜し出すかだ。
「確か被疑者死亡のまま送検されてたよな、この事件。でも父親の墓は空だった…現場に残っていた致死量の血液と所在不明って事で死んだ事になってるだけだろう?」
恐ろしい罪を犯した自分に慄いて自殺を試みる犯罪者も多い。どこか山奥で、なんて事になっているのなら探し出すには一手間どころではないだろう。きっと警察も同じ様に山狩りだってしたはずだ。
「どこをどう探せばいい?」
「"彼女"が教えてくれる」
重ねて問うディーンにテオはそれも当然だと思い、彼は言うと振り返る。
「彼女って?」
サムは息を呑んだ。まったく気付かなかったのだ。
先ほどまで自分が見ていたテオは、彼女と交信していたのだろうか―――テオの視線を追って目を転じた彼らは、自分達から少し離れた場所に一人の女性が寂しげな微笑を浮かべて佇んでいるのを見た。彼女は父親の霊に抱かかえられて虚ろな眼差しのまま横たわっていた妻だろう。あの時とは別人の様にも見えるけれど、彼女の髪も瞳の色も白い肌も同じだ。白いナイトドレスが風に揺れ、素足のまま濡れた岸辺の砂を踏んでいる。
彼女はゆっくりと湖へ振り返り、細い指を指し示した。
「"彼"はそこにいるのか…」
ディーンが目を細めて湖面を見やり、再び彼女を振り返る。だが、彼女は小さく頷くと答えることなく、日差しの中に掻き消えた。
湖は広過ぎて、当時の湖底探査では彼を見付けられなかったに違いない。それも今の様に指し示してくれる存在も居なかったのなら尚更だろう。
「朝日の中であんなにはっきり幽霊を見るのは初めてかもな」
「そう?僕はしょっちゅうだけど」
テオはディーンの感想にそう答えて、寂しげに微笑む。その姿がどことなく、悪夢から目覚めた後のサムの眼差しと重なって見えて、ディーンは思わず視線を伏せた。
彼は居た堪れない気分を振り払う様に、その場にいる皆に言った。
「じゃあ、始めるとしよう」

ディーンは10分程離れた岸辺に繋がれていたボートを拝借する事を提案した。もちろん、所有者には黙っての事だが…いつもの事だからさすがにサムももう何も言わなかった。慣れとは恐ろしいけれど。
首尾よくボートを手に入れた兄がこちらに向かってくるのを見ながら、サムはずっと拭えない疑問を傍らのテオに尋ねた。
「君に父親のことを頼んだ彼女だけど…歳は23歳?もしかして、その子が生後6ヶ月の時に何か不審な事とか起きたって話はない?」
「いや、僕と同じ20歳だけど。不審な事って12年前の殺人事件以外で?」
やはり自分より年下だった事を知り、サムは安堵とも期待外れとも思えない苦笑を浮かべた。やはり違うのだろうか。"悪魔に殺された"かもしれない彼女の家族の事もそうだが、彼も自分と何か繋がっていると言う気がしたのは早とちりなのだろうか…。
「その…こんな事を聞くのは失礼だと思うけど、君達の母親は?」
「母親が何だって言うんだ?」
いつの間にか、車から道具を取り出しに行っていたソフィアが戻ってきていて、サムの質問に怪訝そうな眼差しを向けている。
「私達がこう言う暮らしをしてるって事も知らずに、元気に暮らしてるよ」
「そう、それは良かった」
―――本当に。
今までの事を思い起こせば、どうやらサムの例と異なっている様だ。もしかしたら"悪魔の計画"とは関係のない事件なのかもしれない。彼の体外離脱と自分の予知夢が繋がったのも、偶然"波長"が合っただけなのだろう。それならそれで構いはしない。これ以上、多くの人が奴らの恐ろしい計画に巻き込まれて欲しくない。でも、どうしても妙な予感が振り払えない…。
サムが思いを馳せている横で着々と準備をするソフィアは、手伝おうと歩み寄ったテオに言った。
「それよりあのコに電話しろよ、きっと待ってる」
「全部終わったらね」
「そう言う意味じゃないって事も分かってるんだろ?」
「違うってば、ただの友達だよ。何回言わせれば気が済むんだ?」
「おまえがその賢い頭じゃなく、下半身に正直になれたらな」
その物言いが誰かさんにそっくりで、サムも小さく笑うと彼らの作業に加わった。
テオはソフィアの言葉に不服そうに黙り込んでいたが、やがて唸る様な低い声でやり返した。
「そう言うそっちこそ、あんまり無茶すると母さんに言い付けるよ」
「おまえはいちいちうるさい!…言うなよ」
態度を変えたソフィアが真剣にそう言うのを見て、テオはしてやったりと悪戯っ子の様に笑う。
母親の事を持ち出された途端、彼女は今までの強気の気配が失せてしまった。叱られて拗ねている子供の様に口を尖らせて、物も言わない。その様子にサムは驚きながら尋ねた。
「君達の母親って怖いの?」
「そうでもない。小うるさいだけだ」
ぶっきら棒に言い捨てるソフィアに代わって、テオは言う。
「よく言うよ、母さんの前じゃ全然態度が違うくせに。どこのお嬢さんなのってぐらいさ。お説教が聞きたくないからってだけで借りてきた猫みたいに大人しいよ」
「おまえだって頭が上がらないくせに」
「違うよ、僕は姉貴みたいな口を聞かないだけさ。自分勝手じゃないし、自由奔放でもない」
「あー、何でまたあんなに頭固いんだろう。おまえはそっくりだ」
ソフィアは作業の手を止めて空を仰ぎ、嘆いた。
「ああしろこうしろ、これはダメだあれもダメだ、そればっかりだ」
「だから"ハンター"になったの?」
彼らが母親について話すのを不思議そうに思いながら、サムは尋ねた。ハンターは危険な生き方だが、自由気ままなのは確かだ。だからこの道を選んだのだろうか。
「いや、親父の影響。もう居ないけど」
ソフィアはあっけらかんと言ってサムに片目を瞑って見せた。
「だからうちの母親は嫌いなんだよ、ハンターが」
「…そうなんだ、ごめん」
サムは今までの表情を引っ込めると俯いた。ソフィアは何で彼が謝るのか分からない様子で目を瞬かせていたが、やがて岸辺にディーンがボートを停めるのを見て顔を上げる。
「準備はいいか?」
「ああ、いつでもいいぜ」
ディーンの問いにソフィアは答え、フックを取り付けた棒を彼に渡した。これで"探し物"を引っ張りあげるのだ。ただし、届く範囲ではあるけれど。もし届かなければどうしようもない。それこそ警察の大掛かりな捜索隊でもなければ無理だろう。それでもやれるだけやるしかない。
サムがボートに乗り込んだのを確認して、ディーンは取り付けられた小型エンジンをかけた。
次第に湖の中心へ移動していくボートを眺めながら、ソフィアとテオは湖畔に佇む。手を額に翳しながら目を細めるソフィアの横で、テオは振り返った。
"彼女"はゆっくりと頷いて微笑む。彼はそんな彼女を優しげに見詰めて、それから湖へと視線を戻した。

難航するかと思われた作業は驚くほど呆気なかった。"彼女"が指し示した辺りへディーンとサムが小船を近付けた時、"彼"は静かに湖面へと現れたのだ。まるで待ち望んでいたかの様に…。
水を多分に含んだ身体は驚くほど重くなるものだが、12年の年月の間に彼の身体は湖の魚達によって随分と"身軽"になっていた。ある程度の覚悟を決めていたディーン達だったが、ぼろぼろになった衣服と骨ばかりになった遺体を引き上げるとソフィア達が待つ岸辺に戻った。
乾いた地面の上に彼を丁寧に寝かせ、いつもと同じ様に塩とオイルを満遍なく降りかけた。これで彼を長年縛り付けた苦しみも消えるだろう事を祈って、擦ったマッチを投げる。点いた火は程なくして彼の下と取り囲む様に置かれた薪にも移り、炎がその身体を包み込んだ。
パチパチと爆ぜる音が言葉もなく見詰める4人の前に響いている。
不意にテオが呟いた。
「これで終わったよ」
それはここにいる誰に告げた言葉でもなかった。心配げに彼を見やるソフィアから彼は顔を背け、少し離れた場所に視線を向ける。
白いナイトドレスが風もないのに揺れている―――"彼女"だ。最後に表れた彼女はにっこりと微笑んだ。満足げで幸せそうに、それまでの深い悲しみの色を消して彼女は陽だまりの中から掻き消えた。
彼女もこれで心残りが清算されたのだろう。消えた彼らが何処へ行くのか誰にも分かりはしない。けれど、きっとそこは遍く全てに平穏で静かな時間を与えてくれると信じたかった。そこで彼らはこれまでの苦しみから開放されると祈りたかった。もし、天国と言うものあるのならば…。
テオはとても複雑な表情で彼女が佇んでいた虚空をいつまでも見詰めていた。
やがて炎は徐々に静まり、燃やすものを失った火は燻るのも諦めて一筋の煙を天に向けて昇らせた。彼女の魂と共に去っていったかの様に、消えた炎。これで、父親の思念が留めていた"凄惨な記憶"も二度とこの世に現れる事も無くなるだろう。
「これで本当に終わったな」
「ああ」
「それで、テオ…あれは誰だ?」
その言葉にサムとディーンも意識を向ける。
ソフィアはもう一度尋ねた。
「彼女は誰だ?最初は母親かと思ってたけど、違うよな?」
「彼女だって?」
思わず呟いたディーンは、先ほど消えた女性の姿を思い出すと最初に違和感を覚えた事に気付いた。死んだ妻にそっくりな、けれどもまるで違う人間の様な…。
テオは振り向く事もせず、感情の伴わない声を紡ぐ。
「彼女の頼みだったんだ、最後の…。頼まれて、どうしても断れなかったんだ」
その瞳に一瞬だけ翳りを指すテオは、それからいつもの柔和な表情を浮かべる。だが、ソフィアは彼の態度の変化を見逃さなかった。彼が言いかけた言葉に驚いて目を瞬かせ、その顔を睨む様に見詰める。
「最後ってどう言うことだ?まさか…」
ソフィアの質問にテオは答えず、弱々しく微笑むだけだ。それを見て、ソフィアは息を呑んだ。彼女には何か思い当たる節でもあるらしく、痛ましげに弟の後姿を眺める。彼の心中は深く傷付き、とても言葉では慰める術はないと感じていた。彼女の最期の願い…彼はただひたすらにそれを叶える為に、ここまで来たのだ。
「彼女は十二年前、生き残った末の女の子だよ。そして、今はもう…」
「テオ…」
そっと労わる様に肩に置かれたソフィアの手を避けて、テオは岸辺から踵を返す。
二人の様子に、サムは思わず尋ねた。
「一体、何があったんだ?」
傷を抉る様な真似をしたい訳ではない―――テオを思えば胸が痛んだが、サムは尋ねずには居られなかった。
ソフィアは振り返ると、その時初めてサムを冷たく睨んだ。
「ここまで手伝ってもらって悪いけど、あんた達には関係ない話なんだ」
誰も寄せ付けない様な、鋭く強い瞳が尚も言い募ろうとするサムを射抜いて牽制する。それは最初に彼女がディーンを遠ざけようとしている時と同じ雰囲気だ。
サムの中で一抹の不安がどうしようもなく強くなっていく。彼女が死んだ理由がどんなものであれ、もし自分が予想した様な"恐ろしい出来事"だったとしたら…。
彼にはやはり、テオやテオに頼み事をしたと言う女性が自分とはまったく無関係には思えなかった。テオが能力を発揮する度に襲ってきた悪夢や頭痛、それから奇妙な同調感は今でも鮮明に覚えている。互いの年齢や母親の不可解な死亡事件は繋がっていないけれど、別の部分で自分達がとても近しい何かを抱えている様に感じていた。
「…でも、関係ないとは思えないんだ」
「待て、サム」
ディーンは堪らず、サムの言葉を止める。サムはディーンの言わんとしている事を察しながらも首を横に振る。今言おうとしている事はとても危険だ。それはサムにも分かっているはずだ。
ハンターに"正体"を明かすな―――サムを"化物扱い"するつもりなど毛頭ないけれど、ハンターを相手に秘密をばらす事は避けるべきだろう。エレン達に警告されたからではない。ハンターと言うものがどんなものか、嫌と言うほど知っているからこその懸念だった。
―――ディーンの言い分は分かる。
それでもサムは疑念を拭えず、制止する兄を振り切ってテオに言った。
「君があの"能力"に目覚めたのはいつから?」
背を向けていたテオは振り返り、訝しげに顔をしかめると真意を探る様にサムの顔を見詰める。
「能力って、体外離脱の事?それなら子供の時からだよ。ただ、コントロール出来る様になったのは一年ぐらい前からかな」
サムはディーンと顔を見合わせた。一年前、唐突に飛躍し始めた能力…。
ソフィアは懸念の眼差しをテオに向けていたが、サムが次に言った言葉に再び目を瞬かせた。
「僕もなんだ。僕の場合は予知夢だけど、一年前ぐらいから急にそれが多くなったんだ。それに、君が力を使う度に僕にも影響が出るんだ」
「影響って一体どんな風に?」
テオは驚きながらも引き込まれる様にサムの声に耳を傾けた。
「君が体験した事を僕はそのまま夢に見る。空や湖の底や廃屋の中での事、リアルだったよ。まるで中継されてるみたいに同時進行で白昼夢も見た」
「僕の能力が君と繋がったって言うのか?」
「信じられない様な話だけどね」
「じゃあ、あの時…廃屋で君と目が合ったと感じたのは現実だったんだ」
思い出す様に天を仰いだテオの呟きに、サムは頷いた。そう、確かに彼はあの時、自分を見た。別空間とも言える状態でも尚、二人は互いを見つけたのだ。
「僕も君と目が合ったと思ったよ、不思議だけど」
サムは答えて、驚きに目を瞬かせるテオに微笑んだ。
「何だって?」
驚いているのは、傍で二人の会話を聞いていたソフィアも同じだった。一体全体、何がどうなっているのか…。
「どうやら、抱えてる問題も同じらしいな」
「…ああ、そうみたいだな」
どこまで似てるんだろうか、とソフィアは自嘲気味に笑って呟く。ディーンはそれには答えられずに溜息を吐いた。

 

すっかり日の高くなった空は明るい青を天に広げている。街並みは何事もなかった様に相変わらず平和そのもので、彼らが泊まっていたモーテルも初めて訪れた時と同じ様に佇んでいる。その駐車場でディーンはインパラの少し軋むドアを開けると後部座席に荷物を置いた。それから自分を見ているソフィアに振り返る。
「それじゃあ、俺達はもう行くよ」
「ああ」
ソフィアは頷いて運転席に座った彼を見下ろした。
「もしまた会うことがあったら…いや、もうないかもな。狭い様で広いからな、この"業界"も」
苦笑めいて呟くソフィアにディーンも笑う。
「かもな。それで、もうその減らず口ともお別れだ」
「言ったな?今度会ったらただじゃ置かない」
ソファは軽快に笑って肩を竦めた。
物騒な事を言いつつも軽やかに笑う彼女の顔は、日差しの下で明るく輝いている。やはり最初に出会った時、彼女は思った通りの美人だと改めてディーンは思った。もっとも"タイプじゃない"のは変わらずだ…性格を知ると余計にそう思う訳だが、それでも今は親近感にも似たものを覚えている。
テオとサムは少し離れた場所から二人の他愛もない馬鹿げた会話に同じく苦笑を浮かべていたが、やがて別れの時を覚えて顔を見合わせた。
「気をつけて。何かあったら知らせて」
「ああ、ありがとう」
サムが車に乗り込むのを眺めていたテオは、不意に思い出したかの様に駆け寄ると彼に言った。
「近い内にきっと"兆候"がある。気をつけて」
「兆候って何だい?」
聞き返すサムにテオは答えず、「今に分かるさ」とだけ言って離れて行った。
彼らも自分達が泊まっていた場所へ戻って、新たな旅支度を始めるのだろう。少しの間だけ振り返って手を振り、やがて通りへと消えていく。
ディーンは"お気に入り"のテープを選びながらサムに尋ねた。
「何を言われた?」
「…何だろう。兆候がどうのって言われたけど、何の事かは分からなかった」
「用心しろって事だろう?この仕事に危険は付き物だからな」
「そうだね」
答えたサムは考え込む様に彼らが立ち去った方向を眺めていたが、やがてカーステレオから流れ始めたいつもの"騒音"に思わず笑った。その顔から翳りはなりを潜めて、代わりに悪戯を責める様な目付きでディーンを見詰める。ディーンは何食わぬ顔をしたまま、インパラを発進させた。

もう見慣れた黒い車体が低い排気音を轟かせて走り去って行くのを振り返って見たテオは、前方に向き直って歩きながら呟いた。
「サムが心配だ」
「そうだな」
答えたソフィアも少しだけ後方を振り返り、小さく頭を振って再び前方を向いた。
先ほど交わした話を思うと、彼女の中の警鐘は酷く鳴り響いている。テオの身に起きた謎を解く為に奔走して来た事を思い出し、それと同じ事がウィンチェスター兄弟にも起きているのではないかと強い懸念が沸き起こる。つい先ほどまで彼らと行動を共にしていた事件ではない、もっと前の出来事だ。一体、"奴ら"は何を企んでいるのか…。
「それよりもテオ、私に隠してる事があるんじゃないか?」
「無いよ、別に」
軽く受け流す弟をソフィアは睨み付けた。
「"あの町"で何があった?」
それは驚くほど強い声色で、押さえ込んだ怒りに満ちている。テオはソフィアの声に弾かれた様に振り返ったが、やはり何でもないふりをして答えた。
「何も無いって。姉貴に隠し事だって?もしそんな真似したら、白状するまで許さないだろう?」
「誤魔化すなよ。おまえが急に姿を消すなんて事は今までに何度もあったけど、この間のは何だったんだ?数週間も探し回ったんだぞ」
「さあ、何だったかな。忘れたよ」
「テオ!」
はぐらかすテオにソフィは怒鳴った。険のある眼差しは本気の懸念を表して、テオを見詰める。
しばらく黙り込んだ後、テオは困った様に微笑した。
「姉貴、僕にだって秘密ぐらいある。例え姉弟でも言いたくない事は言わない」
「いい加減にしろ!それじゃあ、おまえを守れない」
「そうだね…いつだって、姉貴は僕を守ろうとしてたよね」
テオは溜息を吐いた。その深い苦悩に満ちた溜息にソフィアは驚いて目を瞬かせる。
「テオ?」
「ああ、そうだよ。でも、いつ僕が守ってくれって頼んだんだ?頼んでないだろう?」
「何だって?」
その言葉にはソフィアも勢いを取り戻しかけたが、不意に冷笑を浮かべたテオに言葉を失った。そんな顔を見た事がない、彼がこんな風に全てを拒絶する姿を見た事がない―――たじろぎかけたソフィアはそれでも踏み止まって、自分より背の高い弟の顔を睨み上げた。
「でも、私にはおまえを守る義務がある。何があっても…おまえが難癖付けて拒んでも、絶対に守るって決めてるんだ。私はおまえの姉だからだ。断る理由が"私が女"だからだなんて言うなよ、ぶん殴るから」
「姉貴ほど男らしい女はいないよ、たぶん」
テオは笑って、肩を竦める。その顔は彼女が良く知る弟の顔に戻っていた。それには幾分か安堵したソフィアは一度止めた歩みを再開した。
彼はブルゾンのポケットの中で魔除けのチャームを握り締めた。かつて、この仕事を始めたばかりの姉が久しぶりに実家へ戻って来た時、おまえを守ってくれるから、と渡された時の事を思い出す。そんな彼女の心配が歯痒くもあったが、同時にありがたかった。いつかきっと、父親と同じ道を歩くだろう姉の隣に、自分も立てる事を望みながら…。
テオは足早に歩いてソフィアに追い付くと言った。
「僕、ソフィアが姉貴で良かったよ」
「今更何だよ、さっきの生意気な発言は帳消しにならないぞ」
「姉貴のおかげで助かったって事」
ソフィアは顔をしかめて振り向いたが、テオは立ち止まった彼女を置いて歩き出す。慌てて駆け足で追い付くソフィアは尋ねた。
「今のはどう言う意味だ?」
「そのままの意味さ」
誤魔化す様に軽く笑ったテオは、改めて訝しげに見詰めてくるソフィアから顔を逸らす。まともに目を見ていると、隠し切れない感情を全て吐露してしまいそうだからだ。
―――たった一人の大切な姉貴、たぶん自分を理解してくれるただ一人の人間。
きっと、最後の時が来たとしても彼女は自分を裏切ったりしないだろうと思う。それは言葉では表せない、絆と言うにはもっと強固な信頼だった。
「僕は負けないよ。あいつらが何を計画していようと、絶対に諦めない」
呟いた声が自分でも予想外なほど強くて、彼は言い出しながらも次の言葉を失った。あまりに多くの思いが織り重なっていて、胸が苦しくなる。
ソフィアは苦しげに顔をしかめたテオを眺めていたが、やがて柔らかく笑みを浮かべると視線を伏せる。彼が言いたい事、言わなくても思っている事を察して、ただ彼女は言う。
「分かってる」
そう答えたソフィアの優しさに、テオは頷いた。
憂いを含んで翳を見せるサムの眼差しは、きっと今の自分と同じものだと彼は知っている。そして、"恐ろしい未来"に怯え、それでも立ち向かおうと心に決めた事も…。
それでも守りたい人の為に、守るべき人の為に、二度と負けはしないと誓うのだ。独りではないと思える事が成す術が見付からない今、彼にとって唯一の安堵だった。背負った宿命は未だ救いが見えないけれど、そんな自分自身の為にも彼は運命に逆らおうと固く心に決める。
何処までも明るく、澄んだ青が彼らの頭上高く広がっていた。まるで全てを包み込む様に、全てを知りながら素知らぬふりをする様に、空は果てしなく続いていく。眩いばかりの太陽が燦然と地上を照らし、木陰を地面へ映し込んでいる。光と影が同時に自分達を取り巻いている。
―――君も負けないと、僕は信じるよ。
テオは空を見上げ、心の中で呟いた。


END


締めがウィンチェスター兄弟じゃなく、ソフィアとテオだったことを一番初めに謝ります。
すいません!何故にオリジナルキャラで締めてんだ、俺?何気に自己満が助長してないか、俺!?

…ってことで、ようやく天国の扉が終わりました。
よく考えると昨年度から書き始めてたんですよね…私にしては珍しく、終わるまで時間がかかった話でした。
途中でリアルで仕事が多忙になったり、引越しがあってバタバタしたりとかもありましたが。
「HEVEN'S〜」5話目をUPした時点で次で終わりにしますとか言いつつ、たぶん終わんねぇかもと如実に思っていたのも事実。
終わらしたけど、いつもより1話分の文字数が大幅に多くなっちゃいました。
うん、がんばったよ。きっと。
内容は相変わらずいろんな意味でイタイけど
"狩り"がメインじゃない話なのは読み終えて頂くとお分かりになると思いますが、ハイ、そうなんです、重ね重ねすいません(汗)

何が天国の扉だったのか良く分からんけど、テーマが「空」と原作の「地獄の蓋」に繋がっているってことで付けました。
いつもタイトルを決めるのに苦労するんですよね。
センスないんだ、本当に。トホホ。
足りない頭で考えたゆえに、たまに昔書いたSSをコロっと忘れててタイトル被ったりする事もあります。
気付いたら直すんですけど、気付かずにそのままになってるのもあるはず。
あ、探さないで下さいね(涙)

と、自らの恥をあっさり晒しつつ話を変えます。
前のあとがきでも書いた様な気がしますが、実はソフィアとテオが気に入ってたりします。
相変わらず自己満で申し訳ないのですが、これも珍しい現象。
彼らの話はまた書きたいなどと思ってたりしてて、今度はディーンとソフィアで書きたいかもと…兄貴キャラコンビで!
そう、ソフィアは女性っぽいキャラじゃないんで姉御肌と言うより兄貴キャラなんです、自分の中で。
まあ、スパナチュファンに嫌がられそうなので、書いてもPC内に保管するだけになりそうだけど(汗)

気が向いたらソフィアとテオの大冒険(ビルとテッドみたいだ…)も書きたいなあ。

 

2008/3/27〜4/24 BLOG掲載

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